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【凡人が自伝を書いたら 55.総の国(前編)】

なになに?

千葉県は昔、良質な総(ふさ)=麻がよく育ったことから、総の国(ふさのくに)と呼ばれていて、なんやかんやあって、上総国、下総国、安房国の3つに分かれた。だから「房総半島」。

ふむふむ。へー。(どうでもいい)


「千葉県」にやって来たのは、大学生の時のサークルの全国大会以来だ。

あん時は楽しかったなぁ〜。なんて思いながら、「師走の千葉」で車を走らせ、僕の配属先の店舗にやってきた。

ほー。これは「売れそうな」店だ。

その店舗は、社内の売り上げランキングでも、必ずトップ5内には名前を連ねる店だった。

千葉県の大きめの駅の、目の前というか、ほぼ直結している店だった。24時間営業で、朝からサラリーマンが詰めかけ、ランチタイムはサラリーマンや、主婦さんたちの集団で、大変賑わう店だった。

特にランチタイムの売り上げは、会社の中でもトップの売り上げを誇っていた。土地柄、平日も土日も関係なく、ひたすらに忙しい。そんなお店だった。

へー。「社長と喧嘩して飛ばされた」割には、なかなかいいところじゃないか。

よーし。いっちょやりますか。

僕は、忙しい店が大好物だったので、テンションも上がってきた。

僕は何故か意気揚々と「肩で風を切り」、店舗に挨拶しに行った。


「大所帯」

この店はとにかく人員が豊富だった。

ベテランの主婦さんチーフを筆頭に、アルバイトスタッフ主体に回っている店だった。これだけ人が揃っているんだから、前の店長も優秀な人だったのだろう。

ほー。いいお店だなぁ。率直にそう感じた。

正直、僕無しでも、十分にやっていけるお店だった。以前いた店長も、この店にはあまり手をかけず、近隣の店舗に営業支援ばかり行っていたようだ。

良くも悪くも自立した店だということだ。

それでも、やっぱりこの大所帯を主婦さんチーフ1人で切り盛りするのはなかなか大変だったのだろう。若干不満が溜まっているようにも見えた。

現状の良さは崩さずに、僕にできる限りのことを+αできればな。

そんなふうに思っていた。


「大所帯だからこその問題」

人が多ければ、お店が回しやすくなるから、売上は取りやすい。労務環境も限りなくホワイトだ。

ただ同時に、「統率」を取るのが大変になる。「教育」もなかなか行き届きにくくもなるのだ。

「統率」と「教育」これにチーフは頭を悩ませていた。

「教育」は得意分野だが、「統率」かあ。

よく考えれば、こんな大所帯のお店は経験が無かった。以前までやっていた「新店舗」は、人数的にはこの店と変わらない、もしくはそれ以上の大所帯だったが、そのスタッフたちは、全て僕が採用し、教育した「弟子・子供」のような存在だった。

大人数の店舗に、信頼も無いなかで、ぽっと入ってきた経験は無かった。

僕は何かの本で読んだのか、誰かから聞いたのか。

「ユニット制」の話を思い出した。

米軍かなんかのルールで、「1人が完全に管理できる、つまり目が行き届く人数は8人まで」なんてものを聞いたことがあった。

僕はこれを思い出し、じゃあ僕は、各時間帯のアルバイトマネジャーを管理する、そのアルバイトマネジャーが、その下のアルバイトスタッフを管理する。そんな感じでいってみるか。

うん。ちょっとやってみますか。

そんなことを思っていた。実はこの流れ、新入社員時代に普通に習っていたが、片耳で聞いていたため、忘れていた。(愚か者)


「信頼を勝ち取る」

僕はこれまでの経験の中で、何となく「信頼されやすい方法」みたいな方法論はあった。

別にどこかの偉い人が言っている「真実」みたいなものでは無かったが、経験として、ある程度の自負はあったのだ。

それは、①高い能力があること ②情緒が安定していること ③利己的でないこと ④相手のことをよく知っていること ⑤話を聞いてくれる人だと思われていること ⑥僕のことを相手が知っていること

大きくこの6つだった。(多分、一つくらいは正しいこともあるだろう)

他にも、愚痴を言わない、とか、否定から入らない、みたいな細かなことはあったが、それも含めて大切にしていることがあった。

特に、初めの1ヶ月なんかは、ほとんどそれだけを意識して働いていた。

僕は割と上手くやっていた。スタッフから、特にチーフやアルバイトマネジャー、ベテランの主婦さんなんかからは、割と信頼されていたように思う。

最高の店長だ。なんてことも言われていた。(おだてられ、コーヒーやお菓子をおごらされたことは内緒である。)


「戦力外通告」

アルバイトスタッフにKさんという、20代半ばのフリーターの女性がいた。Kさんは社歴が1年ほど。元々、接客業が大好きで、うちで働きつつ、就職活動をしている子だった。

