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Instagramでオススメされていた本が教えてくれた人生哲学

「人は変わるために学ぶ」

Instagramで見かけた本に惹かれ読んでみると、この言葉が心に響いた。人は、変わるために学んでいる。私達家族も、生活を変え、生きる道を変えながら今を生きてきたような気がする。

2018年1月、息子が小学5年生の冬、我が家は大きな節目を迎えた。
夫が転職をすることになったのだ。単に元の職場を離れなければならない理由があったからで、明るい未来を見越してのものでは決してなかった。必死の就職活動の先に、やっと光を見出し、新しい生活をするしかなかったとも言える。夫は、一人暮らしをすることになった。無期限の一人暮らしだ。慌てて決めたアパートは、いつまで暮らすか分からない。仕事のペースがつかめれば、もっと職場の近くに引っ越す可能性もある。だから、身動きがとれるよう家具付きの部屋を選んだ。引っ越しは、車で何度か必要な物を運ぶ程度でいい。
引っ越しをする日は、夫婦でお互いが休みの日を選んだ。その日は、息子の3学期の始業式の日だった。午前中で学校が終わる。息子がいないうちに引っ越してしまったら、寂しがるかもしれない。だから、息子が帰って来るのを待って、3人でアパートまで向かうことにした。車の中いっぱいに夫の持ち物を詰める。仕事道具、簡単な食器、スーツなど……簡単な引っ越しとは言え、意外と持ち物はある。

その日は、雪が降る前日のようにとても寒い日だった。寒さが体に堪え、心まで憂鬱になってくる。
車で2〜3時間くらい走るとアパートが見えてきた。3人で少し近所を歩いてみる。近くには幼稚園があり、賑やかな空気も感じられそうだ。アパートに戻り、3人で簡単な掃除を始めた。今まで人が住んでいなかった部屋は、ひんやりとしていて寒さが余計に身に染みる。それぞれが配置につき、車の中にある荷物を順に手渡しながら部屋へと運んだ。体を動かしていると寒さも忘れることができ、少しの間だけ、先のことを考えずにすんだ。
これからどうなるのだろう? 私一人でやっていけるだろうか? 息子のことで何か困ったことがあったら、どうしよう? 夫にいつも相談してきた私としては、息子との二人暮らしに不安が募っていた。
2階のアパートの窓を開けると、空が見えた。都会のアパートは、窓から別なアパートの壁が見えるだけのようなイメージがある。密集している部屋の片隅で一人暮らしをする夫を思うと、自業自得と思いながらも複雑な思いに駆られていた。だから窓の外の空を見て、少し心が軽くなった記憶がある。

部屋に荷物を運び込みしばらくすると、少しずつ辺りが暗くなり始めた。夫は私達に向かって声をかけた。
「もう大丈夫だよ。夜遅くなっちゃうから、早く帰ったほうがいい。週末に帰るからな」
その言葉を聞いて、息子が静かに涙を流し始めた。ずっと堪えていた涙をもう我慢できないというかのように、涙が次々にあふれてくる。スウェットパーカーの袖で一人涙を拭おうとする姿に、胸が締め付けられた。現実を受け入れることが嫌なのに、黙ることしかできないと子供ながらに耐えていたのだろうか。永遠の別れであるかのように、苦しそうに涙を流す。
「大丈夫だよ。パパはすぐ帰って来るから。毎晩電話だってできるよ」
私は明るく息子に声をかけた。そんな言葉は全く心に届かなかったようだ。恐れていたことがやってきたと言わんばかりに、息子は涙を流し続けた。
その息子の涙を見て、夫はたまらなくなったのだろう。自分がしたことの大きさを実感したのかもしれない。夫も、涙を流し始めた。息子を苦しませている現実が、心に重くのしかかってくる。二人が泣いているので、私は泣きそびれてしまった。心が痛い。痛すぎて涙さえ出なかった。その場で3人で泣いてしまっては、現実が悲惨すぎると認めるような気がして泣けなかった。

夫と別れ、息子を乗せて長距離運転で家まで帰った。
息子の涙が心に痛く刺さり、頭が割れるくらい痛い。おそらく、運転の疲れもあったのだろう。いつもなら私が運転せずにすむ長距離運転が、夫がいないことを告げてくる。
「ほら、泣かないで……コンビニがあるから、何でも好きなものを買っていいよ」
息子を少しでも楽にさせようとコンビニに立ち寄る。それでも、息子は泣いてばかりいる。
「帰りに何か夕飯を食べて行こうか? 何が食べたい? 好きなものを選んでいいよ」
「……ラーメンが食べたい……」
息子が言うので、入ったこともないラーメン屋さんに入った。
ラーメンと餃子を食べていると、頭痛がさらに激しくなってきた。きっと体以上に心が疲れたのだろう。これからを思うと前に進むしかないが、途方に暮れる。
うちに帰り熱を測ると、39度近くあった。体は正直なのだ。息子の涙に強いストレスを感じ、寒さもあって体調を崩したのかもしれない。
結局、私はインフルエンザを発症していた。息子との二人暮らしは、最悪の状態からのスタートとなった。

