子供時代【13】唯一の希望の光
私はいつも、父の実家の電話番号を書いた小さな紙を、お守りのように大切に持ち歩いていました。
父の実家には、父の兄である、私の伯父が住んでいます。
何かあったら、おじさんに電話をかければ、きっと助けてもらえる。
そう思うことで、毎日のつらい暴力に、耐えることができました。
「きっと、おじさんなら、私たちを助けてくれる。」
「でも、もう少しだけ、我慢してみよう。」
「我慢できなくなったら、電話をかければいいんだから。」
その思いだけが、私の唯一の希望の光でした。
そして、頭の片隅では、このようにも思っていました。
「もしも、電話をかけても、おじさんが助けてくれなかったら・・・。」
私にとって重要なのは、本当に助けてもらうことよりも、「きっと助けてもらえる」と、強く信じることでした。
だから、本当に電話をかけても、助けてもらえなかったらと思うと、怖くて、きっとかけられなかったでしょう。
「きっと、おじさんなら、私たちを助けてくれる」
という、
この、唯一の希望の光を、失うことのほうが、怖かったのです。
人は、絶望したときに、心が死んでしまうのだと思います。
私が強い心を持ち続けることができたのは、唯一の希望の光を持つことで、絶望しないですんだからだと思います。
世の中で、虐待を受けて亡くなってしまう幼い子供たちは、体をとことん痛めつけられて、弱って息絶えていくだけではないのです。
心までもとことん痛めつけられて、悲しくて、辛くて、苦しくて、怖くて、・・・誰にも助けてもらえない・・・と絶望しながら、亡くなっていくのだろうと思います。
幸いにも私は、虐待で亡くなることはありませんでしたが、10歳の子供が、大人の力で、手加減なく頭や顔を、ゲンコツや平手で何度も殴られていたので、当たりどころが悪ければ、亡くなっていたかもしれません。
今にして思うと、心底から恐ろしく思います。
当然、継母も父も、そんなことは想像しないでしょう。
もしかしたら、殴り続けたら、子供が死ぬかもしれないと、想像ができないのです。
*次の記事は
「父はなぜ助けなかったのか」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?