『一流人の夢を叶える思考法』第一章・無料全文公開
書籍『一流人の夢を叶える思考法』より、第一章「夢の叶え方」の全文を公開します!
※内容は出版時(2017年)のものになります。
まず夢を持つ
夢を叶えるためには、まずその夢を持っていないことにははじまりません。
こうしたい、こうなりたいという、ちょっとしたきっかけから夢につながっていった人も多いかと思います。
今はまだ夢らしい夢を持っていないとしたら、見つけることからはじめてみてください。それは自分の中にあるので、自分で探そうとしない限り見つかることはありません。
美術館や写真展などに行って、アートに触れるのもいいでしょう。音楽や演劇、サーカス、映画に読書といったものもあります。きっかけを与えてくれる人と出会うこともあるでしょう。それらを体験することは、自分が何に興味をもっているのか、どういったものが好きで、逆に嫌いであるのか、自分自身を知る手助けになります。
どのような部分に反応するかは人それぞれです。何か感じるものがあったとしたら、それに気づくこと、それと出会うことがとても大切なことです。
興味のもてたものや好きになったもの、そうしたものの中に、自分だけの夢へとつながる進むべきものがあると考えるのもいいのではないでしょうか。
自分がどうしたいのかがわかったら、何をするべきか自ずとわかってきます。わからなくてもまずは調べてみてください。そしてできることから一生懸命やってみます。やってみることで得手不得手がわかるので、それが少しでも得意なものだったらラッキーです。得意でなくても、時間をかければ大抵のものは上達します。
夢を叶えるために、まずは夢を持つことからはじめてみてください。
どうしたいのかがわかれば、何をするべきかわかるはず
やるべきことを当たり前にする
シルク・ドゥ・ソレイユに入って周りのアーティストを見たときに、一番強く感じたことが「当たり前のことを当たり前にする」ということです。ここでいう「当たり前のこと」とは、遅刻をしないことや人に迷惑をかけないといった、人として守るべき一般常識はもちろんのこと、体調管理やトレーニングといった、自分や仕事に必要なことです。それらがごく自然に習慣として行われている姿を目にしてきました。
基本のトレーニングですら疎かにせず、徹底して行っていること。繰り返し、繰り返し、繰り返し、行うのです。
ディレクターやコーチなど、所属する部署の上司からは、体調管理やトレーニングに関しての指示がほとんどありませんでした。ないといってもこちらから求めればもちろん、アドバイスをもらうこともできます。その上で、誰に言われなくても必要なことであれば毎日、当たり前にやるべきことを淡々とこなしているのです。
この当たり前にする、ということは地道に繰り返すことも多いのでなかなか難しいですが、夢を叶え続けてずっとトップでやってきているアーティストほど、きちんと行えているのではないかと思います。
このことが、ショーや自分の人生につながっていることを知っているからです。
そういったことが当たり前の環境に身を置くことで、自然と周りに感化されていきます。
新人のころは、ステージへの準備をどのように行っていったらいいかわかりませんでしたが、自分のやり方を模索し、周囲のやり方を学びながらよいものは取り入れ、必要でないことは排除し、徐々に自分にとってやるべき当たり前のことを構築していきました。
その中で他のアーティストに見た、やるべきことを当たり前にするのに必要な能力は、次の3つです。
1つ目は、やるべきことをどのようにどこまでやるかを正しく設定できる、目標設定能力。
2つ目は、やるべきことを結果が出るまでする、やり抜く力。
3つ目は、結果が出た後も同じように続けていくことができる、続ける力。
こうした「目標設定能力」「やり抜く力」「続ける力」を高くしていくことで、やるべきことを当たり前に行うことができているのです。
夢を叶えてきた人たちのやり方なので、夢の叶え方にも通じる能力です。
まずはゴールを定めます(目標設定能力)。そのゴールまでの距離を客観的に把握し、するべきことをリストアップします。するべきことを決めたら、それをできることからすぐにやりはじめます。そしてリストがすべてクリアできるように、やり抜きます(やり抜く力)。継続することが必要なものは、やり続けます(続ける力)。
やるべきことを当たり前にできるようになったら、きっとゴールは近いはずです。
自分で決めた目標設定をやり抜き、続けていく
努力は正しい方向で
この自分で決めた目標設定をやり抜き続けていくことを、周囲の人から見たものが「努力」ということになります。本人からすると、やるべきことをやろうとしているだけなので、努力しているとは思っていない方が多いです。
