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進む米国文化離れと日本の文化力 N165

 昔、海外=米国だった。海外ではマクドナルドはポテトがバケツのような紙容器に入って、ジュースもペットボトル並みのコップに入って出てくると小学校の先生が言っていたし、海外に行った友達も言っていた。だから人生最初の海外旅行はパリだったにも関わらずマクドナルドを覗いてみた。しかしそれは日本と全く同じサイズだった。その帰路はクアラルンプール経由だったので、やはりマクドナルドに行ってみたが、やはりサイズは同じだった。そのかなり後に米国に仕事で行く機会に恵まれて偶然マクドナルドに立ち寄って見たポテトのサイズは昔の記憶の通りのビッグサイズだった。それは昔の日本人は米国しか知らなかったのか、米国の影響が絶大だったのか。その両方だろう。  

 偶然、「社会実情データ図録(*1)」で面白いコラムを見つけた。「邦画がハリウッド映画が中心の洋画を逆転したという現象について、東京新聞の「こちら特報部」紙面ではこれを「進む米国文化離れ」として特集している(2012年5月21日)。日本人の洋画離れは、音楽や小説、留学での同様の現象、すなわち邦楽に対する洋楽のシェア縮小、米国文学の低迷、米国留学の落ち込みと軌を一にした動きだというのだ・・・日本人の米国文化に対する憧れの減退が根本理由ではないかとされる。・・・」とコラムを書いた人は米国文化の憧れが減退したことが原因と指摘している。  

 海外留学で言えばリーマンショックの前をピークに絶対数が減少している。これは若年層の人口減の要因があるので相対的な比率で見ると減っているとは必ずしも言えない。またバブル世代は箔をつけるために留学したし(親や会社が全部出してくれた)、団塊ジュニア世代は競争が激しかったためか国内大学を卒業した後に海外の大学や大学院を出て差別化しようと試みた。これらの世代と比較するとガツガツ感みたいなものはリーマンショック以降の人たちは希薄かもしれない。しかし米国が全てではないものの海外への関心が必ずしもなくなったとは思えない。  

 むしろ邦画に(邦楽や日本文学も含めて)力がついてきたと言うことだと私は思う。そもそも面白くもなければ邦画を見ることなどないだろう。ハリウッド映画は莫大なお金を投資して作成されるのでほぼ確実に面白い(保険会社が映画をレビューしてヒットするようにマネージしているのだ)。それに対してデジタル技術が発展して制作コストが昔と比べて抑えられるようになったので、廉価にコンテンツが作れるようになった。したがってそれなりの人が制作すれば面白い映画はできる。音楽も同じ理屈だし、小説はノウハウ本やセミナーが流通している(AIが今は小説を書く時代になっているし)。  

 つまり巨大なマネーでグローバル展開をするハリウッドとローカルで廉価な(やや内輪ネタ含む)邦画とで市場を分け合って、やや邦画が有利となっているのだろう。これはエンターテイメント業界に関わらず、いろいろな業界でも同じことが起きているのだと思う。デジタル業界はまさに一緒だ。

 となった時にローカルの邦画は世界に打って出ることはできるか?と言うと答えはYESだ。ただし内輪ネタをやめて他者にもわかる言葉に変えないといけないのと、巨額のマネーを用意してディストリビュートしないといけない。つまりリスクを取る必要がある。  

 実際これができないから日本は伸び悩んでいるのかもしれない。隣国の韓国の芸能界は世界展開に成功した背景を見ると国をあげてリスクを取っている(やりすぎと言うくらい)。  

1*) 社会実情データ図録「5666 邦画と洋画の公開本数および配給・興行収入の推移(2011年日本映画製作者連盟)」 

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