わたしの母は毒親だった?


前回の続き。
これから綴る思い出は、成人式に行きたくないわたしと、成人式に行ってほしい母のやりとりだ。




叔母や祖母も、わたしが晴れ着を着て成人式に行くことを楽しみにしていた。
しかしそれは、母のような異常なほどの期待ではなく、「行くんだったら楽しみだね」というようなものだったと思う。






「お母さん、わたし成人式には行きたくないな」



この言葉で、普段温厚な母が徐々に狂っていった。




「どうして?中学時代のお友達のせい?」
「せっかく晴れ着を借りたんだから」
「人生で一度しか経験できないんだよ」
「お母さんの頃は仕事で帰省もできなくて、成人式行けなかったんだよ?」
「おばちゃんやおばあちゃんも、楽しみにしてるんだよ?」



母は明らかに脅すような声音になり、わたしを見る目がぎらぎらとしていた。
更に、母の事情だけでなく、叔母や祖母の名前も出してきた。




母は、自分が行けなかった成人式に行ってほしい気持ちをわたしに押し付けるだけでなく、叔母や祖母も楽しみにしているのに悲しませる気か、と暗に言い始めたのだ。


それは最早会話ではなく、母からの一方的な罵声のようなものだった。



怖くなったわたしは、「わかった。行くよ」と言うしかなかった。



しかし、成人式の日が近づくほどわたしの精神面は厳しいものになり、もう一度母に行きたくないことを言った。



「……………はぁ」




聞いたことのない、深く深刻なため息だった。
言い返すことも、ごめんなさいも、何も言い返せないほどのため息であった。



焦ったわたしは急いで言葉を紡いだ。

「わかった。行くよ。でも、辛くなったらすぐ出てくるよ。それでもいい?」と。


母は「そう、行こうね」と、いつもの優しい声音に戻った。




成人式当日の朝。

わたしは母に晴れ着の着付けをしてもらった。
どうやら「娘に晴れ着の着付けをすることが夢」でもあったらしい。


着付けが終わり、メイクを直して母に見せると、それは満足そうな笑みをこぼしていた。

その笑みは、「母自身の夢が叶った」という笑みであることは言葉を交わさずともわかった。




その後、わたしは成人式へ行き、無事式が終了し帰路についた。




「たしかに中学時代は色々あったけど、成人式行けて良かったでしょ。思い出になったね」


母の言葉だ。


数年経った今でも、母は「娘の晴れ着を着付けるのが夢で、着付けたんです」と、知人にわたしの晴れ着姿の写真を見せることがある。

写真じゃなくても、「成人式行けてよかったね」と大勢の前で満足気に言うのだ。





このエピソードがきっかけで、わたしは母を毒親認定した。


娘のことを思うなら、せめて晴れ着を着付けて家で写真を撮るだけでも良かったのではないかと思うからだ。


母は今でも言う。


「成人式行けてよかったね」と。




ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

次回はなにを綴ろうか考え中です。

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