丸山剛/ライター・編集者

ライター/編集者。株式会社クリックネット代表取締役。『不登校ゼロ、モンスターペアレンツ…

丸山剛/ライター・編集者

ライター/編集者。株式会社クリックネット代表取締役。『不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力』(木村泰子・出口汪共著、水王舎、2016年)、『「みんなの学校」から「みんなの社会」へ』(尾木直樹、木村泰子、岩波書店、2019年)の企画・構成を担当。

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最近の記事

「評価」をなくしたら、子どもたちはもっと クレイジーにワイルドに「自分をつくる」ことができる

対話を重ねる中で、どうしても木村泰子さんに聞きたかったのが「評価」についての考え方。会社と学校ではもちろんその意味は違うのですが、評価する立場にある自分自身、評価するってどういうことなのか改めて考えるきっかけになりました。 評価には相当な知見と覚悟と責任が必要 ――コロナを機にリモートワークが一気に広がりました。その裏で「評価」の在り方が問われるようになっています。僕も経営者として頭を悩ませています。 泰子さん:そもそも、評価の目的って何? ――会社の場合は、給与や人事

    • 「みんなの学校」から学ぶ(2):自分の言葉を獲得しながら「自分をつくる」場所が学校

      私たちにとって想定外の事態となっているいま、木村泰子さんとの対話を「みんなの学校から学べることは何か」というテーマで連載しています。その第2弾をお送りします。 10年後の社会で通用する力を獲得するのが学校――先日、あるビジネススクールで教える女性の経営学者の方を取材したんですが、コロナをきっかけに変わりつつある組織におけるリーダーの条件は、「自分の言葉を持ち、言語化できること」とおっしゃっていました。 泰子さん:まさに大空小学校で、子どもたちが獲得してきた学力ですね。

      • 「みんなの学校」から学ぶ(1):怒りや不満を乗り越えられるのが対話

        2015年に出会った映画「みんなの学校」には、私たちひとり一人が社会で暮らしていくために大切なことがたくさん詰まっていました。そして、この事実を一人でも多くの方に伝えたいと思い立ち、映画の舞台となった小学校の初代校長である木村泰子さんとともに、書籍を企画したり、勉強会や合宿を開催してきました。いま、コロナ禍で学校も社会も企業もさまざまな問題を抱えています。私自身、モヤモヤを抱え生活するなかで、何か自分ができることはないかと考えていたところ、木村泰子さんとじっくり考える機会をい

        • ソウルの魅力:ミュージカル編

          初めてミュージカルを観たのは、大学の卒業旅行で立ち寄ったニューヨークで同じゼミのミュージカル女子に誘われた「オペラ座の怪人」です。もうその衝撃といったら。舞台装置、音楽、衣裳、演出など、どれをとっても今まで観たどんな芸術とも比べ物にならないほどインパクトがありました。 翌日には一人で、「ミス・サイゴン」のチケットを取って観にいくくらい一度で虜になりました。この作品もとにかく曲が素晴らしかった。カーテンコースの後、観客が退場する際、オケピから聞こえる「命をあげよう」のメロディ

        「評価」をなくしたら、子どもたちはもっと クレイジーにワイルドに「自分をつくる」ことができる

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        • 「みんなの学校」から学ぶ(木村泰子さんとの対話)
          3本
        • 大学受験体験記
          3本

        記事

          ソウルの魅力:危険な韓国語編

          韓国料理って意外にチーズが多用されてます。 現地では、「チジュ」って言わないと通じません。 チジュダッカルビ イインブン ジュセヨ。 (チーズダッカルビ 二人分 ください) 韓国語と日本語はルーツとか難しい話は分かりませんが、似ています。 例えば、「マッサージ3分無料!」は「マッサーシ サムプン ムリョ」です。 ハングルは、ローマ字だと思えば簡単です。母音と子音を組み合わせればオッケーなので、読むだけなら読めるわけです。ただ発音が難しいです。そして、「ザ」という表記がな

          ソウルの魅力:危険な韓国語編

          ソウルの魅力:チムチルバン編

          過去、1年間に18回海外に行ったことがありました。 その半分は1泊2日のソウルでした。 何回かに分けて、本文で一切写真を使わずソウルの魅力を語ります。 韓国という国は、物心ついたころから自分にとってとても想像しやすい国でした。愛知県豊橋市にある実家の隣に、在日の同級生が住んでいたからです。小学生のころの私のひそかな楽しみは、土曜日学校から戻ってきたら、その子の家に行くことでした。そこは玄関を入ると土間になっていてそこが台所でした。 オモニ(お母さん)がお昼をごちそうしてく

          ソウルの魅力:チムチルバン編

          就活覇者100人のシンプルな共通点

          これまで100人くらいの学生さんに取材して、就職活動についての記事を書いてきました。例えば下記のようなものです。 全員に共通していることが一つだけあって、それはとてもシンプルなんですが、皆さん本当に「ハキハキ」しています。それぞれストーリーは異なるのですが、それを私に話す際の「伝え方」が、驚くほど上手なのです。 上手といっても、いかにも訓練された話し方というのとは違って、対等な「おしゃべりに近いような対話」が成り立つんです。いわゆる心地よい会話のキャッチボールができるとい

          就活覇者100人のシンプルな共通点

          テレワークに信用や信頼は邪魔。

          うちの会社は、数年前から、2名の正社員がリモートワークしていました。 初めて経営者としてリモートワークに向き合ったのは、健康上の理由で電車に乗れなくなった社員への対応でした。 リモートワーク導入にあたり不安だったのは、一人の例外を認めたら、他から同様のニーズがあった際、断れないということでした。 実際にリモートワークを導入し、オフィスワークのスタッフにとっては、ほんのちょっとの確認なども、チャットツールなどで行わねばならず、かつ相手のタイミングによってはなかなかレスがな

