私と兄は毎日、継母に殴られ、父には見て見ぬふりをされ、少しずつ「愛されないこと」を積み重ねていきました。 なぜ私たちは嫌われているのだろう。 なぜ私たちは憎まれ…
この頃の私はいつも「自分は何のために生まれてきたのだろう?」と、よく考えていました。 何のために存在しているのだろう?と。 嫌われて、憎まれて、邪魔者扱いされて…
義母は私と兄の事が大嫌いなので、いつも何か理由を見つけては、暴言を吐いたり、殴りつけてきました。 毎日毎日、暴力を受け続けているうちに、私は自分の存在を、認めら…
両親が離婚してからの生活は、母が突然いなくなり、父が泣き暮らしていて、私たちはご飯もお風呂も世話をしてもらえず、 学校のクラスメイトたちには意地悪をされて、今に…
私と兄にとって、家庭は地獄で、守ってくれる人は誰もいません。 継母が私たちを怒鳴りつける声は、近所にも聞こえていたと思います。 同じ団地に住んでいた、仲の良い宗…
継母には1歳の男の子がいました。 その子はとても神経質な子で、癇癪持ちでした。 ある日から、知らない人たちが自分の家に住むようになったから、嫌がって泣くのです。 …
恐ろしいもので、人は環境に慣れていきます。 暴力を受けることが、私たちにとっては日常で、あまりまえのことになりつつありました。 もちろん、殴られるのは、嫌な事に…
普通の方なら、このように思うのではないでしょうか。 「お父さんはなぜ、あなたたちを助けないの?」 「親なら子供を全力で守るものでしょう?」 そう、普通なら、そう…
私はいつも、父の実家の電話番号を書いた小さな紙を、お守りのように大切に持ち歩いていました。 父の実家には、父の兄である、私の伯父が住んでいます。 何かあったら、…
学校に行くのが楽しかったのは、「家にいなくても良い」からです。 学校にいる間は、私を殴る人はいません。 私と兄にとって、家は、戦場のようなものでした。 朝、起き…
虐待のニュースを見る日が無いくらい、幼い子供たちが虐待の被害者になっています。 普通の方なら、こう思うでしょう。 「なぜあんなにも幼い子供を、死なせてしまうまで…
ある日の夕食の時のことです。 私は女の子だからという理由で、家事手伝いをやらされていました。 継母の食事作りの手伝い、食後の洗い物は、私の仕事でした。 器に料理…
継母の暴力と暴言に耐えることができたのは、 「父を守りたかった」 ただそれだけでした。 母との離婚後、毎晩、泣いていた父の姿を、もう二度と見たくありませんでした…
ある日の昼間のことです。 継母がヒステリーを起こして、父に怒りを爆発させていました。 何で怒っていたのか、覚えていません。 怒鳴りつけ、物を投げつけ、父に「出て…
ある時、継母が私たちに、怒りの形相で、こんなことを言いました。 「あんたたちのお父さんは、私の貯金100万円を取り上げて、宗教団体に寄付してしまったんだよ」と。 …
ある日の昼間、学校から帰ってきた私たちに、継母は怖い顔でこう言いました。 「お父さんに、お母さんと離婚してくださいって、言いなさい」 継母は自分からは言いづらい…
虐待からの生還者
2024年4月23日 20:45
私と兄は毎日、継母に殴られ、父には見て見ぬふりをされ、少しずつ「愛されないこと」を積み重ねていきました。なぜ私たちは嫌われているのだろう。なぜ私たちは憎まれているのだろう。なぜ私たちは愛されないのだろう。本来ならば、親からの愛情をもらい、愛されることを知り、自己肯定感を育てていく、大切な子供時代を、憎しみと悲しみと怒りに満ちた時代にされてしまったのです。私は、あまり笑わない子供にな
2024年3月15日 12:26
この頃の私はいつも「自分は何のために生まれてきたのだろう?」と、よく考えていました。何のために存在しているのだろう?と。嫌われて、憎まれて、邪魔者扱いされて、自分などこの世界に、いないほうがいいのではないか。そんなことばかりを考えていました。継母に邪魔者扱いされたって、まだ子供の自分には、行くところなんて、どこにもない。毎日、自分のことを殴ってくる、気が狂った人間と、同じ家の中
2024年3月15日 12:11
義母は私と兄の事が大嫌いなので、いつも何か理由を見つけては、暴言を吐いたり、殴りつけてきました。毎日毎日、暴力を受け続けているうちに、私は自分の存在を、認められなくなっていきました。少しずつ、自分のことを蔑み、嫌いになっていったのです。本来ならば、親に愛されて、大切にされて、自分の中で自己肯定感を育てていく時期に、自分を嫌いになっていったのです。それどころか、憎まれ、嫌われ、殴られ
2024年3月11日 11:42
両親が離婚してからの生活は、母が突然いなくなり、父が泣き暮らしていて、私たちはご飯もお風呂も世話をしてもらえず、学校のクラスメイトたちには意地悪をされて、今にして思えば辛い日々でした。父のネグレクト、母を失って1年後には、継母からの暴力が始まる。たった10歳で、未熟な大人たちの、破茶滅茶な行動のために、振り回され始めたのです。この頃は、晴れやかな明るい日であっても、綺麗な青空も、ど
2024年2月24日 15:16
私と兄にとって、家庭は地獄で、守ってくれる人は誰もいません。継母が私たちを怒鳴りつける声は、近所にも聞こえていたと思います。同じ団地に住んでいた、仲の良い宗教仲間の夫婦も、継母が私たちに暴力をふるっているのを知っていました。でも誰も、私たちを助けることはできなかったのです。助け方がわからなかったのかもしれません。それとも、見て見ぬフリをしていたのかもしれません。でもそれで良
