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生まれて死ぬまでの肉体

おじいちゃんが死んだ。
突然、心肺停止したおじいちゃん。
人工呼吸器を父と母と私の判断で外した。
私の住む街から約450キロ離れた東の地におじいちゃんの亡骸は帰っていった。
私たちも後を追い、葬儀を行った。
全てを終えるのに一週間かかった。

久々の東の地。
前通夜もお通夜も告別式も、お寺や葬儀屋さんはもちろん、お弁当屋さんお花屋さんお菓子屋さん布団屋さん…とにかくたくさんのお店がどっと動く。
血縁者ではない地域の人も、普通にお家に入ってきてキッチンで何かを作り、居間ではお酒を飲んでいる。
その経済効果や人々の動きは、大忙しのお祭りのようだった。
幼い頃に訪れたと際にはみえなかった、港町の地域の人たちの繋がりの強さや独自の風習が今になって様々にみえてたのは良い経験だった。

人は、祭りもなしに生まれてくるけれど、死ぬときは手がかかる。
生きている間に出来た縁がそうさせるのだろう。
愛犬とのお別れのときも毎回思うことだけれど、一連のお別れの儀式は、生きている側を納得させ、区切りを付けさせるものなのだと思う。

また今回も、その区切りに立ち会い、肉体とは何だろうなと考えた。
フル稼働した後に、灰と骨になるこの肉体。
肉体は単なる魂の入れ物なのだろうか。
だとすれば、肉体との別れに悲しむこともない。
しかし私たちは肉体との別れを惜しむ。
それは、肉体に刻まれた記憶が精神と分離不可能だからなのか?
いやそもそも肉体と精神の二項対立構造に問題はないか?

人について考えるときには、どうしても、社会に何をもたらしたとか、どんな仕事をしたとか、どれだけ稼いだとか、どんなふうに家族を構成したかなどが注目される。
それは死んでいても生きていても同様。
どんな結果をもたらしたか、どれだけ生産したか。
社会的体裁をとればとるほどに、そういうことで人を説明してしまう。
でも、生まれてきたその肉体でどんな生活をしたのか。そのことも同様に注目するべきではないだろうか。
その肉体でよろこびに触れ、痛みに触れた。
その肉体があったからこそ、私たちは互いを認識した。
何を食べた?何を飲んだ?どうやって髪をとかした?顔は一日何回洗った?
そんなごくごくありふれた肉体へ向けられる動作。
それがその人の基盤だったはず。
そして、痛みを解消するために、肉体と上手く付き合うために、私たちは奮闘する。
だから最期の多くは病院なのだろう。

肉体をフル稼働して生きている。
毎日がとても難しい。
だけどさ、何を生産したとかそんなことよりも、私が「わたしだ!」って言えることを優先したい。
みんなのそういうことが気になるよ。
あなたは何を食べるのがすき?なにをよく飲む?その髪型素敵だね。その色あなたによく似合うね。
そんなことをもっと話そう。

ひいおじいちゃんが亡くなったときの、幼過ぎた私と妹に泣くのを我慢しながら「死」というものを伝えようと努力していたママの姿。
母方のおじいちゃんを亡くしたとき、おじいちゃんの亡骸を見て「羨ましい。」と思ったこと(高校生で絶賛うつと摂食障害だった)。
そんなことも今回思い出した。
バタバタと過ぎた一週間。
二連休すら珍しい私にとって、四日間の休みは昨年の学会出張以来だった。
明後日からいつも通りできるかな。できるよね。
心も体もわたしがわたしであれるように、そんなちっぽけで愛おしい目標を生きていくさ。


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