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しごとのはなし。

三十一歳、今の今まで、正社員という雇用形態を経験したことがない。
契約社員、アルバイト、非常勤講師、などすべて非正規雇用。
なんでこういう働き方で、毎日ひーひー言っているんだ…と少し考えて分かったのだが、私は今の今まで正社員になろうとしたことが一度もなかった。
夢も希望もない状態が常。
けれど、「こうなったらいいなぁ」みたいなものはなんとなくあったように思う。今日はこの「こうなったらいいなぁ」について書いてみたい。

未来って想像の範囲内に収まるものなのだろうか。
「こうなったらいいなぁ」が、ぼーんやり、もーんやり形を成してきている。

本屋さんで、選評書いたり、ポップ書いたりしたいなぁと思っていたのはいつごろからだっただろうか。
いま、ある程度自由に売り場を構成したり、フェアを企画したりできているが、なんとなく想像していた書店員の姿で、感慨深い。
勤め先の書店では、色んな理不尽なことがあった。
今の状態に環境が整うまで約7年?8年??こんなにも居続けたのは、納得いくまで逃げられない私の執着心と頑固さによる。

大学で教えたいなぁと思ったのは、自宅から通える範囲内という条件で三年次編入した大学で授業を受けたときだった。
なんとなくこの世界とは折り合いがつかないという思いを抱えている私のような人に「〈この世界〉って?」と投げかける仕事がしたいと思った。
そのくらい、大学の座学は魅力的だった。
「要配慮学生」(この言い方どうにかならんのか)だった私は、体調が整わず授業に行けない日もあり、悔しくて泣いたことさえあった。
いま、非常勤講師一年目をどたばたと過ごしているのだが、常勤ではなく非常勤というのも私がなんとなくイメージしていた通り(常勤の方がなるのが大変だとか、アカデミアに片足突っ込む前は知らなかった。あまりにも無知。)。

そして、最近形になってしまったのは、雑誌に文章書きたいなぁという思い。
この雑誌に書きたいなぁという雑誌が三つほどある。どれも商業誌で、載りたい雑誌の中に学会誌がない時点で、いかがなものかと思うのだが、そう思うのだから仕方がない。
今回寄稿させていただいた雑誌『ユリイカ』は、この三誌のうちのひとつだった。
こんなヒヨッコを見つけ出す編集者さんの仕事、すごすぎる。

以上が、なんとなく形になった「こうなったらいいなぁ」シリーズである。
形になるときって、「こうなったらいいなぁ」の「こうなったら」が、なんとなく近くにあるような感覚があるときなのかもしれない。
恐らくそれは、自分の体調とか、めぐりあわせとか、そういうタイミングの問題なのだろう。
そういうタイミングが不思議と合う、「準備が整った!」期が誰しもあるのかもしれない。
私は、人生のうちで、「準備が整った!」という状態になったことが一度もなかった。だからこそ、今この状況が不思議でたまらない。

摂食障害とうつ病により高校にはあまり通えなかった。
自殺未遂をし、有名美術大学への受験を諦め、京都の大学からの推薦も断り、通っていた中高一貫の学校に付属していた短期大学の美術科に進学した。
この時点で、どこかの企業に入社し、フルタイムで働くことは頭にない。
自宅から通える範囲内で、美大ではない大学を受験し、三年次編入した。
今まで絵画作品で表現していた対象を、きちんと考えたいと思い編入し、結果、博論までそのテーマをやり続けるのだから、まったく私は執念深い。

いま、どんな「こうなったらいいなぁ」を考えているだろうか。
まだ形になっていないものが、たくさんある。

書店の話に触れたが、目下の目標は、書店員を辞めることだ。
書店員は本当に笑えてくるほど低賃金で、想像以上に肉体労働。
書店員と非常勤講師をしていると、研究の時間は一瞬たりとも取れない。
予想通りだった。
この契約期間中に、どうにか環境を整えたい…が、あまりイメージできていないからその時はまだ先なのかもしれない。

最近は、つねにハイの状態で稼働していなければいけなくて、体力と気力がいつまで持つか…という不安がある。
でも、無償であっても無理があってもわくわくする仕事がしたいという気持ちが強い。
私が「私として」何かできることが、私にとっての喜びなのかもしれない。
今は、走れるだけ走ろう。
倒れることには慣れている。だっていままでずっと倒れていたのだから。
そのうちにまた、「こうなったらいいなぁ」が形になるときが来るかもしれないし。

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