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◆12月◆ 年末を大好きな機種で締めくくる
【12月12日(火) 曇り】
平成18年もいよいよ残り1ヶ月となったわけだが、本来ならばスロ収支の上乗せを目指してラストスパートをかけるべきこの時期に、自分は相性の良い鬼武者には全く目もくれず毎日のように『めぞん一刻』を打っている。
事の発端は先月末のデータ取りだった。自分は元々が高橋留美子先生の大ファンということもあって、編集部から依頼のあっためぞん一刻のデータ取りを二つ返事でOKしたの
◆11月◆ いい夫婦の日に大勝ち!
いやはや、はっきり言って自分の手には負えないようです。何がって、秘宝伝ですよ秘宝伝。このヒトデ頭の小僧とノコギリ頭の女子ときたら、どうして期待を裏切りまくるんですかね?
前号の浮草家計簿を脱稿したのが、忘れもしない10月30日の朝8時。この時点では間違いなく10月の月間収支はプラスだったのに、そのまま一睡もせずに某店の秘宝伝イベントに参加した結果がマイナス18Kである。さらに翌31日も、リベ
◆10月◆ 相性の良さを再確認
9月の末に編集部からの帰宅途中、高田馬場駅の手前で何かのはずみで足がもつれ、情けなくゴロゴロと転がった時のことを今も鮮明に覚えている。
おそらくは一日の仕事が終わったことに安堵して、注意力が散漫になっていたのだろう。「あっ!」と思った瞬間には真っ黒いアスファルトの歩道が眼前に迫り、思わず突き出した左腕に全体重をかけてしまった。日頃から身体を鍛えているわけでもなく、大した筋肉も付いていない左腕
◆9月◆ 楽あれば苦あり
平成18年も残すところ4ヶ月。年の初めに年間収支プラス百万円の目標を立てたときには、まさかこの時期になってマイナス収支を彷徨っているとは思いもしなかったが、こうなった以上はとりあえず年間収支をプラス域に持っていくことが当面の目標となる。
ところが、9月の終わりに来て、その当面の目標達成すら危うくなりそうな一身上の大事件が起きてしまった。何が事件なのかは、今月の家計簿を読み進めればわかります。
◆8月◆ お盆のホールは危険が一杯
いやはや…自分のスロ収支をリアルタイムで誌面に晒すのがこれほど辛いことだとは思わなかった。思い起こせば当企画・浮草家計簿は、昨年の忘年会で高梨プロとの親睦中に「来年は勝つためのパチスロに徹してプラス百万円を目指します」と言ったのを、地獄耳の岩佐副編集長が聞きつけて誌面企画として立ち上げたのだが、今年も残すところ5ヶ月を切ったにもかかわらず未だにマイナス収支を彷徨っていたりする。
もちろん、こ
◆7月◆ 吉宗とのラスト勝負!
自分はプロ野球ファンである。子供の頃は地元・九州は平和台に本拠地を置く太平洋クラブライオンズと、テレビ中継の多い読売ジャイアンツを本気で応援したものだが、日本シリーズで9連覇を成し遂げた巨人軍と違って、当時のライオンズはかつて「最強の野武士軍団」と呼ばれていた頃(西鉄ライオンズ時代)の面影はまるでなく、オフになると毎年のように球団の身売り話が浮上する弱小チームだった。
その後、ライオンズはク
◆6月◆ 設定6の鬼武者で大敗を喫す
6月の前半は、はっきり言って勝敗を度外視したスロに甘んじていた。その最たる原因は『パチスロ必勝ガイド』8月号で大々的に行った「みなし機バトル」にある。すでにご覧になった読者さんも多かろうが、この企画は6月20日までに世の中の全ての「みなし機」が完全撤去されることに伴い、全スタッフが自らの思い入れの深い機種に「最後のお別れ」をしようというコンセプトで立ち上がった。そして、自分が選んだ対戦機種はサミ
もっとみる◆5月◆ 自分の甘さを思い知る
5月になってから、どうにもスロの調子がよくない。GW中はどうせバリバリの回収営業だろうと考えて、プライベートのスロは週明けの月曜日からスタートしたのだけど、最も出玉状況がシブい時期を意識的にスルーしたにもかかわらず、5月20日現在の月間収支は何とマイナス18万3千円。つまるところ、たかだか十日間かそこらで先月までコツコツと積み重ねてきた勝ち金の半分以上を溶かしたのである。
それだけならば問題
◆4月◆ パチスロの未来を憂う
我が家に娘が誕生したとき、自分は父と一つの約束をした。正確には「約束をした」と言うよりも「否応なしに約束させられた」と表現した方が正しいのだけれど、その約束の内容は「少なくとも年に二回は娘(つまり自分の父にとっては孫)を大分の実家に連れて帰って成長を見せること」だった。
父の気持ちは痛いほど良くわかる。さして裕福な家庭でもないのに、無理をして大学まで行かせた息子が勝手に仕事を辞めて東京に出て
◆3月◆ ハニートラップにご用心
3月に入ってから妙に忙しくて、なかなか朝イチからパチスロを打つことができない。いや、実を言うと忙しい理由ははっきりしている。月末に発売される予定の拙著『枠上人生~パチスロ攻略稼業帳~』を企画・編集した岩佐副編集長が、単行本に収録する素材が少々足りないからと山のように書き下ろしコラムのページを作ってくれたお陰で、ほとんどそちらにかかりっきりになっているのだ。
いきおい、パチスロを打つのは原稿書
◆平成18年1月~2月◆ パチスロで家族を養いたい
きっかけは去年の忘年会で『パチスロ必勝ガイド7』の誌上プロ・高梨さんから頂いた言葉だった。今年は収支的に随分と苦しんだけれど、昨日やっとスロ収支がプラスに転じたので心置きなく新年を迎えられそうです…と自分が報告すると、高梨さんは眉一筋動かさず次のように言い放ったのである。
「それは良かったですね。でも、普段から〝勝てる機種〟で〝勝てる立ち回り〟をしていないから年末に苦しむんですよ。そもそも広石
◆平成17年12月◆ アイデンティティー
人に話すと鼻先で笑われてしまいそうだけれど、自分にはパチスロを打つ上で譲れない一つのこだわりがある。
思い起こせば自分がパチスロを覚えたのは、大学生になって親元を離れたばかりの昭和57年。この当時は現在とは違ってパチスロ情報誌もなければホールにプレイヤーズマニュアル、すなわち遊び方を解説した小冊子すら用意されておらず、だからこそ年間トータルで負け越したのも当然の成り行きだったのだが、いわゆる