わたしの家族の思い出
はじめまして。
yukke(ゆっけ)です。
noteでは、思い出を語ったり、思うことを綴ったりします。
わたしは父方の祖母が生きている頃は5人家族だった。
家族構成は【祖母、父、母、兄、わたし】
祖母は生前、よく転んで怪我をする人だった。
その度に傷口に消毒液を垂らし絆創膏を貼っていた。というより、医療行為が好きな子どもだった。
そんな祖母が、急逝した。
原因は不明。
持病をいくつか持っていたので、それが要因かもしれない。
わたしは祖母が亡くなったとき、不思議と悲しくならなかった。
それはきっと、だんだん体を動かすことができなくなった祖母の介護をしなくて済むようになった。
解放されたと思ったからかもしれない。
いくら医療行為が好きと言っても、力のない子どもが80歳以上の介護をするには大変だった。
祖母はわたしの誕生日に亡くなった。
十数年経った今でも、自分の誕生日が迫ると祖母のことを思い出す。
決して、祖母の介護をわたし一人が担っていたわねではない。
しかし、子どもながらに「両親も働いてるし何かしなきゃ」と思うものなのだ。
世の中には「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもがいる。
ヤングケアラー: ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと。 責任や負担の重さにより、学業や友人関係などに影響が出てしまうことがあります。(こども家庭庁)
わたしはこのヤングケアラーに当たるのだろうか。
少なくとも学業に影響は出ていたと思う。
詳しい方がいたら、是非コメントしていただきたい。
話を書き始めたのはいいものの、オチが見つからないので、思い出話はここまでにしよう。
次回は、わたしの両親について思うことを書こうと思う。
先に言っておくと、わたしの両親は所謂「毒親」である。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
では、また。
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