gunswake

書きたいことをぽつぽつと

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最近の記事

意識の濃度を薄めて

意識の濃度を薄めて、気散じの状態に身を任せてみることを忘れていた。もっと世界に触れるように、世界の一部だと感じること。自我という世界の外から抜け出して、世界になること。 自分の体温で温められた布団に温められるのが心地よかった。布団に溶け合って同化していった。寝ているだけでも、熱源として機能している自分が存在していた。 朝目が覚め、カーテンを上げると雲一つない空だった。柔らかな日差しが体を温めてくれるのを感じた。太陽にも生きることを支えてもらっていた。自分が熱源として機能しなく

    • 音は一つの「繰り返し」で、波だった。

      音は一つの「繰り返し」で、波だった。鼓膜が揺れるのを感じる。音を聞くということが鼓膜が揺れることであることをかつてないほど意識していた。鼓膜が揺れているのを感じていた。音が空気の振動であるということがわかった。音は抽象的な経験ではもはやなく、具体的な手触りを伴う何かだった。形のある波だった。僕は音の波に包まれているのを感じた。聞いているのではなかった。むしろ「ただ、そこにいる」という感覚。音が領土を示していた。領土の中に僕はいて、振動する空間を体いっぱいに感じていた。音は耳で

      • 心地よい疲れのなか、なんとなく退屈で

        心地よい疲れのなか、なんとなく退屈で、何を言いたいわけでもなく、言葉を連ねていた。 言葉はもう意味を運ぶものとしての価値はなくて、ただ、前にある言葉と、後ろにくる言葉とをつなぐものでしかなかった。 意味に価値を置かなくても半自動的に連なっていく言葉が何を表現するのか、まるで見当がつかなかった。自我もなく、誰の言葉でもなく、あてもなく、ただ続いていくのだった。 動き出してしまえば、推進力がその瞬間から既に生まれていて、あとは出るに任せて繋いでいくだけでよかった。 進んでいくとい

        • 頭の中に音楽が鳴り響き

          頭の中に音楽が鳴り響き、止めることができなかった。感情や思索に関係なく、流れ続けるメロディが、僕を押し流していくのだった。どこに行くのか分からない。どこに行きつくのかもわからなかった。 冗長に、無駄に繰り返しを繰り返し、無駄なことを無駄に繰り返すことが必要なことだった。それだけが必要だった。何故それが必要と言えるのか、確たる証拠などなかった。証立てる必要すらなかった。 それが「存在」という概念に関係があるという予感だけを感じていた。そんな予感が 体にまとわりついて、体の周りの

        意識の濃度を薄めて

          欲望は線で。

          欲望は線で。ベクトルを持っていて。伸ばしていけば、行き着くところはあって、でもどこに辿り着くのかは知らなくて、不安になるけど、きっと大丈夫。ここじゃないどこかに、いつか辿り着くだけ。当たり前にそうなる。気にすることもない。わからないことを不安に思う必要はない。大丈夫。きっとうまくいく。 風に乗って滑空する鳥のように、自由に、楽に。心の羽を伸ばして。風に身を任せて。体こわばらせないこと。かたくなると落ちる。重力を笑うには力を抜く。ふわっと風を抱きとめるように、ふわっと、そっと、

          欲望は線で。

          いつも何かを注釈してる

          いつも何かを注釈している。 言いたいことのほとんどは言葉で表しても何か違和感を残すもので、ぴったりはまって何かを表現し切れたと思うことは少なくて、その分どんどん言葉を注ぎ込んでいくしかないって気分になる。 言い切れてないことを常にパラフレーズしてる。注釈に注釈を重ねてる。 言葉はいつも不完全で、抽象的で、過剰があったり、逆に不足があったりする。 不完全な言葉を尽くして、言葉を重ねるごとに矛盾をも孕んで、「うまく言えない」って地点で立ち尽くすこと、それ自体が何かの表現で

          いつも何かを注釈してる

          とりあえず今の心境

          新型コロナウイルスで、今までの当たり前がもはや当たり前じゃなくなっていくなかで、感じていることをなんとなく書いておこうかと思って、なんとなーく久しぶり書いてみる。 今日ふと思ったこと。新型コロナウイルスの感染が広まって、休日を家で過ごすことが多くなった。多くなったんだけど、もともとそんなに外に出るタイプでもなかったし、なんなら家でダラダラ過ごすのは好きな方だし、ということで、今のところそんなに苦労はしていない。 でも、できなくなっていることは確実に存在していて、映画を見に

          とりあえず今の心境

          上西充子『呪いの言葉の解きかた』感想

          「呪いの言葉」や「期待の言葉」が、その人を制約するものであるならば、これらの言葉から解放されることは、どういう状態になることなのだろうと考えたとき、思ったのは「自分自身」になるということでした。他人から定義を与えられた「誰か」になるのではなく、「自分自身」になるということ。それは個人の意見を持つということであり、自分の心に従うということになるのではないかと思います。 呪いが厄介なのは、ともすると呪縛の中にある方が「心地がよい」と感じるからだと思います。人はいきなり自由を手に

