moeka

彷徨うポスドク。Twitter&Instagram → _mo_e_ka_

moeka

彷徨うポスドク。Twitter&Instagram → _mo_e_ka_

マガジン

  • セクシャリティ/ジェンダー

    クエスチョニングを自認する私のセクシャリティに関するコラム。関心の深いジェンダーについての論考もこちらにまとめます。

  • 摂食障害と私

    現在、うまく付き合っていけている摂食障害について。数字や薬品名など具体的な記述のあるものは有料記事としています。

  • フランス留学記

    2020年2月~3月まで、フランスにて短期の語学留学をしてきた。その記録。思い出。

最近の記事

生活、折り合い、矛盾

考えていること、研究していることと、実生活は、しばしば矛盾する。 例えば、研究のキーワードに「ジェンダー」がある研究者が盗撮で逮捕される。 例えば、フェミニズムの文脈で分析を行う大学教員が、家ではパートナーに横暴な態度をする。 例えば、日本に在留する外国人への支援をと呼びかける団体の中の人が、留学生に差別発言をする。 例えば、帝国主義に異論を唱える教員がが学生にパワハラをする。 こういったことは、よく遭遇するし、よく耳にする。 慣れてしまうほどに、本当によくある話。 ま

    • お金のこと。

      コンビニでお昼ご飯を買う。 つまらないお弁当とチルドカップのカフェラテ。 800円程度。 これに食後のチョコレートなんて買うと、1000円程度。 45分お昼休憩に食すものたちは、私の時給を超えてくる。 いいんだ、ものが高くなるのはいいんだ。 生産者や労働者には正当な賃金が支払われるべきだから。 もともと、私は安いものが少し怖い。 最近流行りの激安の中華系ECサイトは開いたことすらない。 100均も、300円均一も怖い。 安くてペラペラの来年には着れなくなる形のレディース服が

      • 「宙吊り」の可能性

        摂食障害真っ盛りの頃の私は、食べたもの、体重、体脂肪を毎日記録し、感じたことをとにかく手帳やスケッチブックに書き込んでいた。 当時の私は、書かないと忘れてしまう、なかったことになってしまうということにひどく怯え、自分が生きているという証をできる限り残した。当時のブログのタイトルも「証」だったはずだ。 「消えてしまいたい」、「物体として存在したくない」と思い、極限まで身体を軽くしようとしているくせに、「ここにいる」、「生きている」ということを叫び続けていた。 今はどうかというと

        • 弾けて消えた

          「ずっとこんな日が続いて欲しい」 「未来の自分がこの日のことを忘れないで、ちゃんとしていてほしい」 「ずっと好き、一番大切」 「こんなに幸せでいいのかな」 「笑顔が世界一」 「なんでもない日を一緒に過ごせるように頑張る」 全部きみの言葉。 覚えている?どうせ忘れているだろうなぁ。 私の頭には、きみの声もそのままインプットされたままだよ。 私のこと舐めんな。全部覚えてるんだからな。 言葉には責任を持てよ。 なーんて、口が悪くなる日もあるのです。 きみはものすごい面倒な奴に触

        生活、折り合い、矛盾

        マガジン

        • セクシャリティ/ジェンダー
          8本
        • 摂食障害と私
          5本
        • フランス留学記
          4本

        記事

          死にたかった奴等の行方

          あの頃、死にたかったきあの人たちは、今どうしているだろう。 あの頃死にたかった私たちは、GREEやmixiの死にたい人たちの集まるコミュニティに参加して、ただ「死にたい」と書き込んでいた。 あの頃死にたかった私たちは、前略プロフに秘密のリンクを作り呟くだけのページに「死にたい」と書いていた。 あの頃死にたかった私たちは、JUGEMやヤプログやAmebaのブログサイトを人と交流するわけでもなく作り、「死にたい」思いの丈を書いていた。 あの頃死にたかった私たちは、Twit

          死にたかった奴等の行方

          匿名の存在

          私は「彼女」と言われることが嫌いだ。 ここでいう彼女とは、「She」「Elle」のことではなく、「My Girl Friend」「Mon amie」のこと。 モヤモヤする日々を過ごしている。 一旦この問題について書き起こしてみようと思う。 私は、アセクシャルを自認したのち、以下の記事で述べた通り、クエスチョニングとしてとりあえず自分を位置付けていた。 そこからなんやかんや、生きていればいろいろ起こるもので(本当に最悪な出来事があるものよ)、自分が「他人に性的魅力を感じず、

          匿名の存在

          まだ歌える

          どうしても叶わなかったことは、私一人ではどうしようもないことで。 愛を教えてくれた人を信じて、愛そうと思って私なりに精一杯頑張っていた。 それがすべてが無駄だったと知ったとき。 信頼をぶち壊されたとき。 怒り、絶望、悲しみ。 通り越して、恨み。 あなたの、意思が弱いところが大嫌い。 自分で決めたことも遂行できないなんて呆れる。 優しいふりした残酷な人。 絶対絶対許さない。 私の心を振り乱したこと、絶対許さない。 私の守って来たものを奪ったくせに。 貴方に会わなければ守り続

