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現代的論語3 人からの評価のためにではなく自分のために努力する

人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子ならずや。
「人が自分の存在を認めてくれなくても、怨むことなく、自ら為すべきことを努めてやまない人は、なんと立派な人物ではないか」

『仮名論語』 学而第一より

学んだり、働いたり、得意なことを頑張ったり…
誰しもエネルギーを注げる何かを持っているはずです。
趣味でも、特技でも、SNSで発信することでも。

それらを頑張る目的は、自分を高めたい、成長したい、得意分野を極めたいなど、自己を磨こうという思いが根っこにあるはず。

あくまで自分磨き。
自分の成長のため。

人に自慢するために、人から褒められるために頑張るものではないはず。

確かに人間には承認欲求があり、
誰かに認められたい、成果に対して良い評価が欲しい。
そう思ってしまいます。
でもそれにばかり捉われると、とても窮屈にもなります。

「いつも皆にすごいと言われなければ気が済まない。でも言ってもらえない。つらい…」
「こんなにいろいろしてあげたのに反応も見返りが無い、ムカつくな…」
「友達のSNSのフォロワーは多いのに、自分は少ない…どうしよう」

そんな風に思ってしまうこと、多くないですか?

・自分のしたことに対して、相手からすぐに喜びの言葉や、称賛の言葉を言ってもらえないと苦しくなる。
・何においてもトップの成果を出さないと人から認めてもらえない気がする。
・フォロワーやいいね、スキの数がとにかくほしいから手当たり次第にフォローやらいいね、スキをしまくり、お返しのフォローなどをもらおうとする。
・それだけしたのに、フォローもいいねもスキもしてもらえなかったら、「何だこいつは!」と言って腹を立てる。
・そして、仕返しとばかりにフォローを今度は外して回るなど。
そんな人もいますよね。

思うように自分を評価してくれなかったら、スキになってくれなかったら突き放す。
それは随分と身勝手なことではないでしょうか。

認めてもらえないからと言って一方的に不愉快になり、一方的に切り捨てるのは、本来成し遂げようとしていた目的から本質的に離れてしまっていますね。
人に認めてもらいたいくせに、自分は相手に対して愛情も思いやりもない行為をしてしまう。
非常に残念なことです。

耳障りの良い言葉、目に見えて分かる評価、数値化されるものに振り回されて、本当に自分が極めよう・楽しもうと思ったことは何だったのかが分からなくなります。
評価や数を主軸にコミュニケーションする・しないを決めるのもまた可笑しな話。

賞賛や評価、数で示されるもの、そういったものがないと仕事が成り立たない人もいる時代ですので、必ずしも悪いとは言いませんし、必要な場面ももちろんあります。
ただ、それはそれとして、本来の目的や成し遂げたいと思った根本的理由を忘れないようにしなければ意味がありません。
本来の目的と最初に思い描いていた理想が変わってしまいます。

思うような反応をもらえなくても、すべては自己責任。

自分の満足のために頑張りたいことを頑張れば良いのです。

がむしゃらに自分のしたいこと、好きなことをやっていくうちに、たまたま人から褒められ、認められたらラッキー。
それくらいの気持ちでいる謙虚さが大事です。

万人に認められる必要はありません。
全員に好かれるはずもありません。
手当たり次第に数集めのためだけにSNSを頑張っても仕方ありません。

数を得たいのは、それだけ自分自身に発信したい思いがあり、それを広く皆に知ってほしいから。
本来はそれが目的のはず。
それが、誰よりも数を集めた!自分はすごいんだ!と言っているようでは小さい人間のままです。

自分を評価してくれる人、称賛の言葉、フォロワー数など、それは頑張るあなたの姿をたまたま目にして、応援しようと思ってくれた有難い人達と言葉達です。
本来、頑張りの中で得られたラッキーなのです。
自分を応援してくれている人、すごいと思ってくれた人に感謝できているかどうか。
仕事も生活も、SNS一つにしても、どなたかのお世話になって今があります。

そういった思いでいつも感謝の気持ちと、人生はラッキーの積み重ねで成り立っていると思える人は、遅かれ早かれどこかで成功する人でしょう。

その心なく、些細なことにも感謝できない人に成功はないでしょう。
今は一見、成功している人であったとしても、そのうち崩れていきます。
人間性のボロが出て、残念なところが浮かび上がって、人も成功も遠ざかっていきます。

承認されることに固執することをやめましょう。
承認されるためではなく、自己を磨き上げるために、好きなこと・頑張れることに取り組みましょう。
そこでたまたま褒めてくれた人に感謝し、その人達の思いに恥じない振舞いを心掛けましょう。

自ら為すべきことに努めてやまない人は、とても立派な人です。

『現代的論語』では章句をとりあげ、現代に合わせて考えるならこのような言葉だろう、ということを記事にしていきたいと思います。
現代人になじみやすく、イメージしやすい事柄で解釈をしていくことで、もっと論語を身近に、耳が痛い言葉もありつつも身に染みる…そう感じてもらえたらなと思います。
共に論語を学ぼうではありませんか。

マガジンに論語に関する記事を収録しています


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