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冬の竜と、竜の火

北国にて。

朝、ひどい怒りの発作に襲われて雪かきをすることにした。外は猛吹雪。空は雪雲に覆われている。絶えず吹き付けてくる風は冷たく、唯一防寒していない頬の感覚がわからなくなる。怒りにまかせて雪かきをする。有酸素運動。なかなかに辛い。でも無心になれる気がする。随分乱暴な祈りを、口に出さず唱えることができる。だって周りには誰もいない。誰もいない。みんな家の中にいる。わたしだけが、吹雪の中に立っている。なんだって許されている気がしてくる。わたしの残虐な怒りが発散される。

雪がいきもののようにうねり、わたしはそのなかでひたすら動く。わたしの中で燃え盛る火。わたしと周囲の人間を焼こうとする竜の火。わたしの頭上に巨大な竜がいるような気がした。自然の猛威、このひどい吹雪をつかさどる暴虐の竜。そしてそれはわたしの中の火と繋がっている。

かつての人々がなぜ自然の猛威を鯰や雪女など「見える形」にあらわしたのか、わかった気がした。人々はそれを「わかりたかった」からだ。できるなら親しくしたかったから。見えないままではわかりにくいそれを「見える形」にして、手を伸ばせば届くような、まるで願えば耳を傾けてくれるような形にして。

「それ」を自分の世界に招き入れる。

「見える形」にされたものたちは、人間に区別され、善悪のラベリングをされ、あるいはされず、祀られたり言い伝えられたり、人々の呪いを集めたり集めなかったりしただろう。

わたしの冬は巨大な竜となって頭上を飛ぶ。いつのまにか怒りの発作はおさまっていた。
幻視や幻想が人を救うこともある。あるいはただそれだけが。