努力していると思ってもいいのですが、その場合はする努力に対して、どれだけの結果が得られるのか、きちんと分析できる能力が必要になります。そうでなければ「これだけ努力したのに、ほしい結果を得ることができなかった」ということになりかねません。
たとえば、パフォーマンスを上げる目的で行う筋力トレーニングがありますが、正しい知識や認識で行わないと必要のない重さや部位につながり、怪我といった障害となって逆にパフォーマンスを下げる原因となってしまうこともあるからです。
やるべきことをするといった努力は大前提として、その上で必要になるのが、自分が求める結果やゴールを得るための努力を正しい方向で行えているのかの分析能力です。
なわとびも他の競技も仕事でも、技術に関わることを上達させたいのであれば、やり方は同じです。
今の自分の実力を把握して、やろうとすることが求める結果やゴールにつながっていることを理解し、そこまでの距離がどれくらいあるのか知ること。そこまでに足りないものや、必要なことを行う上で、何が一番必要なのか選択できること。それを求めて練習を続け、どれだけの時間をかければ実現可能なのか、実感できることです。
2001年の第3回世界なわとび選手権大会には、なわとびをはじめてから1年後に出場することを決めていました。まず行ったのは、実力の把握と優勝するための距離を知ることです。第1回と第2回の世界大会での優勝記録を調べて分析し、自分の記録と比較して現時点でどれだけの差があるかを知りました。練習を重ねてく上での記録を分析し、練習方法を試行錯誤し、ルールの範囲内で競技に使用するロープを自作することや、種目によっては海外からロープを取り寄せることもします。世界のレベルを肌で感じるため、世界大会での上位国だったアメリカとヨーロッパに練習方法や技を教わりに行くこともしました。
このようにして足りないものを補い必要なことを行う中で、大会までに練習できる時間も少なくなっていきます。残りの時間と実力を分析した結果、個人総合で優勝することを狙うよりも、種目別でのメダルを狙うことに切り替えました。三重とびが連続で何回跳ぶことができるかという種目に照準を絞り、本番までの限られた時間と現在の実力で最大の結果を得ることができるだろうという選択です。
練習では過去の世界大会での優勝記録を抜くことができていたので、種目別のメダル獲得が実現可能であると実感できたのです。
結果としてその種目別は5位に終わりましたが、逆にいえば世界で5位です。最初の目標でもあった世界大会への出場は果たしました。さらに同時開催されていた、第1回アジアなわとび選手権大会での1位の座は叶えることができましたので、このまま正しい方向で努力を続けていけば、世界大会での優勝という、次の夢もまた叶えることも可能だと思えたのです。
努力は正しい方向で行えているかを分析する
チャンスのつかみ方
「なわとびやりませんか?」
日本で会社員として働いていたある日のことです。仕事を終えて家に帰ったときに携帯電話が鳴りました。受けた電話から発せられたのがこの言葉。なわとびでの身体表現の世界に入ることになる最初のきっかけ(チャンス)です。
何かのセールスや勧誘みたいですが、実際それがいったい何を意味しているのか、この言葉を聞いただけでは理解できていませんでした。
なわとびをやるということはどういうことなのか、疑問に思いますよ、普通は。
電話をかけてきた彼は、卒業した大学での一学年下の後輩です。
なわとびへの誘いの電話は、同じように何人もの人にかけていたことと思います。その何人もの人が断った後に、こうして自分のところへと回ってきたわけですが、同じように断ることもできたはずです。
では、なぜ断らなかったのか。
誘ってくれた彼の熱意やプレゼンテーションがよかったというのもありますが、それなら何人かは断らずに誘いに乗っていたことと思います。にも関わらず自分だけがそのときの誘いに乗ることになったのは、そのチャンスをつかむ準備ができていたからです。
その人にとってのチャンスが、別の人にはチャンスではないこともあります。
どのようなタイミングでやってくるのかもわからない、しかもくるときは突然のチャンス。それをつかめるかどうかというのは、準備ができているかどうかです。
その準備とは何か。
『精神的な準備』と『技術的な準備』に分けて考えられます。
まずは、『精神的な準備』とは何か。
なわとびに誘われた、という状況で考えてみます。
誘ってくれた彼はこう言いました。
「なわとびをはじめることによって、イベントなどのステージに立つといった、パフォーマンスをすることができます。また、なわとびをはじめることによって、1年後になわとびの世界大会に出場することができます」
