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ピアノが縁で決まった海外留学と熱狂できる大学との出会い

1990年。今から30年前に、アメリカ・カリフォルニア州にあるVacavilleという小さな町にある、Vacaville High School という高校に1年間留学しました。現地ではみんな略して「Vaca High」と呼んでいました。そう「バカハイ」。そのため「バカっていうのはね、Stupidって意味なんだよw」と丁寧に教えて回っていました。

高校に入学してから、英語の楽しさに目覚めた私は、成績が上がったことをいいことに、同居していた叔母に「実力を試すためにアメリカに行かせて」と、旅行パンフレットを手に毎晩プレゼンし、憧れの「ハワイ&ロサンゼルス」への一人旅を見事ゲットしたのです(ツアーだけど)。さらに高1の春休みには、3週間のホームステイに行かせてもらいました。その際滞在したのが、Vacaville です。

ホストファミリーとしてお世話になったのが、Mcminds 家。ほんとに底抜けに明るい家族でした。ホストマザーのDebiは特に元気で、音楽が大好きな肝っ玉母さん。だから僕がピアノを弾くとすごく喜んでくれました。そして小学生だったMattが、「プロが弾く演奏より好き。だって、僕たちのためだけに弾いてくれるから」とお別れのメッセージカードに書いてくれちゃって、本当に離れがたい思いで帰国しました。

帰国後、エアメールが届きました。そこには、「1年間ピアノを勉強しにアメリカに来ない? うちに住んで学校に通いなよ」と、びっくりなオファーでした。迷うことなくすぐに心を決め、その日のうちに国際電話で、「行きます!」と返事。こうして高2の夏の終わりに、最安値だった大韓航空ソウル経由のオープンチケットを手に、渡米したのです。しかし、実際ピアノは……習いませんでした。「習う習う詐欺」をはたらいてしまいましたが、Debiは「ピアノは一つのきかっけ。来てくれたことがうれしい」と。感涙。

さて受験の話に戻すと、英語学年TOPで出発したにも関わらず、高3の6月に帰国すると、10位まで下がってしまいました。油断した。受験英語まったく勉強しなかったから。夏休み直前で、そろそろ志望校を絞る時期。焦りました。ちなみに、現地での単位を振り替えたので留年はしていません。

もともと大学って、よくわからなかったんです。兄の受験を横で見ていて、「なぜ大学って、いきなり法学とか経済学とか文学とか、仕事に関係ない勉強をするんだ!」とそもそも納得がいってませんでした。これまで教科を勉強していた高校生が、いきなり法学? 意味不明。という感覚です。だから、入学当初の、ピアノが好き=音大に進学というのは、実に当たり前の選択肢でした。

さあどうしようか。音大は無理だと目を覚ました後は、外国語学部に行こうと思っていたのですが、帰国してみると、改めて英語勉強するのもなあ……そんな具合で、志望校難民になっていました。そんな時、キラーンと目の前に入ってきたのが、「立教大学 社会学部 観光学科(現在は観光学部)」という文字。何で知ったのか覚えていませんが、これだ! と思いました。海外を経験して、英語を使えそうな「JTB」に入りたいと考えるようになっていたため、大学と職業と直結したわけです。なぜピンポイントでJTBかというと、中2の時、沖縄に一人旅した際、日本交通公社(現JTB)のカウンターに何度も何度も通ってお世話になったからです。

絶対にここがいい。しかもキャンパス超かっこいいじゃん。文字面もかっこいいし。そして、立教の中でもダントツ偏差値高い! と一気にテンションが上がる志望校に出会えたのです。こだわりの強い自分は、何するか想像できない学部に行くのがいやで、観光という分かりやすいワードが付いたこの学科に出会えたのはラッキーでした。そこからは得意の集中力で、夏休みから受験日まで、猛勉強が始まりました。平日は5時間、休日は8時間。部屋の壁に、「必勝! 立教大学 社会学部 観光学科」と張り紙をして、頑張りました。

本命の観光学科以外にも、「チャラい大学」と検索するとヒットする大学をいくつか受験しました。不思議なもので、大学に行きたいという強いモチベーションを持つようになってからは、たとえ観光落ちても他でもいいかなと思うようになってきました。だからやはり最初のきっかけが大事なんですね。火が着けばあとはこっちのもの。

受験のため東京に10日ほど滞在しました。出発直前、ホテルの予約を何と1カ月間違えていることが発覚。直前だったためまともなホテルは空いてなく、渋谷道玄坂のちょっと怪しいホテルに泊まっての受験でした……。

無事第一志望に合格し、迷いなく入学手続きをし、池袋線沿線に部屋も借りました。偶然、音大生用のアパートでピアノ持ち込み可でした。しかし数日後、記念受験した慶應文学部から合格通知が届いたのです。「志望校のために努力した結果のおまけ」と考えていましたが、高校の先生と両親の強い希望、極めつけは「JTBはどっちに行っても入れるから」と説得され、はるばる練馬から日吉まで通うことになったのです。

P.S 2016年、立教大学大学院に進学し、あこがれだったキャンパスに学生として通うことができきました! そして、観光学部に関しては、数年前WEBサイトをつくらせていただきました。2度入学金を払いましたが、仕事でしっかりと回収させていただいております。

おわり。

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