【凡人が自伝を書いたら 49.店長デビュー戦(上)】
僕はかつて無いほど、気合が入っていた。
よし、やってやろうじゃないか。
初店長で担当する店が、新規のオープン店舗。これは会社でも前例がない。
これは、あまり「王道」を歩くのが嫌いだった僕にとって、うってつけだった。入社3年の間に、通常の店舗営業のほかに、本部の社員採用、新規店舗のオープンチーム。そんな職歴を持っている人間は同期でも、少し上を見ても僕しかいなかった。
大抵は店舗で下積みを積んで、副店長になり、さらに経験を積んで店長になる。それが普通だった。
僕は全然違う。それが少し「特別感」があって、嬉しかった。
ここでなんとしても、大成功を収めて、「我ここにあり」と会社全体に知らしめるのだ!(鼻息荒め)
今思えば、少し力が入りすぎていた。
「店長の重み」
新店舗の店長の業務は予想以上に重たかった。(早速)
正直、もっと楽勝だと思っていた。(あまい!!)
店舗が出来上がるまでの間、ひっきりなしに業者からの連絡があり、必要であれば立ち会った。正直、専門的すぎてよくわからない質問も多かった。
その対応をしつつ、応募者への面接対応をし、教育のスケジュール調整をする。研修生が多い時には、僕自ら研修をすることもある。
これはなかなかに大変だった。
僕がオープンチーム出身だったこともあり、僕の店舗には、正規のオープンチームが配属されることはなかった。社員は通常通り配属されたが、新店舗立ち上げに関しては、経験が無かった。
年上の社員2名に、入社3ヶ月の新入社員が4名という体制だった。そして初めの1ヶ月だけ、社員研修課から2名の社員が支援に来てくれるとのことだった。
新入社員に関しては、まだまだ教えることばかり、年上社員にはお願いできるところはお願いしていたが、完全に頼れるかといえば、そうではなかった。
この店が成功するかどうかは、完全に僕次第だ。
僕はそう思っていたし、上司や周りの人間もそのように言っていた。
それが今思えば、「店長の重み+α」として、僕に乗っかっていた。
「最強・最高の店」
研修終盤になると、僕も徐々に時間が空き、研修にも本格的に参加することができた。
今までの反省を生かし、研修を担当する社員には、細かいことまで、できる限りの統一を事前に行っていた。さらに、そこで決まっていない内容に関しては、僕に確認するということで、あらかじめ話がついていた。
その成果もあってか、ありがたいことに、調理・接客どちらに関しても、スタッフは順調に成長を遂げていた。
そして、実戦形式の予行練習の時間を通常より多めにとった。
その頃の僕は、その実践形式でのスタッフたちの動きを見て、どこを教えて、改善すれば良くなるのか、細部にわたって、分析することができるようになっていた。
「この時の、腕がドーム状に動いているから、こんなふうに直線的に動かす事で、より速く、より綺麗に見える。」
「この時に、ついでにこれまでやるようにすれば、一往復減らせるから、もっと楽に、速く作業できる。」
「背筋をピンと伸ばすことで、背中でも支えられるから、背中を曲げて、腕だけで持つよりも、楽に作業ができる。それにその方が見た目も美しい。」
そんなふうに細部にわたって指導していたため、「もっと早く」なんて言い方をするより、スタッフに伝わり易かった。スタッフ自身も僕の教えを実践すると、目に見えて作業が向上するため、信頼もされていた。
またもや、「神」と呼ばれ(正直、半分恥ずかしい)、スタッフたちもその「社歴」から考えれば、「神スタッフ」になっていった。
社員研修課の2人も、僕の指導とスタッフの成長には、目を見張っていた。
「店が落ち着いたら、新入社員研修の講師してよ。」
そんなことも言われていた。
「僕のこだわり」
そうやって、自分なりの店を作っていく中で、今まであまり気にしていなかった、僕自身のこだわりに気がついた。
それは、「美しくあること」だった。
飲食店として、店や、料理が美しいことはもちろんのこと、僕は「作業の美しさ」にもこだわっていた。
おそらくこれは、学生時代の「ソフトテニス」に対するこだわりと似ていた。
美しい作業は、無駄が少なく、速い。
最小限の動きだから、労力も少ない。
自然な動きをするため、物を落としたりするような、ミスも少ない。
雑さがないから、服や、作業場が汚れることも少ない。
傍目に見ても、動き自体が美しい。
僕の作業が色々な人から評価されていたのは、突き詰めれば、こういうことだった。
速くて楽、ミスも少ないから、失敗したり、怒られたりすることも少ない。むしろ、お客には喜ばれることが多いから、働いている方も気持ちがいい。
お客からしても、待ち時間が少ない。ミスが少ない。スタッフがガチャガチャやるような慌ただしさもない。常に余裕を持った対応を受けることができる。
これは、スタッフにとっても、客にとっても「Win-Win」だ。
これが僕の「大義名分」となっていた。
8月の祝日に、店がオープンした。
一般的に飲食店で、8月は「繁忙期」と言われる。しかも夏休みの祝日。初日から「爆売れ」することは間違いなかった。
こんな時期にオープンすることは、通常はなかった。いきなり忙しすぎると、その分「リスク」が高いからだ。
ただ、僕も、周りの社員も、なんならスタッフたちも、
「イケる。」
そう思っていた。
その予測通り、オープンから大盛況。それでも大きな問題なく、難なく営業できた。
僕が見てきた中では、「最高のオープン営業」だった。
スタッフたちが自分で考え、連携する。社員の指示もあまり必要とせず、なんなら、絶妙な連携も取れていた。僕の今までの学びと経験、スタッフへの教育の成果が確実に実っていた。中には、僕自身が驚かされるような働きぶりをするスタッフもいた。
この時から、僕と言えば「教育」
キャッチコピーではないが、僕の「代名詞」として、それは広く伝わった。
スタッフの指示も絶大だった。
学生・主婦問わず「店長!店長!」と持ち上げてくれた。
しょっちゅう食事に誘われ、暇があれば、飲み会を開いた。
「夏の沖縄」という土地柄、雰囲気もあり、まるでお祭り気分。
本当に、楽しくて、日々が充実していた。
店の方も「最強の新店」と言われ、僕自身の評価もうなぎ上りだった。
この店が終わったら、次は「エリアマネジャー」。そんな噂も聞こえてくるようになっていた。
「順風満帆」
この言葉が、ピッタリだった。
ただ、僕もまだ、所詮は「26歳の若造」だった。
時間が経つとともに、少しづつ、少しづつ、「ズレ」ていった。
ここから、僕の「最大の試練」が始まった。
つづく
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