身体表現によるパフォーマンスは、自分の中にあるものをどんな方法であれ表現して形に出したいと昔から考えていた点で、世界大会への出場は、以前にも競技スポーツを行っていたこともあった点で、この2つはやってみたいこととして受け入れることができました。
そして、この話を聞いたときに、イベントのステージや世界大会の会場で跳んでいる姿がイメージできたのです。
自分の内面と向き合って、自分の進みたい方向や、何をしたいのかわかっていること、少なくとも考えていること、そしてイメージできること。
これが、精神的な準備ができているということです。
やりたいという気持ちだけでもはじめてみることはできますが、そこに技術的な準備ができていれば、さらにチャンスをつかむ後押しをしてくれます。
その『技術的な準備』とは何か。
なわとびに誘われた当時の技術レベルで考えてみます。
日本のなわとび基礎レベルは世界的に見ても非常に高い国です。それは多くの小学校において、体育の授業になわとびが取り入れられており、さらにただ技ができるだけではなく、それが10回連続で成功するまで行う、といったように習熟の面でも優れているからです。
前とび、後ろとび、あやとび、交差とび、二重とび、といった技の名前を覚えていませんか。多くの人が子どものころに体育の時間で取り組んだことと思います。二重とびが跳べた、跳べなかった、何回跳べた、苦手だった、得意だったなど。このようななわとびの話題が、大人になった今でも普通にできるのは、日本くらいです。
小学生のころ、なわとびが得意だったことを覚えています。2年生では二重とびのことを連続で前とび20回跳ぶ技だ、と勘違いしていたこともありますが、6年生では三重とびが普通に数回跳べるくらいに、小学生としては基礎レベルが高いところまで習得できていました。
このような背景もあり、なわとびに誘われたときに基礎から次のレベルを少し体験したところ、さらに上のレベルにいけるのではないかとイメージできたことも大きかったです。
やろうとすることを行うだけの技術をすでにもっていること、あるいは獲得する見通しが立っていること。
これが技術的な準備ができているということです。
こうした準備ができていたからこそ、チャンスをつかむことができました。
自分のやりたいことがわかっておらず、なわとびにも興味をもてず、さらに不得意であったとしたら、なわとびへの誘いがあったときに準備ができておらず、チャンスをつかむことができなかったことと思います。
シルク・ドゥ・ソレイユに入ることになったきっかけ(チャンス)も同様です。
それは、オランダのなわとび友人からの1本のメールでした。国際ロープスキッピング連盟(FISAC―IRSF)の理事(当時)をしていた彼とは、なわとびをはじめて1年後に世界大会に出たことや、アジアへのなわとび普及の旅、ヨーロッパのなわとびキャンプへ参加したことで知り合いになりました。
彼からのメールには、こうありました。
「シルク・ドゥ・ソレイユがキダムというショーで日本ツアー(2003年~2004年)を行うにあたり、なわとびのアーティストを探している」
応募条件のレベルには達していたという『技術的な準備』と、より大きなステージでなわとびの演技をしたいと思っていた『精神的な準備』、この2つの準備ができていたので、応募することに決めました。技術レベルが全日本、あるいは国際レベルに達しておらず、より大きな舞台に挑戦したいという自分の内面がわかっていなかったとしたら、チャンスをつかむための行動を起こせていなかったことでしょう。
チャンスがいつやってくるか、それは誰にもわかりません。そのことがチャンスであったかどうかさえも、結果から判断するしかないようなものです。
ただ、チャンスがやってきたその適切なタイミングで、準備ができていることの重要さを考えてみてください。
必要になってから準備をするのではチャンスを逃します。
準備ができている人のもとに、多くのチャンスがタイミングよくやってくることでしょう。そのチャンスをつかめるように、準備は常にしておきたいものです。
チャンスをつかむための準備をしておく
運の正体
準備ができている方がチャンスはつかみやすいです。しかし、チャンスをつかむには別の要素があるのも確かです。
それが「運」です。
それでは、その「運」というのが何であるかを、シルク・ドゥ・ソレイユに選ばれてステージに立つ、ということから考えてみます。
冗談のようなこんな話があります。
シルク・ドゥ・ソレイユと契約した後に、アーティスティックディレクター(舞台監督)と話す機会があり、こう聞いてみたことがありました。
「なぜ私を選んだのですか?」
それに対して次の答えが返ってきます。
「君の髪が赤かったからだよ」