          上西充子『呪いの言葉の解きかた』感想

          『アラジン』(2019)感想

          『アラジン』(2019)観てきました。ウィル・スミスがジーニーってどうなるんだと公開前から結構話題になっていましたね。 アニメ版が結構好きなので、実写になり、いろんな意味で「どうなってしまうんだろう」と期待もありつつ、不安ありつつという状態でしたが、ふたを開けてみれば、かなり良かったです。 全体的な印象としては「アップデートしてる!」という感じでした。特にジャスミンがよい。 アニメ版実写版に共通することですが、『アラジン』の物語としての大きなテーマは「自由」だと思います

          『アラジン』(2019)感想

          いろいろと思うことはあるけれど

          いろいろと思うことはあるけれど 形にはならない そうやって 表に出てこないままになってしまったことが 今までどれほどあったろう わずかながらに 表に出てきたものも確かにあった でも出てくるときには 既に形を変えている ということが常なのだ。 自分が思ってることの全体を 自分でもよくわからない 誰かの言葉を使って 自分の言葉だと偽って 表せることは たかが知れているのではないか

          いろいろと思うことはあるけれど

          言葉、音、かたち

          保坂和志さんが「一度発した言葉は、地球に刻まれる。」というようなことを書いていて、言葉というかそれ以前に、音も同じようなものだろうと思った。 一度発した言葉は、音は、地球に、空間に刻まれる。 それは誰かが聞いているとか、聞いていないとか、そういう事とは関係がない。 ただ、この世界に音が、言葉が響いたと言う「事実」が場に残る。そういう感覚を味わってみたいと思って、最近、そういうことを意識しながら、音読することがちょっとした趣味になっている。 自分が読んだ言葉を、自分で聞

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          ぼーっとすること

          ぼーっと生きる日があってもいいと思う。 なんとなく暇で、退屈で何かすることがないかとすることを探し回って焦ってしまうそういうことがよくあるけれど。 何もせずに、何も考えずにただぼーっと生きる。ただ安心できる場所にいてぼーっとする。そういう余白の時間を作る。余白のただ中に漂う。 余白のただ中に立ち止まってみる。 何かしなきゃと焦っていると、何かをしているようでいて、その実、本当に必要なことができていないのかもしれない。ただぼーっとする余白の中にいるなかで、自分の心の声をよ

          ぼーっとすること

          くらげのうた

          この茫洋たる海に漂いながら、ぷかぷかやることが、くらげにとっての自由の表現であり、それはそのまま、この生を肯定する、喜びに満ちた、祝祭のダンスなのです。 そこに孤独感はありません。何故なら私の祖先も、あるいはこの先、未来を生きるであろう子孫も同じようにぷかぷかした/するだろうと確信するからです。

          くらげのうた

          連歌作ってみたら楽しかった

          連歌を作ってみたら結構楽しかった。以下試しにつくってみたもの。 ①ひとり傘 雨降りそぼる 夕闇に ②かじかんだ手よ 春は遠けり ③如月の 雪解け水を 掬い取り ④のどを潤す 早起きの熊 ⑤朝まだき ゆうべの酒に 揺れながら ⑥明日を語らい ともに見る夢 ・・・・・・ 読む順番が面白くて、①-②と読んだら、次は③-②と読むんだそうですね。で、その次に③-④と読む。それでどんどん繋げていく。つくってて楽しかったのは言葉から浮かび上がる情景を次々に変えていけるところ

          連歌作ってみたら楽しかった

          ただ書いてみた

          坂口恭平さんが「ただ書く」ことを勧めてらしたんで、なんでもいいから文章を書きたくてやってみた。多少文章を直したところもあるけどまあいいや。 頭を空っぽにして。次何を書くかを考えずに。頭に浮かんでくることを書き留める。どんな言葉が出てくるか、この指に任せる。言葉が出てこないときは沈黙に身を任せる。そういう時間も必要だろうから。何が言いたいわけでもなく、何かを表現したいわけでもなく。ただ。書く。書くことで絵を描く。文字の連なりを紡ぐことはキャンバスに線を引くことと何の違いがある

          ただ書いてみた

          女王陛下のお気に入り 感想 憎み合う幸せ

          エマ・ストーンが好きなのでこの映画も好き。 彼女が心の底から笑うのを見ていると幸せな気持ちになる。意地悪なことをしてても彼女は可愛い。その自由さ、奔放さを表現することが、彼女の幸せだったんだと感じる。 この映画も『半世界』のように三角形の映画で、罵りあって憎み合いながら愛しあって、そういう関係を続けることが3人全員にとっての幸せだったんじゃないかと思った。毒が三角形を破壊し、修復不可能なものにしてからはどんどん3人全員が可哀想になっていった。 エマ・ストーンの持ち味は奔

          女王陛下のお気に入り 感想 憎み合う幸せ