わたしの母は毒親なのか
前回は父の思い出話を綴った。
今回は母について思うことを綴ろうと思う。
わたしの母はとても聡明で強かなひとだ。
そして、どこまでも優しい人である。
ある部分を除いては、とても出来たひとだと娘ながらに思う。
ある部分。
過干渉。
娘への依存。
過干渉であると言っても、友人の家に泊まるときは、連絡すれば「楽しんでおいで」と言ってくれる。
たとえ当日でも、連絡さえすれば家に帰らなくても大丈夫だった。
こまめに連絡をとっておけば、だが。
母の過干渉はその程度で、ひとによっては「そんなの過干渉と言わないよ」と感じるだろう。
もうひとつの、娘への依存。
これがわたしにとって厄介なものであった。
忘れられないエピソードがあるので、思い出しながら綴る。
あれはわたしが20歳になった年。
年明けには成人式が待っていた。
わたしは成人式には行きたくなかった。
理由は中学時代まで遡る。
中学時代に人間関係に悩み、中学校生活の約半分を登校拒否や別室登校で過ごした。
わたしは人間嫌いなのだが、そのきっかけとなったのが中学時代の環境なのだ。
平気でクラスメイトを掃除ロッカーに閉じ込める同級生たち。
その子をばい菌扱いして、孤立していたその子にわたしが話しかけたら「見ろよあれ」「うわ、話してる」とヒソヒソ話していた。
自分で言うのも違う気がするが、いじめを阻止しようと試みたこともある。
一応入っていた部活の顧問は、わたしのヘルプを無視した。
別の教師に相談しようとしたら、序盤で笑い飛ばされたこともある。
その積み重ねで、わたしは中学時代に、どんどん人間が信用できなくなっていった。
辛い時間は長く続いた。
成人式に行けば、当時の中学校の同級生と顔を合わせるということになる。
考えただけでも吐き気がした。
涙が出た。震えが止まらなかった。
だから、わたしは母に言った。
「お母さん、わたし成人式には行きたくないな」
一方母は、わたしが晴れ着を着て成人式に行くことを、何よりも楽しみにしていた。
母は死産を2回経験していた。
そのうえで生まれたのが兄とわたしだった。
過干渉なのはそのせいなのかもしれない。
話しを戻す。
母方の叔母の子ども、所謂いとこたちは男兄弟。
母方の家系は男ばかりで、女の子はわたしだけだった。
母方の祖母や叔母からも、「唯一の女の子だから」とお嬢様扱いされていた。
つまり、叔母や祖母もわたしが晴れ着を着て成人式に行くことを楽しみにしていたのだろう。
母ほどではないだろうが。
まだ長くなりそうなので、続きは次回に綴ることにする。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
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