おそらく冗談だったと思いますが、確かにキャスティング部門に送ったパフォーマンス映像は、髪を赤く染めていた自分と緑に染めていたもう一人の、二人で跳んでいるものでした。
初めてショーのアーティスティックディレクターに会ったときにも髪は赤系に染めていましたが、髪の色はそのままにしておこうか、と言われたことを覚えています。
冗談ではないこんな話もあります。
キダムのステージに立って3年が過ぎようとするころ、当時のパートナーが引退することを決めました。それに伴って、キャスティングの人材データバンクから次のパートナーの最終候補に残ったのが二人の姉妹です。実力はどちらも申し分なし。最終的に妹のほうに決まりました。
アーティスティックディレクターと話す機会があったときに、また聞いてみました。
「なぜ彼女(妹)のほうに決まったのですか?」
それに対する答えは、こうでした。
「君との身長のバランスを考えて選んだんだ」
身長は姉のほうが高く、妹のほうが低かったのは確かです。
あながち冗談とも思えないその言葉に、自分ではどうすることもできない要素で決まることもあるのだなと思いました。
それでも数年後、姉のほうもまた別のショーで契約にいたりましたから、実力では何の問題もなかったのです。
実力が足りていても条件次第で契約にいたらないこともありますし、実力が足りていたからこそ、別の条件でのタイミングで契約にいたることもあるということです。
このように同じような実力の二人から一人を選ばなければならない場合、それ以外の要素で決まる場合があります。
髪の色や身長、そして条件に合うタイミング、そうした自分ではどうにもできない要素、それこそが「運」であると考えます。
「運」というのは自分ではどうにもできない要素、ということがわかりました。
では、どうにもならないからといってあきらめてしまうのか?
いいえ、あきらめません!
そのためにまず何をすればいいか?
それは、実力を向上させることです。
「運も実力のうち」と言いますが、その意味するところは次のようなことだと思います。
実力が伴ってこそ、運が左右する場所に立つことができる。
運が自分でコントロールできないのであれば、実力を上げることは自分でコントロールできることです。
実力を上げていくことで、運が介在する比率を下げていくことができると思います。
実力が高い方に多くのチャンスが回ってくることは確かなことです。
いずれにせよ、運で物事が決まる場所までいくには、そこまでの実力が伴っていないと、その運をつかみにいくことができないといえます。
逆に実力が伴っていれば、後はタイミング次第ともいえます。
「運」は自分ではどうにもできない要素
「実力」は自分でもどうにかできる要素
運を引き寄せる
運が自分ではどうにもできない要素だということがわかりましたが、それでも運の良い人というのはいます。
どうしたらその「運」を良い方へと引き寄せることができるのでしょうか。
シルク・ドゥ・ソレイユへの応募や、その後の契約更新のときに、結果として「運」を良い方へと引き寄せることができたと思うことがあります。
シルク・ドゥ・ソレイユの応募に際して、キダムのスキッピング・ソリスト募集の第一条件には、性別が女性とありました。
ここでの「運」すなわち自分ではどうにもできない要素は性別です。この「運」を良い方へと引き寄せる結果は、応募することと、実力で男性でも構わないとキャスティングチームに思わせることです。
募集の件を教えてくれたオランダの友人は、こう言って背中を押してくれました。
「君たちの実力は十分に足りている。ただひとつの問題は男性であるということだけなのだから、応募するべきだと思う」
このときに募集している性別とは違うのだからとあきらめ、連絡をくれた友人とその言葉に感謝せずに応募していなければ、「運」を良い方向へと引き寄せることはできなかったと思います。
こうして手にすることができた最初の契約は、日本ツアーのみの契約でした。
次の契約更新の前には、アーティスティックディレクターが数年はキープしておきたい、と話していたということも耳にします。そのアーティスティックディレクターからも次の契約があるかどうかは五分五分だよ、という言葉を直接もらっていたこともあり、なんとなく次の契約ももらえるものだと思っていました。
契約更新の時期になり、張り出された個別での契約更新スケジュールリストを確認すると、自分の名前はありませんでした。
そしてアーティスティックディレクターに呼び出され、次のように言われます。
「すまない。君に日本ツアー後の契約はない。実力が足りていないということではなく、単純に人数の(枠がないという)問題なんだ」
ここでの「運」すなわち自分ではどうにもできない要素は、契約人数です。
