yukke(ゆっけ)

思い出を語ったり、思うことを綴ったり。 音楽や小説、アニメが好きです。 スキやコメント…

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思い出を語ったり、思うことを綴ったり。 音楽や小説、アニメが好きです。 スキやコメントが励みになりますので、よろしければスキだけでもタップお願いします。

最近の記事

居場所がない

居場所がない。 家はある。夫もいる。 友人だっている。 しかし、心の居場所がないと感じる日々だ。 もしも、わたしが生まれてこなかったら、兄は大学を中退せずに卒業できただろう。 兄は妹の私を想って、途中で大学を辞めた。 もしも、わたしが生まれてこなかったら、少なくとも我が家はもう少しお金に余裕のある生活ができたかもしれない。 もしも、わたしが死んだと身内や友人が知ったら。 どんな表情をするのだろう。 どんな気持ちになるのだろう。 こういった希死念慮が毎日わたしを襲

    • 父親と縁を切りたい理由

      お金の無心。 こういったものは家族間でも起こるものなのだろうか。 父は随分昔から、母にお金の無心をしているようだ。 そして、その愚痴を母から延々と聞かされる。 たまったものではない。 額は大体いつも数十万円。 ギャンブルをしない父だが、一体何に使っているのだろうか。 本人は「生活費が足りない」などと言っているようだが…… それにしても、母に対して精神的暴力・経済的暴力を行う父が嫌いだ。 わたしから父にお金の無心について言ったら爆発するかもしれない。 そういう

      • 専業主婦の葛藤から得たこと

        わたしは以前「専業主婦の葛藤」というnoteを書いた。 まだ読んでいない方はそれを読んでみてほしい。 さて、あれから少し経って、得たもの(正しくは得た"考え"かもしれない)がある。 それは、わたしがネガティブなことを考えている時に仕事の話しをされると、自然と夫の仕事姿を想像したり、職場を想像したりしてネガティブなことから目を背けられることだ。 もちろん、夫の仕事の話しでしんどい時もある。 しかし、別のネガティブなことを考えている時であれば、それは頭をリフレッシュさせ

        • ギャンブル依存症

          わたしの知人は言った。 「ギャンブル依存症は不治の病」 だと。 本当にそうだろうか。 少なくとも、わたしはギャンブル依存症から脱し、その人にとって満足な生活を手にした人を知っている。 もちろん、ギャンブル依存症を患っている人全員が治るわけはないと思う。 それは、人それぞれだから。 わたしの知人は思い込みから「不治の病」などと言ったのだと思う。 しかし、わたしは不治の病だとは思わない。 だからどうか、ギャンブルで悩んでいる人がそのことから脱し、その人にとって納

        居場所がない

          専業主婦の葛藤

          わたしは、仕事を辞めて専業主婦になった。 その代わりに、個人事業主をしていた夫が企業に転職した。 毎朝早起きして夫とわたしの分のお弁当を作り、夫を見送り、家事をしたり昼寝をしてみたりしている。 「専業主婦」と聞くと、いいなぁと感じる人もいるだろう。 だが、わたしにとって専業主婦は葛藤である。 "外で働きたいけど家で好きに過ごしていたい" という気持ちがあるからだ。 わたしには精神疾患がある。 精神保健福祉手帳の等級は2級だ。 精神的に不安定になりやすいため、外

          専業主婦の葛藤

          自分の存在価値

          私には希死念慮がある。 いつから芽生えたのだろうか。 少なくとも、20歳の頃に双極性障害と診断されて以降それを強く感じるようになった。 生まれてこなければよかった。 何故この世に生を受けてしまったのだろう。 わたしは生きることを望んでいない。 消えたい。 他人は私みたいな人を「メンヘラ」と扱いネタにする。嫌いだ。 有期雇用で働いていた会社で、代表取締役からパワハラを受けた。 馬鹿にした態度で「この仕事向いてないんじゃないの」と。 新卒の社員にかける言葉としては

          自分の存在価値

          フォロー整理させていただきますね。 私からのフォローが切れた方はわたしのこともフォロー切っていただいて大丈夫です。

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          人が死ぬということ

          知人が亡くなった。 いくら知人といえども、悲しいものは悲しい。 励ましのつもりでメッセージを送ってきた人が、「短い命だったのぅ」だとか「お悔やみ申し上げます♪」だとか送ってきて、私はそれに憤怒した。 故人で勝手に遊ばないでほしい。 故人とご家族の名誉のためにもそれ以上喋るな。 そう思った。 人にはいつしか死がやってくる。 それはいつかわからない。 明日かもしれない。 自分のことでもあるけど、知人や友人にもあり得ることである。 そんな時、私は故人とご家族を慮れる人

