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短編小説 死神は冬にやって来る。(1613文字)

悪い子はいねーがー 
母さんの、言う事きかねえ奴はいねーかー
うおー、うおー、うおー、--
転勤族だった父のおかげで、私は幼少期を秋田で過ごしている。
毎年大晦日になると、怖い思いをした。幸い私の家には来なかったが、
事実なまはげは、近所の友達の家にはやって来た。
いつかは私の家にもやって来るのだろうと思っていた。
だから、父の転勤が決まった時は友達と別れる辛さよりも、なまはげから逃れられる事に安堵した記憶がある。
この頃私は、氷の張ったため池に落ちた事があります。雪降りの中、立ち入り禁止の看板を無視して友達とため池の氷の上で遊んでいて、氷が割れて池に落ちたのです、落ちた瞬間幼心にこれはヤバイと思いました。勿論泳げません、人は溺れて沈む前に、三回浮き沈みするそうです、一回目、二回目ともに手を上げたのですが、氷に当たりました、そして三回目近くで、氷を割り釣りをしていた人の釣り糸から、私は手を出したのです、釣り人はその手を掴み救い上げてくれたのです。その二日後、また同様の事故が起きました。今度は一年生の男児が池の底から溺死体となって、消防団に引き上げられました。
何故私は一命を取り留めたのか幼心で考えました。
しかし分かりませんでした。
分かったのは、悪い事をしたので今年こそ、なまはげが来ると言う事ぐらいでした。しかし転勤でそれは消滅しました。
今思えばこの頃から私にとって、冬は鬼門なのです。

私は総合病院十階の個室で、コーヒーを飲みながら、外を眺めている、先ほどまで小雨で湿っていた道路が小雪になり吹雪になり、あっという間に真っ白になった。十二月後半とはいえ早い雪化粧だ。
五十九歳の冬に、直腸がんになった。診断を受けた時は既にステージⅣの末期がんだった。外科手術で直腸他転移箇所を切除した。抗がん剤を飲みながら経過を見たが、一年後の冬に肝臓と左肺に転移が確認されてまた切除手術をした。
医者からは、抗がん剤治療をして三年、抗がん剤治療をしないで、一年の標準的統計による、余命の宣告があった。
私は抗がん剤治療無しで、寿命を全うする道を選んだ。理由は抗がん剤で体を虐めつけて、他の病気を発症して死んでいった人を複数見たからだ。
あと一年を覚悟した。取り乱さず、坦々と現実を受け入れ、生きていこうと決めた。あれから六年私は転移も無く未だ生きている。
何で生きているんだろう。時々思う。いや生かされているのかも知れないとも思う。では何の目的で生かされているのかとも思う。
悪い事をしなかったから、生かされている。それは違う、社会規範に沿って生きたからと言って長生きするとは限らない。例外は社会規範にそむいて複数殺人を犯し死刑になること位だろう。東日本大震災で亡くなった人々を見れば分かる、天変地異という理不尽以外何者でもない。
罰を受ける事と死は直結しない。
では私は社会にとって必要な人材なのか、そんなことは無い、必要な人が惜しまれつつ無くなっているではないか。統計的に、人の生死に法則性を見つける事は出来るだろうが、それは絶対ではない。
あの池に落ちた時、幼児の私と一年生の生死を分けたのは、何だったのか。
分からないのだ。確率ではない、生命力でもない、生への固守でもない、
生死は人間の力の及ばない、大自然の中での鬩ぎ合いの中で、生じた歪みかもしれない。所詮生物であり、いつかは死をむかえるのだ。
そう考えると、なまはげは社会規範が生んだ、動くモラルと言う事か。
しかし私の場合、死を意識するのは、いつも冬だ。
これも、たまたま生じた歪みの一つかもしれない。
病室のソファに座り、あれ、これ想い、
外の吹雪を見ながら飲んだコーヒーを置くと
検査入院した個室のドアをトントンとノックする音がした。
医師が入って来て、やさしく言った。
「転移はありません、数値の異常もありません」
私は、また生き残たと安堵して、ありがとうございますと返した。
               了。
















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