日本ツアーから契約したこともありわかっていなかったのですが、日本ツアーは週10回公演が基本で、それが1年以上にわたって続くというハードなものです。そのハードな公演を乗り切るために、バックアップ要員として確かキダムでは12人、通常の契約人数よりも多くのアーティストと契約していたのです。日本ツアー後は通常の契約人数に戻すため、増員として契約していたアーティストは全員、契約更新の話はなかったのです。自分もそこに含まれていました。
確かに日本ツアー前までは、スキッピングのソリストは女性一人でした。だから募集の条件にあった性別が女性で、バックアップを探していたのだと納得しました。
さらにアーティスティックディレクターは続けて言います。
「君の実力は十分にわかっている。できれば次の契約も用意したかったのだが、そうすることはできなかった。数年後に今のソリストが辞めたとしたら、次をお願いしたいと考えているし、君が望むのなら、別の演目のトレーニングをすることで別のショーへのオファーを出してもいい。ただしもう少し待っていてくれないか。少し考えていることがあるから」
なわとびそのものは続けてやっていこうと思っていたので、日本ツアー後の契約がなければ競技者に戻るか、パフォーマーとして別の道を探っていこうかと考えました。
そして次の契約がなくとも今の契約を全うし、最後まで真摯に今までと同じように取り組んでいこうと思いました。
シルク・ドゥ・ソレイユと契約することができ、キダムのステージでなわとびを跳ぶことができていること自体、幸運でありがたいことです。
このとき、次の契約がないことでモチベーションを落として実力を下げ、それが態度にまであらわれていたとしたら、そこで終わってしまっていたことでしょう。
やるべきことをして準備を怠らず、目の前のショーに全力で臨むことを続けていた数週間の後、結果として次の契約をもらうことができました。
日本ツアー後のクラウンアクトの変更に伴い、クラウンの人数が三人から二人に変更することになりました。その空いた一枠に入ることができたのです。
運が良い、運が悪い、というのは主観的なものですが、今までの経験からその良し悪しを判断しています。運が良い人というのは総じて「自分は運が良い」と思っています。そして、そのとおりに運が良いのでしょう。
「運が良い」と言っている人と「運が悪い」と言っている人、どちらが「運」を良い方へと引き寄せていると思いますか?
運の良い人たちは、運が良いと思える態度と考え方をしています。
起こった事柄に対して良い態度を選択し、その物事に感謝している人が多いです。そのことを「運が良い」と感じています。そういう態度と考え方が、さらに「運」を良い方へと引き寄せることになります。
また、運の良い人の近くにいることも、「運」を良い方向へと引き寄せることにつながります。これは、運の良い人の態度や考え方を身近で感じる(学ぶ)ことができるからです。
運の良い人に出会うということも、運のうちかもしれません。探せば周りの人間関係の中に、運が良いと言っている人が必ず一人はいると思います。その幸運を逃さないでください。
「運」を良い方向へ引き寄せるのは、実力・態度・思考・感謝
出会うこともまた運
誰かと出会うことによって、思いもよらない世界への扉が開けることがあります。そういう出会いは、今までもそしてこれからも、出会っちゃうものだと思います。
なわとびに誘ってくれた大学の後輩とは、自分だけでなく少なくとも彼の同期や先輩・後輩といった人たちが出会っています。その多くの出会いの中で、なわとびの誘いに乗ったのは自分だけでした。
シルク・ドゥ・ソレイユのアーティスト募集のメールをくれた、オランダのなわとび友人は、自分だけでなく彼が関わっていた国際ロープスキッピング連盟に所属するすべての人に、同じように情報を流しました。これをチャンスだととらえて募集に応じたのは、なわとび界全体からすると、それほど多くなかったのではないかと思います。
このように自分にとって運命を決める出会いであったとしても、他の人にとってただすれ違うだけの出会いである場合があります。
同じように他の人にとって運命を決める出会いが、自分にとってただすれ違うだけの出会いであったこともあり得るでしょう。
運命を決める出会いは、人それぞれにあると思います。
出会ったものに対して、どういう反応をして、何ができるか。
その結果として、その出会いがその人にとって意味のあるものになるのです。
さらに出会いに意味があるとするならば、その出会いには一体どういう意味があるのか、深く考えてみるのもいいでしょう。新しい気づきを与えてくれるかもしれません。
今までの人生で一度や二度は、そういう意味のある出会いがあったと思いませんか?