          まだ歌える

          がむしゃらでも、すきとかなくてさ

          自分が何を好きなのか分からない。 好きなことがあって、それを楽しんでいる人をみると、「あれ、自分は…?」と焦る。 私の妹は、映画が大好きでお休みの日に映画館に行くし、アニメも観るし、おしゃれも好きだし、最近は香水も好きみたい。 私の周りは、彼女をはじめ、自分の好きな世界を大切に守っている人が多い。 私は、なんだかいつも仕事につながることばかりを選んでやっている気がする。 好きだという理由だけでお洋服やコスメは買えないし、本や映画もどこかで「仕事につながる」と思っている。

          がむしゃらでも、すきとかなくてさ

          三流

          人と関わることが苦手だ。 劣等感を覚え、責められ、怒られているように感じる。 全く自分のことを話せない。 昔より改善したとはいえ、苦手なことには変わりない。 こういうことが原因で、研究に関する一切をやめてしまいたくなることが院生時代から度々あった。 文系大学院生の方はお分かりだと思うが、教授や専門分野を同じくする人とのコミュニケーションが院生時代の苦しみと悩みの大部分をしめる(そうでない人は非常に幸運です)。 コミュニケーションが原因で、心身を病む人も少なくない。 コミュニ

          しごとのはなし。

          三十一歳、今の今まで、正社員という雇用形態を経験したことがない。 契約社員、アルバイト、非常勤講師、などすべて非正規雇用。 なんでこういう働き方で、毎日ひーひー言っているんだ…と少し考えて分かったのだが、私は今の今まで正社員になろうとしたことが一度もなかった。 夢も希望もない状態が常。 けれど、「こうなったらいいなぁ」みたいなものはなんとなくあったように思う。今日はこの「こうなったらいいなぁ」について書いてみたい。 未来って想像の範囲内に収まるものなのだろうか。 「こうなっ

          しごとのはなし。

          選択という神話

          「自分で選んだんだ」って思ってることでも、慣れや不満によって 「やらされている」という感覚が強くなる。 選んだことなんだから、不満言わずにやれよとかそういうことではなく、 選んだんだから、その場ではそのときできる最高のパフォーマンスをしたいと思う。 仕事とか特にね。 とはいえ、自分で選べないことも山ほどある。 対人関係や体調などは自分で選択するというよりも、偶然の重なり合い。 自分で選び取った感覚がないから、どうしても納得がいかないような気になってしまうことがある。 手に

          選択という神話

          叶わない夢

          大好きとかそういう言葉じゃ言い表せないほど、敬愛するアーティストがいる。 私は、彼女の歌う「今」が好きで、彼女の「今」の声と言葉が好きで、同じ時代を生きてくれて有難い。 そんな私にとって特別な存在であるCoccoさんの新しいアルバム『ビアトリス』には、「叶わない夢」という一本の芯が通っている。 「叶わない夢」と聞くと、悔しさや虚しさをなんとなく連想するかもしれない。 しかし『ビアトリス』における「叶わない夢」は、そうではない。 「叶わない夢」を抱きながら生きる強さが描かれて

          叶わない夢

          ボーッとしてていい社会

          私は、大変に未熟な人間なので、疲れていたり、お腹が空いたりすると性格が悪くなる。 併せて、オンオフが激しい人間のため、外で100%やりきり、家ではゼロになる。 そのため、家族への接し方に反省してばかり。 仕事や外での人付き合いでは優しさ100%、気配り100%を心がけているが、家に帰ってきたらできない。 母の声かけに「うん」とか「あー」とかしか返せない。不機嫌を表に出してしまう。 モラハラ旦那かよ…と自分で呆れてしまう。 してしまったことにはできるだけ謝罪、余裕のあるときはみ

          ボーッとしてていい社会

          人それぞれ。

          書かなくてはいけないものがあるとき、なぜだか別のものが無性に書きたくなるんじゃ。 テスト勉強しなきゃいけないのに、小説読むみたいな、そういう感じ。 我慢するものでもないだろう、ということで欲望のままに。 先日、私にフランス語の扉を開いてくれた大切な友人と水族館へ行った。 その場所には、別の人やひとりでよく足を運んでいたけれど、今回彼女と行ったことで初めて見えた景色がいくつもあった。 (彼女がたまに水槽の中の生物に話しかけていたの、可愛かった。) 同じ場所であっても一緒に行

          人それぞれ。

          生まれて死ぬまでの肉体

          おじいちゃんが死んだ。 突然、心肺停止したおじいちゃん。 人工呼吸器を父と母と私の判断で外した。 私の住む街から約450キロ離れた東の地におじいちゃんの亡骸は帰っていった。 私たちも後を追い、葬儀を行った。 全てを終えるのに一週間かかった。 久々の東の地。 前通夜もお通夜も告別式も、お寺や葬儀屋さんはもちろん、お弁当屋さんお花屋さんお菓子屋さん布団屋さん…とにかくたくさんのお店がどっと動く。 血縁者ではない地域の人も、普通にお家に入ってきてキッチンで何かを作り、居間ではお酒

          生まれて死ぬまでの肉体

          選択と課題

          年が明けて、もう一か月以上が経過した。少し、いま考えていることを書いてみたい。 まずは、仕事のこと。 「自分で選んだこと」と「強制的にやらされている」のとでは同じ行動であっても気持ちの持ちようが大きく異なる。 例えば、私の仕事の例でいうと「研究一本で食べてゆけないから仕方なく書店員をしている」というマインドで、日々の半分以上を占める接客や品出しに向かうと気持ちはどんどん下がる。 しかしながら実際、私は、自分で昨年書店員を続けることを選んだ。そのときはマイナスな気持ちだけでは

          選択と課題