いつも、元気な挨拶で出勤し、勤務中も持ち前の笑顔と元気さで、お客ウケもよかった。働きぶりを見れば「接客業が大好き」なことは、すぐにわかった。お店の元気印、ムードメーカーのような存在だ。

ただ、この子は僕が来る前、以前の店長から、ほとんど「戦力外通告」を受けてしまっていた。もちろんクビにはされることは無かったが、常にやるポジションは一緒、お皿を下げることと、オーダーを取ること。それ以外は許されていなかった。

何故なら、この子は「過度なテンパり癖」があったのだ。

忙しくなると、すぐに何をやったら良いかわからなくなる。指示してもよくわからない行動をする。別の作業をしているうちに、指示を忘れてしまう。そんな感じだった。

そんなだから、ミスも多く、忙しい時には店長やチーフから怒られることもしばしばだったようだ。

結果、人がいない時には、使ってもらえるが、そうでない時には、働きたくてもシフトに入れてもらえない。そんなふうに悩んでもいた。


「Kさんを使うわけ」

僕は、そんなKさんを普通にシフトに入れ続けた。特別扱いしたわけではない。他のスタッフと同じ水準まで戻していたのだ。

ある時、Kさんはそのことに感謝しつつも、やはり思うところがあったのか、僕に訪ねてきた。

「店長。。今よろしいですか?」(非常に腰の低い人だった)

「おお。もちろん。」

「こんなこと聞くの、変かもしれませんけど、、どうして店長は私を普通に使ってくださるんですか? 前の店長の時は、毎日、毎日怒られて、シフトも週一か二、そんな感じだったのに。。」

気持ちはわかった。

僕自身は、仕事で怒られたことはほとんどなかったが、高校生の頃までは、周りの3倍、いや10倍くらいは怒られていた。反省文もかき集めれば一冊の本になるくらい書いた。(それはちょっと盛りすぎ)

人は怒られると、やばい。とか、申し訳ない。とかは思うが、具体的にどこがどう悪かったのか、どう改善すればいいのかなんてことはわからない。もっと言えば、怒られた内容さえもほとんど覚えちゃいないのだ。

だから僕は、改善のために、この時のこれは良くない。こうなるのが正しいから、ここをこうやる必要がある。そのためにはこういうことをしていく必要がある。

そんな感じに指導していた。


Kさんを使い続けていたのには、一つの理由があった。

それは、彼女がいることで「店の雰囲気が明るくなる」からだった。

Kさんがいる時といない時では、店の雰囲気が全く違った。つまり、他の人が持っていない、ムードメーカーとしての能力を彼女だけが持っていたからだ。

これをそのまま伝えると、Kさんは、嬉しがっているような、納得したような、そんな反応をしていた。


「テンパリ癖のわけ」

テンパリ癖がある人は、アルバイト時代から何人も出会ってきたし、教えてきた。

ある共通点があった。

それは、皆、いわゆる「とてもいい人」で、ある意味「視野が広く」、「責任感の強い」人たちだった

そうであるからこそ、あれもしなきゃ、これもしなきゃと気がついてしまい、しかも自分がやらなきゃ、となる。結果、自分のキャパシティを超えて、「テンパって」しまう。

逆に「テンパらない人」はある意味ドライだ。今やるべきこと、そうで無いこと、自分がやること、任せるべきこと、こういうことを判断できる人間は「テンパる」ことはないが、「選択」をしているという点では、ある意味「ドライ」な人間なのだ。

どちらが良くて、どちらが悪いという問題ではない。

どちらにも、そういう特徴がある。

そういうことだ。

この話をして、その判断基準みたいなものを教えると、「テンパリ癖」のある人も、大抵は解決してきた。少なくともテンパることは少なくなった。

この「Kさんがテンパるのは、いい人である証拠」という言葉は、彼女にとってすごく意外だったようだ。彼女の中では、「テンパる」というのは、「頭が悪い、仕事のできないやつ」でしかなかったからだ。

それが彼女を萎縮させ、さらにパフォーマンスを落とし、ミスを増やし、自信を追い詰めていた。

この話を聞いて、少し心が「救われた」ようだった。

そこから一瞬で、彼女の問題が解決したわけではなかったが、チーフに怒られた時でも、平謝りするだけでなく、分からないところは質問し、具体的にどうすれば良いのかを聞くようになっていた。

僕自身も、営業中の動き方、考え方、連携のとり方なんかを、説明したり、やってみせたりした。

時には、「将棋」なんかを例に出しながら説明した。(センス)

今のはねえ、「相手の駒」の目の前に自分の「歩」があるのに、わざわざ遠くから、「金」かなんかを動かして、その駒を獲ろうとする。その間に、自分の駒が取られちゃう。そんな感じだよ。そこはね、最初っから「歩」で獲っちゃえばいいんだよ。(センス)

たとえが適切かどうかには、議論の余地が大いにあったが、彼女は目に見えて変わっていった。それは、僕らだけでなく、高校生のアルバイトでも気がつくくらいの変貌ぶりだった。

そんな感じで、順調に時が過ぎていった。

つづく

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