運命を決めるほどの出会いでなくても、出会うことで先に進めることや迷いが晴れること、幸せになることといった、小さくても意味のある出会いはありませんでしたか?
きっと感謝できる多くの出会いがあったことと思います。
出会うこともまた運ならば、感謝できる多くの出会いがあればあるほど運が良くなっていくことでしょう。
何もしないままでは出会いは生まれません。興味のあるイベントに出かけることや、誘われて何かをすること、または自分から誘ってみることで、きっかけが生じます。いつもとは違った場所へと飛び出すことや、旅をするのもいいでしょう。そこから新たな出会いにつながっていきます。
そのことに気づいていれば、これからも運命を決めるものや意味のある出会いに、あっさり出会えるのではないかと思えてきませんか。
そうした出会いがこの先にあることも、強く信じていいのだと思います。
まだ出会っていない人の中に、きっと大事な人もいることでしょう。
誰と出会うか・出会っているか、というのは、けっこう大きな意味のあることです。
夢を持つことのきっかけや、夢を叶えるための重要な要素になっているのです。
* * *
第一章はここまで!
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書籍『一流人の夢を叶える思考法』
■書籍情報
あなたには、叶えたい夢がありますか?
夢を持つことは素敵なことで、夢が叶うことはすごく素敵なことです。
ぜひその素敵なことを実感していただけたらと思います。
この本は、自分が夢を叶えようとする過程で経験したことや実践してきたことを、まとめたものになります。
これが夢を叶える一つのやり方として、読者のちょっとしたきっかけになったらいいな、というのが本書に一貫した思いです。
夢を叶えるためには、まず夢を持っていなくては始まりません。
なわとびという夢に出会った時、「何ができるか」を知りました。
なわとびという夢を叶えるためには、「どうやるか」も考えました。
そして夢が叶って現実になったとき、そこが終わりではなく、夢が叶ったその先にも道は続いていきます。
夢の叶え方も夢を叶えた人の分だけやり方があると思うので、そのうちの一つとしてちょっとしたコツのようなものです。
本書を読み終えた後、最終的に自分なりのやり方で、あなたが夢を叶える、あるいは夢を叶え続けることができたとしたら、とてもうれしく思います。
私は夢の持つ力を信じています。
夢を持とうとする人を、叶えようとする人を信じています。
【目次】
第一章 夢の叶え方
第二章 何ができるかを知る
第三章 どうやるかを考える
第四章 夢が叶ったその先に
【購入者特典】
シルク・ドゥ・ソレイユで経験した3つの教訓(PDF)
■著者プロフィール
田口師永
1976年長野県生まれ。東京都出身。石川県在住。
2000年からスキッピングロープ(なわとび)を始め、競技者、パフォーマーとして活動。
2002年の世界選手権大会で第3位となり、その後「シルク・ドゥ・ソレイユ」と契約。
2003年に「キダム」日本ツアーでスキッピングロープのソリストとしてデビュー。日本人初のツアーショー及び日本ツアーへの参加。
「キダム」では唯一の日本人として出演を続け、チームキャプテンやコーチの役割もこなし、終了までの13年間で訪れた42国(217都市)で、約4,000回のショーを行う。
帰国後はイベント出演やなわとび指導、講演活動などを中心にフリーで活動を開始。
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