今、あの瞬間を振り返ると、親として息子をひどく傷つけてしまったことに心が痛むことがある。どんな時でも、親は子供の心に安心感を与えられる存在でいるべきだと思うからだ。まだ小学生の息子に、なぜあんなに苦しませることをしてしまったのだろう? どんなに不安な気持ちにさせただろう? 夫の仕事が見つからなければ、住む家も手放さねばならないところだった。夫の就職先が決まらない現実を私ではどうすることもできず、毎日生きることだけで精一杯だった。息子の心のケアをする余裕さえない。息子の心に、あの記憶はどう残っているのだろう。

つい最近、家の掃除をしていた時に、あるデータを見つけた。引き出しの奥深くに入ったままで、しまっていたことさえすっかり忘れてしまっていた。見ると2018年3月のピアノの発表会のようだ。その発表会で、私は息子と連弾をしていた。ピアノの先生が、病を乗り越えての初めての発表会だったことから、病と向き合う先生のために、何か力になりたいと連弾を買って出たのだ。人前に出ることが好きではない私だが、先生が初めて企画した家族連弾に挑戦することを決めた。そして、半年以上前から練習を始めた。あのアパートでの別れから2ヶ月しか経っていない私達は、どんな姿で弾いているのだろう? 薄れた記憶を辿るように再生してみた。
そこには、悲しみに押しつぶされただけではなく、日々をただ懸命に生きている私達親子が並んで座っていた。私達は、当時、生活の変化についていくことだけで精一杯だったはずだ。
私にとっては、大人になって初めての発表会でもあった。ピアノを人前で弾いたのは、30年以上前になる。だから、驚くくらい手が震えたのを思い出す。引き受けてしまったことを舞台の上で後悔した。その止まらない震えのために、鍵盤の正しい音に指が当たらない。鍵盤がいつもよりも細くさえ感じられた。

私の震える指を見て、息子は私より落ち着いてリードしてくれていた。私がミスタッチをして、途中弾けなくなるところがあったが、息子が上手く合わせてくれる。夫がいなくなってから、息子は少しずつ我が家の現実を受け止めようと、もがいていたのかもしれない。穏やかそうな親子の演奏ではあったが、実際の心の中はどうだったのだろう。息子の心の痛みを理解する心の余裕は、当時の私にはほとんどなかった。
再生しながら当時を振り返ると、息子は思っていたよりも幼く見えた。あの出来事をこんなに幼い息子が受け止めたのかと思うと、複雑な気持ちにもなる。

親とはこうあるべき、家庭とはこうあるべき……人は、理想の形を追い求め、その中で苦しむことがある。世間体に苦しみ、自分らしさを失うこともあるだろう。時には、自分自身を人から正しく理解されず、言いたい放題言われることもある。
シングルマザー、バツイチ、成功者、変わり者などの様々なワードで人をカテゴライズすることは、自由に生きていいと言われているようで、実は区別されているだけにすぎない。
生きやすいようで生きにくい現実の中で、人は日々苦しむことがあるが、人が変わることはいけないことではないのだ。人は、区別されるために生きているわけではない。
夫の引っ越しを手伝った日は、「家族崩壊の日」と勝手に思っていた私だが、実はそれだけではなかったことにも気づく。ピアノの演奏をしていた私達親子は、あの新しい現実の中でさえ、それなりに前を向いて過ごしていたからだ。崩壊ではなく、家族の形が変わっただけにすぎない。あるべき姿、あるべき家庭像なんて、実はないのだ。木々の葉は、季節によって葉の色を変えていく。自然は変化していくことが当たり前だと分かるのに、人の人生の変化に対しては寛容になりにくいことがある。変化とは、自分らしくあるために生き方の選択をしていくことなのだろう。失敗や成功などと価値をつける必要もない。
この日をきっかけに、私達はそれぞれが新しい道を歩んで行った。その先には、さらに離婚という変化があったけれど、それは3人でいる形が変わっただけにすぎない。人は、変わるために学んでいるのだ。

夫がアパートに引っ越しをしたあの日、私は、家族が変わった瞬間をとても心苦しく思っていた。だが、別な見方をすれば、夫も私も人生を迷いながら生きる中で、気づきを得ながら人として変わろうと前を向いていたとも言える。大人も変化しつつある中で生きている。
自分の人生を自分の価値観で選びぬき、その先に変化があるのならば、それは例え離婚という決断でも失敗とは言わないだろう。それは、学びと言っていい。学ぶということは、机上で行うことだけではないはずだ。

人は日々変わっていく。変わるために学ぶのだ。
発表会の映像を何度も見ながら、家族が変わった瞬間を思い出していた。

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