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匿名の存在

私は「彼女」と言われることが嫌いだ。
ここでいう彼女とは、「She」「Elle」のことではなく、「My Girl Friend」「Mon amie」のこと。
モヤモヤする日々を過ごしている。
一旦この問題について書き起こしてみようと思う。

私は、アセクシャルを自認したのち、以下の記事で述べた通り、クエスチョニングとしてとりあえず自分を位置付けていた。

そこからなんやかんや、生きていればいろいろ起こるもので(本当に最悪な出来事があるものよ)、自分が「他人に性的魅力を感じず、恋愛感情を抱かない」のだということははっきりした。
なぜアセクシャルと言わなくなったのかは生々しい話になりそうなのでかなり省略するが、他者に望まれれば性的行為をすること自体はできるということがわかった。
その他者は、性別も年齢も見た目も何も問わない。真っ当に望まれれば、「あ、はい」と応じることができる。もちろん同意なしは論外だけども。
しかしそれを望まれ遂行したところで、その相手に特別な恋愛感情は全く抱かない。恋愛感情を持ってほしいと望まれるとかなりしんどい。辛い。できない。
そんなわけで、自分の中で今しっくりきているのがアロマンティック。

それで、だ。
私のそういう特性を話したうえで、「今一緒にいる人」がいる。
彼は私に「付き合ってほしい」と言ったため、私は「なぜ付き合う必要があるのか、その定義は何なのか」を根掘り葉掘り聞いた。
完全な納得はできなかったものの、彼の定義は理解し、彼のいうところの「付き合う」を実践する運びとなった。

彼は私を「彼女」と言い、私たちの関係を「付き合っている」と言う。
私はその定義とは異なる人間関係の捉え方をしているため、そのような表現をしたことはない。
自分が「彼女」と言われると、「恋愛至上主義世界における、ある人物に付随する匿名の女」になるようで心地よくない。
私には、名前があり、私は、ひとりの個人であり、そしてなにより、恋愛感情のない私はその世界の住人ではない。
なぜそのような不思議な立場の名称で、しかも恋愛至上主義の世界観における価値基準で自分が呼ばれなければならないのか。
自分もよく他人のことを指すときに「奥さん、御主人、旦那さん」(これら本当によくない)とか言ってしまうことがあり、そのたびに反省する。
なんらかのパートナーシップの下で共にいる人たちのことはやはり「○○さんのパートナー」とかそのように呼びたい。

私は彼のことを「今一緒にいる人」とひとまず表現してみている。
これは私の中で「今一緒に過ごしている家族、友人のうちの一人」の略で、共通の知り合いではない人に匿名性をもって、出来事を説明するときに使っている。
文脈でそれがどの人物を指しているのかなんとなく理解してくれる知人が多いのは大変ありがたい。いつもありがとう、まじで。
この呼び方によって暗に示されるのは、私が彼のことを「パートナー」とは思っていないということだ。
同棲や結婚というワードを口にする彼にとって、それはものすごく残酷なことなのかもしれない。
でも私がそう思えていないから、仕方がない。
嘘をつくのは御免だ。

本当に人間関係というのは難しい。
私が異性愛者であれば、もっと単純化できて楽だったのかもと自分を責めてしまうことばかりだ。
いちいち私が傷つきながら説明しなくてはならない。
なんとなくうやむやにされていることも、そのうち問題として浮上してくることになるのだろう。
「前一緒にいた人」とは、結局信頼関係を壊されて終わった。
私は貴方の「パートナー」になれるよういろいろなことを言葉にして伝えていたのだが??と、まだまだ恨んでいる。執着と怒りだけは人一倍だ。
結局、私が彼を取り巻く世界の、当たり前の流れを作れなかったからいけなかったのだろうか。いや、こうやって自分を責めるのはよくないな。私は十分頑張ったはず。

私の前提が共有できない人と話しているときに、ふいに投げかけられる言葉に傷つきなれてしまった。
もう痛いとも感じない。麻痺している。

加害性に無自覚なマジョリティに「はい?」と思うたびに、自分もそのほかの様々な文脈ではマジョリティなのだから、そうならないように、そしてそうしてしまった場合には素直に謝罪しようと心に刻む。


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