          テレワークに信用や信頼は邪魔。

          二つの夢へ向かって

          20才になった僕。今何をしているんですか。大学生、サラリーマン。12才の僕には分かりませんが、小学生の時に、2つの夢があったんです。 第一になりたかった職業は、ファッション関係でした。自分がデザインしたり、作った洋服を、周りの人が着てくれるなんてとても、素晴らしいことだと思ったからです。 もう一つの夢は、小さくてもいいから、きっさ店を開きたいことでした。自分で作った物をみんなが食べてくれたりして喜んでもらいたいからです。 ファッション関係にしてもきっさ店にしても、みんな

          旅が狂うほど好きになったきっかけ。

          初めて飛行機に搭乗したのは、中2の夏休みでした。小6の時、旅行パンフレットで見た沖縄の青さが頭から離れなくなってしまい、いつか絶対に沖縄に行くんだと決めていました。 テストで10位以内に入ったら、沖縄に行かせてほしい。そう両親にお願いし、ガイドブックを脇に勉強して勝ち取った沖縄行きのチャンスでした。 どうやって旅を始めるのか。中学生で、もちろんスマホなんてない時代だったから、迷わず日本交通公社(現JTB)のカウンターに通いました。今思えば何度も何度もやってくる中学生の相手

          旅が狂うほど好きになったきっかけ。

          家出のおかげで初めての家族旅行が実現

          子供のころ「家族旅行」に連れて行ってもらったことは一度もありませんでした。高校まで実家で過ごし、大学進学を機に上京しましたが、家族そろって泊りがけでどこかに出かけた思い出が一度たりともないのです。 小学校の修学旅行で旅行の楽しさを知った私は、家族で旅行に行けないなら、一人で行けばいいと思い、中学1年の時、成績が上がったら夏休みに一人で伊豆に行きたいと父にお願いし、詳細な旅行プランを立てました。伊豆稲取温泉にホテルを予約し、バスで観光名所を巡りました。このころから分厚い時刻表

          家出のおかげで初めての家族旅行が実現

          へんてこな二世帯住宅に生まれ

          小学生6年の時、自宅を建て替えるまで、我が家はとても不思議な構造でした。 まず玄関がありません。正確に言うとあったんだけど、独身の叔母との2世帯で暮らしていたので、玄関は叔母の領域にしかつながっておらず、丸山家には台所につながる勝手口があるだけ。サザエさんでいうと、三河屋さんが入り浸る小さな入口です。 勝手口を入ると唐突に台所。初めて来た友達は大概びっくりします。6畳ほどに4人掛けのダイニングテーブル。そして脇には、浴室に通じるドアがあります。脱衣所はないため、母親が入浴

          へんてこな二世帯住宅に生まれ

          ピアノが縁で決まった海外留学と熱狂できる大学との出会い

          1990年。今から30年前に、アメリカ・カリフォルニア州にあるVacavilleという小さな町にある、Vacaville High School という高校に1年間留学しました。現地ではみんな略して「Vaca High」と呼んでいました。そう「バカハイ」。そのため「バカっていうのはね、Stupidって意味なんだよw」と丁寧に教えて回っていました。 高校に入学してから、英語の楽しさに目覚めた私は、成績が上がったことをいいことに、同居していた叔母に「実力を試すためにアメリカに行

          ピアノが縁で決まった海外留学と熱狂できる大学との出会い

          第一志望・東京芸術大学と書いた初めての進路調査

          高校に入学してすぐの進路希望調査。第一希望として記入したのは「東京芸術大学音楽学部作曲科」でした。 当時、とにかくピアノが好きでした。そのきっけとなったのは、中学の時に見た、キョンキョン主演の「少女に何が起こったか」というドラマです。「薄汚ねえシンデレラ!」ってやつです。 どうしてもキョンキョンと賀来千香子が弾いていた「ショパンの革命」が弾きたくて、突然親に「ピアノが欲しい」とお願いしました。さすがに無理だと言われ、中古のエレクトーンをあてがわれました。ちなみに、鮎が食べ

          第一志望・東京芸術大学と書いた初めての進路調査

          担任の一言で偏差値をダブルスコアに。

          私の会社は創業当時から様々な「大学」のWEBサイトやコンテンツ、システムを作っています。そのため、大学にかかわる様々なステークホルダーを取材させてもらっているため、おのずと自分の関心は、教育・キャリア分野へと向かっていきました。 そこで、普段は大学生に受験体験記を取材している私自身の受験体験記を紹介したいと思います。 僕は中学時代、些細なことで自分の学校に行けなくなり、隣の中学に転校して、不登校という状況を脱しました。そのため高校進学においては少々遠回りをしています。

          担任の一言で偏差値をダブルスコアに。

          1000人から教えてもらったことを

          銀座で2002年に起業。WEB周りの仕事をしています。 ライター/編集者として仕事をすることが多いのですが、 WEBサイトのプロデューサー、そしてほんの少し経営者をしています。 2016年から社会人大学院生として、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に在籍。2020年4月より、同大学社会デザイン研究所にて研究員として「エイブル・ソサイエティ」なるものを大学院時代の同期らと研究しています。 愛知県豊橋市で生まれ育ち、大学から晴れて東京へ。 地味な顔立ちなのにチャラい大学に

          1000人から教えてもらったことを