坂本淳

障害者で福祉活動をこれから活発にやっています 神戸 で活動を 今後 続けていくつもりで…

坂本淳

障害者で福祉活動をこれから活発にやっています 神戸 で活動を 今後 続けていくつもりです 年齢は 69ですこの10月より社会福祉団体松ノ木 会を結成してスタートします 障害者問題を共に考えていく 団体として結成しました

最近の記事

介護をお互いに気持ちよく行える為の提言

介護をお互いに気持ちよく行える為の提言 介護制度が始まって早30年近くになろうとしています。初期はお互いに分かり合えない部分もありましたが私が最近思う事は障害の程度にもよるし高齢者と障害者の介護の仕方についても違う部分があるのではないかとこの頃通説に介護を受ける側の気持ちとしてある事は事実です。それに専門職としても資格が備わってくればくるほど一律での介護だけでは難しくなってきている事も出てきています。 高齢者介護からの出発で介護制度が始まり介護保険の元で始まった事もあり家

    • 私の頸椎と腰椎の症状について

      私の頚椎と腰椎の症状のことについて 私の頚椎圧迫ヶ所と腰椎すべり症について介護の注意点及び説明させてもらいたいと思います。まず頚椎による症状と頚椎の圧迫箇所のことについて話をさせてもらいます。 私の頚椎には五箇所の圧迫箇所ができています。まず第1番目の脳から数えて一番目の間に力による変形が起こるために第1番目と2番目の境目の隙間が細くなってきて神経に左右が起こるところがあることによって一番大事な神経が通っている場所でもあるためそこが神経に当たって抑える場所でもあるため 一

      • 福祉って何ですか?

        福祉とは何を言うんですか 特に介護制度ができて30年が来ようとしているけれど今行き詰まっているような気がする50年前に国際障害者年が叫ばれ差別を考えようとみんなで進んで来たものの共に生きるとスローガンにあげて進んで来たけれど本当に進んでいるのでしょうか どこかにまだ差別という2文字がぬぐいきれない現実社会に疑問を感じている 例えばオリピックパラリンピックとのあり方も重度の障害者の競技などの中継もないのが当たり前のように結果だけを流すだけだし 確かに社会的に物理的

        • 頸椎の症状の経過

          私が頚椎の圧迫による症状が出てきてから 検査に病院に行って MRI を取ってから5年の月日がたつのですが その5年間のうちで特に3年ほど前からだんだんと身体の変化がスピードをましてきているように思う。最初今の家に来てから段々と脳性小児麻痺の特質逆反応から力を抜かなければいけないのにも関わらず 意識と反対に 力が余計に強くなる一方で そのことによる首の力も余計に入ってしまうことによって圧迫 箇所をつくリその圧迫のところが神経圧迫させ体の筋肉を硬直させるようになりそのことによっ

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          障害をかかえ 人生を生きる難しさ

          生きる 難しさ 現在の私たち障害のあるものにとって生きていくのは難しいものですね 現在の社会では弱肉強食の社会全体かのようになってしまっている社会では 本当に私達が生きていくのが難しいもので現実社会において福祉政策ではいいことばかりを言われているけれども 障害のある私達が生きていく上で並大抵ない努力を試みても 本当の人生設計が難しく 特に お金儲けのできないものにとっては現実から ただただ私の置かれている立場から今の社会で施しを受けながら生きて行くのが常の世の中でありや

          障害をかかえ 人生を生きる難しさ

          真実の愛を感じ、残り少ない人生にしていきたい私

          私この方70年生きてきて、過去を振り返った時自分の人生の中で、真の愛情を学んで自分自身からも、与えた事がないように思われます。生まれた時から障害という二文字がどうしてもぬぐいきれない自身自身だから、幼い時は家族に世話にならなければ生きてきていけない自分自身の事を思う時、家庭環境から親の忙しさが目に入る時、無理を言えなくなりいくらやってもらいたい事があったとしても我慢する事が先行してしまい、甘えきれない自分がいたり、現在でも自分を支えてもらいたい周りの人に遠慮がちになり、顔色を

          真実の愛を感じ、残り少ない人生にしていきたい私

          今真のパートナーが欲しい

          今真のパートナーが欲しい 老年期に入ってあとわずかの人生に今何か寂しさに苛まれることが多くなってきていることがあります。 介護を必要とする私にとって確かに 今の環境から言えば周りには世話をしてくださるたくさんの人はそばにいてくれて 介護をしてくれているけれど 私の責任でもあるのですが家族や親兄弟と疎遠になってしまった私にとって何か虚しく感じる ばかり 70年障害を 背負い 今になって 一人ぼっちの 自分自身に気づくとき何か虚しくなる日々を送るだけで 幼い頃から 親兄弟

          今真のパートナーが欲しい

          私の願いはどこかに行きたい夢

          どこか行きたいな 自分の力で1人 出かけたいな 家の真ん中で 表を眺めるだけの 今の私にとってはなかなか気持ちはあまり晴れてくれないし 今筋肉の硬直からくる筋肉の痛みに耐えていきながら1日1日 時間が過ぎるのをただ待っているだけの自分自身 昔は 電動車椅子を操作しながら1人ぼんやりと あてもなく 走っていたのに今の自分は生きた しかばねのような自分 何の目標も出ないまま時が過ぎて行くのをただ待つだけの自分になってしまった 今の私は70年生きてきて今ほどつまらない時はない も

