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生きることと幻想の間

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#日記

another world

another world

もう一人の自分が、「どこか」で暮らしている、という感覚になることがある。

都会の、古いマンションの12階。レースのカーテン。シンプルな家具。ベランダがあって。“わたし”はいつもTシャツとショートパンツを履いてる。髪は肩より少し長いくらい。軽くウェーブしている。棚の上には硝子の器にヒヤシンスが咲いている。レースのカーテンが風になびく。そこではいつも春と夏が続いていて、たまに一日二日、秋や冬が来る。

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240228

240228

珍しく晴れる。その下の土を思いながらざらついた雪を踏み締めて、祈りを込めて歩いた。一歩一歩、ただしく冬が行き春が訪れますように、と祈りながら。柏の枯れた葉がざわざわと挨拶をしてくれる。風が吹いている。あの山から、遠く、あちらの山まで。見えない道が敷かれ、糧を求める白鳥たちが声をあげて飛んでいく。

ふと目の前に湖があった。どこまでも続く巨大な湖だ。私はその中に波紋もなく立っていた。端は深い霧によっ

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beautiful code

beautiful code

世界は美しい暗号に溢れている。

そのとき見ている景色に、もう一つ別の、どこかの、いつかの景色が重なることがあった。それは過去に行ったことのあるどこかであったり、ネットや雑誌で見かけたことのある景色であったり、まったく情報も知らず行ったこともない異国、もっと言えば「ここ」ではない、地球にはないどこかの景色であったりした。

アート作品や器、音楽、鉱物もそうだ。
美しいものは景色を呼び起こし、重ね、

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水面のように揺らぐ

水面のように揺らぐ

小さな森へ行く。湖の水が少ないが、夏に感じた危機感のようなものはもう感じなかった。虫が多い。きのこと蜻蛉はまだ例年よりも少ない。歩いていくと色々な種類の蝶がふと思い出したように姿を見せる。

そこかしこに「どこか別の国の、遠い場所の」景色が重なっている。ここであって、同時にここではない場所の気配をまとい、妖精に手を引かれるようにして立てば、わたしは「ここ」からいなくなってしまうだろう、というような

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蝶葬

北向きの薄暗い部屋の床で、紋白蝶がもがいているのに気づく。いつのまにここにいたのだろう。秋の終わりに室内に入れた鉢にさなぎがついていたのだろうか。誰にも気づかれずに生まれ、必死に羽ばたいているが、よく観察するとひとつの翅が歪んでうまく飛べないようだった。

砂糖水を傍に置いたりしながら夜になるまで待っていたけれど、彼女はうまく飛べないままだった。虫かごに入れるのも、この部屋で育てるのも、嫌だと思っ

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冬と闇のこと

冬と闇のこと

大人と呼ばれる年齢になってから、冬を好きだったことがなかった。北国の冬はとにかく長く、暗く、寒く、やまもりに積もった雪に閉ざされた圧迫感が喉を締め付けて、うまく呼吸ができなくなって、いつも苦しかった。

単純に日光が足りないせいもあっただろうし、自分の心身の調子が悪い時期であったせいもあるし、人生のそういう期間であったせいでもあるだろうが、冬は特に救いようがない気持ちになることが多かった。自分に対

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雪の日の湖

雪の日の湖

雪が。降ってくる。周囲には誰もいない。木々がまどろみの中で。口ずさむ音。沈黙。沈黙という音――。狐の足跡が湖から続いている。湖から生まれた狐、を想像する。品のいいその尾は黒く、そして銀色に艶めくだろう。雪の降り止まない日の、湖に落ちた、木の影のような黒。晴れた日の、凍えるほどに寒い夜の、星の光。

幻影を追いながら歩く。動物になったつもりで、ひそひそと、足跡をつけていく。防寒具に包まれた身体は寒く

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宇宙卵のはなし

宇宙卵のはなし

お風呂に入ってお腹のあたりを軽くマッサージをしていたら、ふと思いついたことがあった。

女性はみな海を抱えて産まれてくるのだ、となんとなく思っていたが、その海水の中には卵があるのではないか。羊水が胎児を抱えるように、蛇が宇宙卵を産むように。

わたしの抱える卵は鶏卵より少し大きいくらいの、アクアマリンのような水色で、しかしあるときには朝焼けの色に染まり、あるときには雨の森の木々を、満天の星空を写し

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冬の竜と、竜の火

冬の竜と、竜の火

北国にて。

朝、ひどい怒りの発作に襲われて雪かきをすることにした。外は猛吹雪。空は雪雲に覆われている。絶えず吹き付けてくる風は冷たく、唯一防寒していない頬の感覚がわからなくなる。怒りにまかせて雪かきをする。有酸素運動。なかなかに辛い。でも無心になれる気がする。随分乱暴な祈りを、口に出さず唱えることができる。だって周りには誰もいない。誰もいない。みんな家の中にいる。わたしだけが、吹雪の中に立ってい

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