救済の一冊。
表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬を読んだ。
オードリー 若林正恭さん著書のエッセイだ。
彼のファンは多いと思う。
かくいう私もそうだ。
彼の考え方や生き方に心を揺さぶられることが少なくない。
若林さんが7月からnoteで執筆されていてずっと定期購読しようか迷っているけど、結局決めきれずに3ヶ月過ぎた。(え?)
が、まずはこれまで出版された読めていない本から
少しずつ手をつけていこうと思い、
今この文章を書いている。
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この本は、若林さんがキューバへ旅したときの紀行文。
生活で刷り込まれた価値観や過剰なまでの自意識から逃れるべく、5日間のスケジュールを無理やりねじ込んだひとり旅。
旅行記みたいなものは、私は早々に離脱してしまうことが多いのだけれど、この本は若林さんらしいナナメの視点も健在でテンポ良く読めた。
そしてなぜだか、無性にキューバという国への関心を掻き立てられる本だった。
旅行記というのは本来そうであるべきなのかもしれないが、
彼の口から語られるキューバは、
シャイなガイドやら、野良犬やら、慣れない葉巻やら、
付かず離れずの心地よい距離感を保った雰囲気を帯びている。
陽気な人々とクラシックカーが行き交う色鮮やかな街並み。
そこに根付く人やモノたちの息づかいと彼の視点が重なるところに、何とも言えない愛おしさが込み上げてくる。
これは以前彼がニューヨークで感じた、掴みきれない抵抗感を連れた旅でもあった。
それは時を経て、キューバという社会主義を貫く国で解き明かされることになる。
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東京での生きづらさ。社会での生きづらさ。
便利な社会、発達した経済、それで受ける恩恵。
広告だらけの街。
持たされる荷物の多さ。
新自由主義に競争させられる私たち。
対して社会主義の平等から得るもの、得られないもの。
旅の中で彼は、
自由と競争、社会主義と平等を、思考の中で行ったり来たりさせながら、その実態のない物に手を伸ばし続ける。
不自由なことは不幸せ?
バカにされずに生きるには、何をどのくらい手に入れればいいの?
機会の自由を求める?
結果の自由を求める?
生きていく中でいろんな価値観に触れる。
悲しいときに、悲しいと言えない人がいる。
眠れない夜を過ごす人がいる。
若林さんはしばしば、『自由』という言葉を使う。
不自由を何度も感じた人なのだろうと想像できた。
そんな日常を重ねてきた彼だからこそ、このひとり旅への意義は大きかったのだろう。
プライドが高く、自意識過剰で、出る杭のくせに打たれ弱い。
心を摩耗し続けた彼の葛藤から、このキューバという国はどれほど解放的にさせてくれたのだろうと、その情景が目に浮かぶ。
後半はもう、なんだか涙が溢れてしまう。
父親との関係を通して見える景色の移り変わり。
ときどき、幼少期の出来事とオーバーラップさせながら、抱えている疑問やもどかしさに視線が移る。
人見知り芸人として定着しつつあった彼が旅の中で辿り着いた答えは、
意外なようでしっくりきた。
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彼のひとり語りを飽きずにスラスラと読めるのは、傷ついてきた人であると読み手が実感できるからだ。
若林さんが最近あるメディアで、
「ちゃんと傷ついてきた人の顔」
という表現をしていたのを思い出した。
そう、そんな痛みのようなものが、彼の文章からも滲み出ている。
ネガティブや悲観することをやめない人は、課題をちゃんと自分で背負っているからだ。
目を背けられない、誤魔化せない正直さを持っている人だからだ。
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誰かに踊らされているのが嫌だった。
いつだって自分の意思で踊ることを夢見た。
誰かの価値観が介入してくることに、
それに支配されていく自分に苛立った。
いつも『正しさ』を探した。
誰かの「べき」という言葉に自分のレールをひいた。
それは舗装された道路のように、
スムーズに早く目的地に行ける気がした。
でも、観たい景色はいつもそこになかった。
その人が嫌なんじゃない。
いちいち反応する自分に嫌気がさすのだ。
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私は普段、周りから穏やかだと言われる。
博愛主義的に見られることも少なくない。
でも本当はそんなことない。
むしろ対極にいると思う。
自分にとって耳障りなことを、
ちゃんと毎度心の中で「うるせぇな」と思っている。
お行儀よくやってられるかと思っている。
自由の権利を誰かにくれてやるかと思っている。
全てを愛する。みたいなことは、
生まれ持ってきた自分の器では無理なんだろうなと、少し前から気づきつつある。
でも、だからこそ、
『愛せる』部分という価値が、私の中で近ごろ爆上がりしている。
そういう人やモノに出会うこと。
むしろそれにしか「救い」やら「意味」を感じなくなってきている。
歳を重ねれば、人間としての深みが出て器も大きくなる。
とか思ってきたけど、それはもう自分に限っては当てはまらないのだろうと、半分諦めているようなところもある。
でもそういう気づきは、残念さやガッカリ感と同時に、
自分の心を幾分も軽くしてくれた。
私の中の愛せる部分というのは、ぼんやりとしたものからより鮮明に、彩りを帯びてきている感覚さえある。
昔より堂々と、「これ」が好きだと言える。
ちゃんと愛せる理由を、自分の言葉で語れる。
日々、そんなことを感じている私を
全力で肯定してくれる本であった。
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こんなネガティブともとれる言葉を綴ってしまった日は、なんだかちょっと罪悪感もある。
でも若林さんの本を読んで、そんな側面も文章にすることで昇華できるんじゃないかと淡い期待を抱いている。
この本の最後にある解説に、
Creepy NutsのDJ松永さんが、若林さんへの想いを綴っている。
私の大好きな番組である「たりないふたり」に使用する楽曲を書き下ろしたのがCreepy Nutsだ。
そこには、溢れんばかりの若林さんへの愛と
最大級のリスペクトが込められている。
なんと熱い文章であろうか。
ああ、ここにも救われた人がいるんだと、
誰かの足りなさが誰かの隙間を埋めるんだと、
そう深く思えた。
まさに『救済の一冊』であった。
ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。