          私の願いはどこかに行きたい夢

          頚椎が悪くなってからの自分が嫌だ

          頚椎が悪くなってからの自分が嫌だ 3年前に比べて体の変調に対して 今 嫌になっているなぜならば 3年前に比べ 自分の思うように体が動かなくなって困ることや それらの症状として肩口の痛みなども出てきて精神的にもその痛みによってイラつきが出てきて今までの自分の性格まで影響が出て 周りの人に感情にすぐ なっているようなことばかり それにつけて 今まで腹もたたなかったのですが 最近特に強い口調で言ってしまったり冷静な判断までが脅かしたり 不満を感じ嫌な性格が前に頭を持ち上げてしま

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          学生時代の思い出

          昨日 懐かしくも 学生時代先生と同級生との楽しい1日を過ごす1日でした。 日頃 体が思うように動けなくなった 自分の 毎日を昨日 1日で 憂鬱時間を過ごしていた自分がいっぺんに楽しい瞬間になったことが良かったと 少し前向きな自分になれたこと 今日目覚め 感じる やはり 昔の 友達はいいものですね。 歳はとっても昔の自分に変わる本当に同級生はいいものですね 昔に教えてもらった先生は変わらぬ気持ちで優しさで包んでくれた この時間を計画立ててくれた友達 本当にありがとうと私は 感謝

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          介護を受ける  人間関係の難しさ

          介護を受ける   人間関係の難しさ 介護を受ける者の人間関係って本当に難しいものですね 特に弱い立場の私との関係は何時でもいくら私が正しい事を言わせてもらったとしても相手の人にすれば何時もその人の考えが正しくて相手の人の気持を逆なでする様な事ばかり、おまけに強気になられ私の心までを深く傷つけられる様な事ばかり 時にはそんな状況でも自分がおれ直ぐに謝らなければいけない 時には恐怖感まで平気で言われ全てこちらが悪く言われる、そんな人間関係が今重たいです。 もし自分が自

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          理想と空想と憧れと現実との狭間の人生

          理想と空想と憧れと現実との狭間の人生 生まれてこの方理想を追い求め空想の世界の中で生きてきた 私にとって70年年月を暮らして来た私は幼い頃から好奇心が豊かだった私は常に何かに憧れ何かに理想を追い求めすぐに空想の世界に入り込んでいたことを今でも思い出されます。幼い頃は不自由な体の自分を忘れるために現実世界から逃避するため時には将来 成りたかった車の運転手の空想を浮かべ運転しているかのように想像を働かせて 時にはダンプの運転してお金儲けをしているかのような世界に入り込んだり時に

          理想と空想と憧れと現実との狭間の人生

          私の誠意のゆくへ

          どうすれば 私の心が伝わるのか 教えてほしい 今 自分の中で世話にならなければいけないことを思い 相手のしんどさを思って遠慮がちに物事を頼んできて 誠意を表わし 今まで付き合わせてもらってきていたつもりだったのですが 私が下手なのか それとも 自分のごまかしだけをただ ぶつけてきただけなのか いい子になるだけの私だったのか 作り笑顔で生きてきたのか 世話にならなければいけないから 世話をしてもらわなければ生きて行かれないのを知ってたら そのために使っていただけなのか

          私の誠意のゆくへ

          70年負けず生きてきた証

          障害の体を抱え生まれて来てこの方、雑草のごとく生きてきた70年荒波の波を一歩一歩超えていくがごとく、前へ前へ進んできたことを今となっては、懐かしく思い浮かべ誇りに思える人生でした。ある時は障害の体を少しでも良くしようと、固まっている筋肉を伸ばす意味において、痛みに耐えながら乗り越えてきた日々や、思春期を迎える頃には人並みに人を(女性)に憧れ、厚かましくも多くの思いを現実にさせてもらったこと等、我慢に耐えながらも前に進んできて、空想を障害の体の中で追い求め、経験を積ませてもらい

          70年負けず生きてきた証

          私の誠意はどこに行ったの

          なぜに 私達の誠意が無になってしまうのか 私は私なりに 相手のことを思いやり その人のためになるならといつも考え 自分なりに 誠意を持って 接してきたつもりだったにも関わらないのに感謝されるどころかなぜか一応は相手の人に受け止めてくれていたはずなのに しばらくすれば 受け止めていたはずの私の善意の気持ちはいつの間にか音を立てて崩れて行きやがて時と共に感謝されるどころか不満と変わってゆきやがて私のその心がみんなの憎しみとなって相手の人から悪く思われ 最終的には私の方が悪くなって

          私の誠意はどこに行ったの

          本当に70年生きてきて、今感じた事

          この世に生まれて来て70年生きてきて、今の自分を振り返った時運命の障害の体で、良くもここまで生きてこられたものだと思います。私の人生は空想と現実との狭間の中で生きて、時には希望と不自由を感じ叶わぬ夢の中でもがいた時もありました。 時には自分の体の事を自覚して、遠慮しながら中途半端な思いで生きてくる事を繰り返し、他人や周りの人達に迷惑を掛けてしまい、反省する日々の連続だったなと思う毎日を今感じている次第です。甘える事もあったと思いますが、どうしても自分の夢に向かってしまう自分と

          本当に70年生きてきて、今感じた事