          人が死ぬということ

          パワハラ上司

          わたしは明日、パワハラ上司と戦ってくる。 わたしは新卒で働き始め2ヶ月目になる。 慣れない環境に引っ越した。 体調不良や生理によるめまい、吐き気で欠勤・早退していることだけに目を向けて、業務習得状況には触れず、上司の言いたいことだけを言われてきた。 "事務職のほうが向いてるんじゃないの" など、暗に「この仕事は向いてない」と言われたのだ。 まだ2ヶ月目なのに。 言い方も言い方だ。 こちらのヒアリングの内容は薄く、先述した通り自分の意見だけ投げかけてくる。 わた

          パワハラ上司

          電車に乗っているとき

          今回は日常生活で私が思うことを綴ろうと思う。 電車に乗っているとき。 あと少し席を詰めてくれればもうひとり座れるのにな、とか、乗降時、体を半分避けてくれれば肩と肩がぶつからないのにな、とか思うことがある。 それを意識できないひとは、なんでわざと舌打ちしたり、睨んだりするのだろう。 私なりに考えてみる。 まずはじめに、自分が避けるという考えを持っていない。 次に、誰かが避けるだろうと思い込んでいる。 そして、避けるという考えがそもそもない。 この3つが多くの人に当て

          電車に乗っているとき

          わたしの家族、ハムちゃん

          こんばんは。 yukke(ゆっけ)です。 眠れないので、今夜は我が家のハムスターをご紹介します。 まともな写真がないのでそれはご勘弁ください。 あえて名前は伏せて「ハムちゃん」としましょう。 性別は雄です。 ※いつもに増してまとまりのない文章ですが、よろしければ暇つぶしにでも読んでいってください。 ハムちゃんと出会ったのは去年の9月頃。 7月下旬生まれのハムちゃんはまだまだちびっちゃかったなぁ。 最初はハムスターの里親募集でお迎えすることも考えましたが、現実問題

          わたしの家族、ハムちゃん

          動物ってなんでこんなに心があたたまるの?

          こんばんは。 yukke(ゆっけ)です。 寝る前にひとりごとを綴ろうと思います。 私は幼い頃から動物が大好きでした。 しかし、喘息で飼えず、初めて飼ったのは毛の抜けないハムスターでした。 その後、喘息も改善されて動物愛護センターから保護犬を譲渡していただきました。 ハムスターも、犬も、飼ったことはないけどうさぎや猫も。 毛の生えてる動物ってなんでこんなに癒されるんだろう。 触れているとこころがじんわりあたたかくなりますよね。 次回からは動物についてのnoteを

          動物ってなんでこんなに心があたたまるの?

          わたしの母は毒親だった?

          前回の続き。 これから綴る思い出は、成人式に行きたくないわたしと、成人式に行ってほしい母のやりとりだ。 叔母や祖母も、わたしが晴れ着を着て成人式に行くことを楽しみにしていた。 しかしそれは、母のような異常なほどの期待ではなく、「行くんだったら楽しみだね」というようなものだったと思う。 「お母さん、わたし成人式には行きたくないな」 この言葉で、普段温厚な母が徐々に狂っていった。 「どうして?中学時代のお友達のせい?」 「せっかく晴れ着を借りたんだから」 「人生で一度しか

          わたしの母は毒親だった?

          わたしの母は毒親なのか

          前回は父の思い出話を綴った。 今回は母について思うことを綴ろうと思う。 わたしの母はとても聡明で強かなひとだ。 そして、どこまでも優しい人である。 ある部分を除いては、とても出来たひとだと娘ながらに思う。 ある部分。 過干渉。 娘への依存。 過干渉であると言っても、友人の家に泊まるときは、連絡すれば「楽しんでおいで」と言ってくれる。 たとえ当日でも、連絡さえすれば家に帰らなくても大丈夫だった。 こまめに連絡をとっておけば、だが。 母の過干渉はその程度で、ひとによ

          わたしの母は毒親なのか

          わたしの父は毒親なのか

          わたしは物心ついたときからずっと、この上なく両親に愛されてきたと思っている。 もちろん「優しい」だけじゃなく、「厳しい」側面もあった。 でも、それは躾のためだ。 おかげでわたしは、手前味噌になるがどこに出しても恥ずかしくない人間になれたと思う。 そんな風にわたしを愛してくれた両親が、「毒親」ではないかと疑ったエピソードをひとつ、思い出そうと思う。 わたしの家庭はそこそこ貧乏であった。 両親の仕事は伏せるが、とにかく貧乏だったのだ。 そのため、高校と大学は奨学金を貸与

          わたしの父は毒親なのか

          わたしの家族の思い出

          はじめまして。 yukke(ゆっけ)です。 noteでは、思い出を語ったり、思うことを綴ったりします。 わたしは父方の祖母が生きている頃は5人家族だった。 家族構成は【祖母、父、母、兄、わたし】 祖母は生前、よく転んで怪我をする人だった。 その度に傷口に消毒液を垂らし絆創膏を貼っていた。というより、医療行為が好きな子どもだった。 そんな祖母が、急逝した。 原因は不明。 持病をいくつか持っていたので、それが要因かもしれない。 わたしは祖母が亡くなったとき、不思議と悲

          わたしの家族の思い出