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がむしゃらでも、すきとかなくてさ

自分が何を好きなのか分からない。
好きなことがあって、それを楽しんでいる人をみると、「あれ、自分は…?」と焦る。

私の妹は、映画が大好きでお休みの日に映画館に行くし、アニメも観るし、おしゃれも好きだし、最近は香水も好きみたい。
私の周りは、彼女をはじめ、自分の好きな世界を大切に守っている人が多い。

私は、なんだかいつも仕事につながることばかりを選んでやっている気がする。
好きだという理由だけでお洋服やコスメは買えないし、本や映画もどこかで「仕事につながる」と思っている。

手軽なエンタメに分類されるであろう、アニメやドラマやYouTubeといった動画の視聴がどうにも苦手。
とても疲れてしまう。
では空き時間、何をしているかというとTwitter(まだそう言います)でいらぬ文字情報を眺めている。全くときめかない。
音楽もそこまで聴かないから、ワイヤレスイヤホンは1ヶ月充電しなくても平気だ。
何年も続けている語学もヨガも、仕事でよりよいパフォーマンスをするだと思っている節は否めない。

なんでだろう。
(そして、仕事仕事と繰り返し述べているが、仕事で沢山稼いでるとかではないし、特にこれといった成果を上げているわけではない)
え、私って一体……


昔から自分のための買い物が苦手。
中でも服を買うのが1番苦手。
服に限らずだが、「わあ!すき!」という感動のようなものが基本あまりない。
もちろん好みはあるのだが、なんというか、貪欲になれない。

生活にこだわりがある人を、私はとても尊敬している。
自分の生活が1番かけがえのない換えの効かないもので、そこを大切にすることこそが生きることだと思うから。
私はだから、母や妹、友人たちを尊敬している。

なぜ、私にはそれがないのだろう。
理想とかそういうものがわからない。


ある人に、「一緒に住みたい」と何度も言われている。
私はその度に、不安と恐怖を誤魔化すことに必死になる。
私にはできない。
私には生活を豊かにすることができない。
今の生活から抜け出したいけれど、新しい生活のことを考える余裕はない。
私にはお金もなけれな立派な仕事もない。
「お互いお金は大変だけど、でも毎日会えるというメリットがある」と彼は言う。
はて?ピンと来ない。すまん。

私は、自分が何が好きなのかわからない。
どうしたいのかもよくわからない。
どんな生活がしたいのかわからない。
そのくせ、なにかにいつもがむしゃらで必死になっている。

自分が何を好きかわからない、常に謎に必死な私が、生活に追われ他者と共に生活を切り盛りし始めてしまえば、もっともっと好きがわからなくなり、つまらない人間になってしまうのではないか。
怖い。

誰かが思う「前向きな未来」は、私には前向きに思えない、みたいなことが多々ある。
理想というものがないからなのだろうか。
「より良い」「未来へ」向かって「頑張る」、みたいなものがピンと来ない。
私は、生きたいわけではない。
それはもう小さい頃からの考えで、どうしたって変えられない。
でも生きてしまっているから、せめてできることを全うするだけだ。
目の前にあるものをがむしゃらにやるだけ。


いつもいつも私は過去が愛おしくて未来が憎い。
がむしゃらに、一体、私は、なぜ。

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