死んでお詫びという呪い
「死んでお詫びを・・・」
昔はドラマや時代劇でちょくちょく聞いた覚えのある台詞です。
その手の番組を観ることがなくなったので最近の作風はわからないのですが、昔からみると出番は減ったのではと思います。
では死んでお詫びとはどういう事でしょうか。
まぁいろいろあると思います。
これらは時代背景によっては相手方にも意味のあったけじめの付け方だとは思いますが・・・昨今の一般的日本人視点に当て嵌めると迷惑でしかない行為です。
本当に死んでお詫びをされると・・・
なので真っ当に現代で生きる限り「死んでお詫びをされる」のは迷惑しか降り掛かって来ないわけです。 というより「頼むからやめてくれ」案件です。死を選ぶ程の本人の気持ちが大事なんだという話もあるかも知れません。 それなら尚更本人の真意が曲がって当てつけとしか受け取られない行動は控えるべきだと思います。
世の中いろいろな人がいる訳ですから本当に死ぬ気でお詫びの人も中にはいるでしょう。ですが殆どの人がそんな覚悟が決まっている訳ではないですし、決まって良い覚悟でもありません。
なので「死んでお詫びを・・・」的な台詞を軽く口にされたなら大抵は「出来もしない事を軽々と言う事で馬鹿にされている」としか思えない訳です。少なくとも過去の経験から私はそうだと思っています。
覚悟も無いのに口に出して相手を馬鹿する or 覚悟を決めて実行し、相手に迷惑の積み増しをする・・・どちらも最悪です。
馬鹿にする気持ちとは言い過ぎでは?と窘められるかも知れませんが、内心はどうあれ言われた本人がどう思うかですから。
やはりどう考えても「死んでお詫びを・・・」という言葉は相手に対し澱みを飲ませる行為だと思うのです。 試しに「死んでお詫びを・・・」と言われてみてください。
たぶん返答にどの選択肢を選んでも答えた当人に実害が被るか澱みが溜まる二択ではないかと思います。
少なくとも死ぬことでしか贖罪出来無いのであれば人知れず、自身の存在感を周囲から消した上で行うべきだと思います。後々死んだことが知られても澱みを振り撒かず関連性を疑われないレベルで。それが死を相手に押し付ける事に対しての承認欲求や取引の類でない事の証明であり誠意だと思います。
それが出来ないのであれば相手の事を最優先にした行動ではないですし、そもそも生きる事に未練しかないわけです。
それなら生きて出来る事を探す方がお互いメリットがあるのではないでしょうか。格好がつかない? いや、その格好つけの為に相手に澱みを飲ませるのは勘弁してくださいよと思います。
明日からは通常営業だよ(゚∀゚)ノシ クライハナシデ ゴメンヨ
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私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ
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