2024年2月24日 14:46
継母には1歳の男の子がいました。その子はとても神経質な子で、癇癪持ちでした。ある日から、知らない人たちが自分の家に住むようになったから、嫌がって泣くのです。あまりにも泣くので、継母が「あんたたちがいじめてるんじゃないのか?」と言い出しました。どの口が言うんだろうと思います。しかし継母は、自分が産んだ子供は可愛いのですから、まだマシなのかもしれません。世の中には、自分が産んだ
2024年2月24日 13:53
恐ろしいもので、人は環境に慣れていきます。暴力を受けることが、私たちにとっては日常で、あまりまえのことになりつつありました。もちろん、殴られるのは、嫌な事には変わりありません。しかし、どうせ今日も殴られるという、諦めの境地に達していきました。継母は何かしら理由をつけては、私たちを殴ります。毎日、必ず殴ります。継母と暮らした8年間、必ず1回は殴られるとして、通算で2.500回
2024年2月24日 13:18
普通の方なら、このように思うのではないでしょうか。「お父さんはなぜ、あなたたちを助けないの?」「親なら子供を全力で守るものでしょう?」そう、普通なら、そうなのです。でも私の父は、普通ではなかったということです。虐待が起こる家庭の両親は、どちらかが子供を虐待し、もう片方は見て見ぬフリをする、止めようとしない。どちらも頭がおかしいのです。なぜ止めないのかというと、「人の
2024年2月24日 12:37
私はいつも、父の実家の電話番号を書いた小さな紙を、お守りのように大切に持ち歩いていました。父の実家には、父の兄である、私の伯父が住んでいます。何かあったら、おじさんに電話をかければ、きっと助けてもらえる。そう思うことで、毎日のつらい暴力に、耐えることができました。「きっと、おじさんなら、私たちを助けてくれる。」「でも、もう少しだけ、我慢してみよう。」「我慢できなくなったら、
2024年2月24日 12:09
学校に行くのが楽しかったのは、「家にいなくても良い」からです。学校にいる間は、私を殴る人はいません。私と兄にとって、家は、戦場のようなものでした。朝、起きたら不機嫌な継母がいて、虐待を見て見ぬフリをする父がいる。学校が終わり、家に帰れば暴力をふるう継母がいる。いつも学校から家に帰る足取りは重く、このままどこかへ行けたらいいのにな・・・と思っていました。私たちには、家の中に、
2024年2月24日 11:42
虐待のニュースを見る日が無いくらい、幼い子供たちが虐待の被害者になっています。普通の方なら、こう思うでしょう。「なぜあんなにも幼い子供を、死なせてしまうまで、暴力をふるうの?」と。それがあたりまえの考え方です。ですが、虐待する人を目の前でリアルに見てきた私は、幼い子供が亡くなるまで、暴力をふるう大人のことがよくわかります。虐待する人には、自制心がありません。感情のコ
2024年2月24日 11:11
ある日の夕食の時のことです。私は女の子だからという理由で、家事手伝いをやらされていました。継母の食事作りの手伝い、食後の洗い物は、私の仕事でした。器に料理を盛り付けるとき、味噌汁が入った鍋が置いてあったので、それを温め、家族分を盛り付けようとしました。継母は、「あんたとお兄ちゃんの分だけでいいよ」というので、その通りにしました。そして食事が始まり、味噌汁を一口、飲んでみ
2024年2月24日 11:00
継母の暴力と暴言に耐えることができたのは、「父を守りたかった」ただそれだけでした。母との離婚後、毎晩、泣いていた父の姿を、もう二度と見たくありませんでした。「私が我慢すれば、離婚にならず、父を守れる」子供なので、こんなふうに思ってしまったのです。兄も暴力に耐えていましたが、どんな思いだったのか、わかりません。今にして思えば、私たちが耐えたからといって、父を守れるなんてこ
2024年2月24日 09:41
ある日の昼間のことです。継母がヒステリーを起こして、父に怒りを爆発させていました。何で怒っていたのか、覚えていません。怒鳴りつけ、物を投げつけ、父に「出て行け!」と怒鳴る継母。私たちは、壮絶なシーンを目の前にして、固まって立ち尽くすしかありません。父は何も言わず、家を出ました。継母は私たちを睨みつけ「あんたたちも出て行け!」と、怒鳴りつけました。私たちは慌てて家を出て、
2024年2月24日 09:33
ある時、継母が私たちに、怒りの形相で、こんなことを言いました。「あんたたちのお父さんは、私の貯金100万円を取り上げて、宗教団体に寄付してしまったんだよ」と。外面がよく、世間体を気にする見栄っ張りの父は、大切な家族のお金を、平気でそんなことに使っていたのです。家族5人は、2万円の6畳2間の狭い団地に住み、宗教団体には100万円も寄付するなんて、どう考えても、間違ったお金の使い方だと、大
2024年2月22日 23:25
ある日の昼間、学校から帰ってきた私たちに、継母は怖い顔でこう言いました。「お父さんに、お母さんと離婚してくださいって、言いなさい」継母は自分からは言いづらいから、私たちに嫌われたように装って、離婚をしようとしたのでしょう。「はい」と返事はしたものの、仕事から帰ってきた父は、あたたかい家庭に帰ってきたという、とても嬉しそうな笑顔。そんな笑顔を見たら「離婚してください」など、とても言え