何にでも納豆をぶっかけて食べる人
言ってしまえば身体の作りからしてそうだ。基本的に女性はやわらかくできている。
考え方も直線的で単純な男性とは逆でミルフィーユみたいにいくつかの層に分かれた思考で構成されているイメージがある。
同じように女性が作るメロディーラインは丸い。
とにかく何にでも納豆をぶっかけて食べる人に出会った時のように、自分なら作らないメロディーだったりコード進行に出会うとドキッとする。
確かに同じ世界を生き、同じものを見ているはずなのにどうしてこんなに違って見えるのだろう。
女性の書く文章が好きなのはそんな「確かにあったのに見えなかったもの」がたくさん散りばめられているからだ。
台所にずっと置いてあるおたまの色だとか、風呂上がりの火照った顔をりんごに例えたりだとか、普段の生活なら見落としてしまう些細なものが印象的に描かれている。
自分のありきたりの中にはきっと誰かにとっての「おもしろい」が詰まっている。僕なりのおたまやりんごが誰かにとって何か気になることになる。
当たり前に見ている風景は退屈なんかじゃない。ゆっくりと歩けば目立たない路地にお好み焼き屋を見つけたりするみたいに、毎日が同じように見えてもまだまだ見落としていることがあるはずだ。
誰かと話して、違う見方を知って、世界をどんどんカラフルにしていきたい。
焼きそばに納豆をかけるのを見て「うわー気持ち悪い!」とか言いながらそれを美味しいと思う人がいるということを楽しんでいくのだ。
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