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心地よい疲れのなか、なんとなく退屈で

心地よい疲れのなか、なんとなく退屈で、何を言いたいわけでもなく、言葉を連ねていた。
言葉はもう意味を運ぶものとしての価値はなくて、ただ、前にある言葉と、後ろにくる言葉とをつなぐものでしかなかった。
意味に価値を置かなくても半自動的に連なっていく言葉が何を表現するのか、まるで見当がつかなかった。自我もなく、誰の言葉でもなく、あてもなく、ただ続いていくのだった。
動き出してしまえば、推進力がその瞬間から既に生まれていて、あとは出るに任せて繋いでいくだけでよかった。
進んでいくということは、ベクトルを持っていて、長さを持っている線ということだった。ある方向に進んでいく以上、いつか何処かには辿り着くのかもしれないと感じていた。行き着く場所がどこなのか、行き着きたところで何なのかはわかるわけはなく、わかったところで大して大事なことでもないような気がしていた。
抽象的な線が伸びていき、止まる気配がなかった。線は一本というわけではなく、様々な方向に好きなだけ伸びていっていた。植物のようでもあり、宇宙の膨張のようでもあった。なるほどビッグバンがあったのかもしれない。そこからはずっと惰性で、遠くに、ずっと遠くに進んでいるだけだったのかもしれない。
大陸を渡り歩き、海を渡ってきたように。いつも惰性で進んでいくのだった。

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