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精彩を欠いても、書き続ける。

【精彩を欠く】
ぱっとしないさま。 冴えないさま。 調子が振るわないさま。


私、精彩を欠いております。


4月から もうひとつのnoteをやっていて、1カ月で30記事。毎日アップし続け、ありがいことに ぞくぞくと増える閲覧数とフォロワー。うれしくてうれしくて、毎朝毎夜、書き続けました。

5日目くらいから「読んでくれた人の反応が気になる」という病にかかり、初めてのスランプ。


それでも書き続けるしかない。いや、書き続けたい。気がつけばスランプから脱出。note以外にも文章が掲載されたことをきっかけに、「グミ グミ子」という名前で このnoteを立ち上げました。


でも、近頃全然だめなんです。ぱっとしなくて、冴えなくて、調子が振るわないのです。まさに「精彩を欠く」状態。


noteを始めた頃、書きたいことは山ほどありました。


自分が考えていること、なにかを見て感じたこと、これまでの経験で得たこと。「ちょっと良い感じに書けたな」なんて、自分の書いたものに満足することは何とも言えぬ快感。自分の満足度と♡の数が比例した時、快感は絶頂を迎えます。脳みそからドバドバとドーパミンが出て、「また書きたい」と求める、あの感じ。


しかし。自分の「思い」「考え」「経験」をひととおり書いてしまうと、あっという間に「ネタ切れ」してしまいました。これが二度目のスランプ。今の私です。



「やっぱり自分には書く才能がなかったのか」

何度もそう思いました。でも才能って、なに?

文章力?語彙力?構成力?

いや、私には「書き続ける」才能がなかったのです。


以前読んだライター佐藤さんのnote。心にぐっと来て、ぐぐぐっと来て、「続けることが才能」だと教えてもらいました。



それからは とにかく試行錯誤。

ひとつ。映画を観あさりました。書いて書いて書きまくって、自分の中が空っぽになったから、インプットなしにはもう書けない。映画を観ると、ああなるほど。確かに言葉は浮かんできました。でも全然、いい文章じゃない。「自分はこんなものしか書けない」と、謎の悲観。私って、めんどくさい女だわね。

ふたつ。いったん、書くのやめました。でも「書かなきゃ」と謎の使命感に襲われました。そんなわけでとりあえず書きました。これまた、全然いい文章じゃない。以後、同文。

みっつ。かっこいい文章書くの、やめました。おしゃれな文章書くの、やめました。これまでの私が文章を書くのにベースとしていた「考え」「思い」「経験」、やめました。スランプ?じゃあそれもネタにしてやるわい。だって私は書きたいんだもん。「書き続ける才能」が、欲しいんだもん。それがこの記事です。



noteを続けるうちに、たくさんの人が読んでくれて、たくさんの人がフォローしてくれて、気づけば「応えなきゃ」という気持ちが勝手に湧いてきました。「読んでもらわなきゃ」「♡たくさんもらわなきゃ」。でももう書けない。期待されるようなことは、もう書けない。

私は知らず知らずのうちに「自分が満足する文章を書きたい」と思っていました。そして出来るならそれを評価してほしい、と。とんだオナニープレイです。プロでもないのに、変なプライドと自己満足にがんじがらめになっていました。


そんなわけで、過去に書いた「いい文章」に縋りつくのをやめました。

満足するのも納得するのも、まだ早い。過去に書いたものを「あ、まだまだだな」と思えるようにならなきゃ、「全然だめだな!」と笑い飛ばせるようにならなきゃ、きっと「書き続ける」ことはできないのでは。ずっと付き纏うであろう「納得できない自分」とうまく付き合っていくことが、「書き続ける」ことには必要なのでは。そう思ったのです。



こうやって何度も くよくよしながら、スランプにずぶずぶ溺れながら、それでも書きます。書き続けます。満足しなくても、精彩を欠いても。

私には欲しい未来があるからです。それは「書いて、食べる」という、とてつもなく苦しいくせに最高な未来なのです。


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