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*27 秋の暮れ、冬の訪れ

 南ドイツの小さな町のパン工房の内に日本のラジオが流れた。耳から入って来る言葉の懐かしい雰囲気よりも、目に映る景色との違和感アンバランスの方がより強く脳を刺戟しげきした。工房に置かれたラジオではどうも世界各国の放送が聞けるらしいと言って製菓職人のアンナがラジオの前に屈んで何やらいじっている所に、ルーカスが「日本の放送は流せるかな、ゲンコスに翻訳をさせよう」とはしゃいで云うのを聞いて、私もちょうどサワー※1種の仕込みのきりが良かったから材料を入れたミキサーを始動させるなり、一緒になってラジオの前へ駆け付けた。アンナが「日本は何処の地域にあるんだろうか」と聞いてルーカスがそれに「アジアだ」と答えていた所を見ると、日本が中央に位置した世界地図で育った私の知らない当然が立体感を持って姿を現したように感ぜられた。
 
 私が到着して液晶を覗き込むと既にアジア圏の放送の中から無作為に一つの放送が選ばれた後であった。音声が流れる前、液晶に浮かんだアルファベットの文字列がローマ字読みさえ出来そうに無かったので、屹度きっとこれは中国の放送だねと言った矢先、日本語の音声が聞こえて来たから直ぐに前言を撤回する必要があった。そしてこれが日本語であると証明しようと思った私が、なにがしという建設会社のラジオ広告の文句を聞こえたそばから復唱して見せると、作業をしていたシルビアも含めて皆が笑い出した。しかながら結局彼らの希望は日本の歌謡曲を聴く事にあったらしく、繰り返される広告に落胆の声が漏れ、ようやく広告が終わったかと思えばニュースが始まってまた皆天井を仰いだ。私もこれは建設会社の広告だ、これはニュースだと順次知らせてやっていたが、休憩に行く時間でもあったからニュースが始まるなり長くなりそうだからとその場を後にした。私も聞き覚えの無いBAN-BANラジオという放送であった。
 
 
 
 先週クワルクシュトレンが店頭に並び始めたと思ったら今週から愈々いよいよシュトレンが本格始動した。と言っても今はまだ十一月の半ばであるから、今週は火曜日にクリストシュトレン、私が休みであった水曜日にモーンシュ※2トレンとヌスシュト※3レンが作られたのみで比較的余裕があった。
 
 然しラム酒に漬けられた柑橘皮フルーツの香りが心地良く漂うとたちまちクリスマスである。ドイツの冬の風物詩、或いはドイツでも川柳の文化が誕生していたなら間違いなく冬の季語である。パン職人を生業とするより以前の私はこれに類する果肉の入ったパウンドケーキ等はむしろ苦手としていた。今でこそ一人であっという間に丸々一つ食べ切ってしまうシュトレンでさえ、ドイツに来たばかりの頃は苦手であった。昨年の冬、日本に住む友人にシュトレンを贈ってやった。正直者で信頼のある友人は、人から貰った本場の味であろうと御構い無しに「俺は苦手だった」と全く不身美ぶしつけに私に告白してきたが、私にはその感想が実に良く理解出来たから無理強いなどはせずに済んだ。私が今シュトレンを好んで食うのも、美味しさに気付いたと言えばそれは見栄で実際は慣れだろうと思うから、彼もまたドイツに八年も住んだ場合には屹度シュトレンを美味いと言う様になるのだろうと考えるわけである。

 週半に僅かばかり日本語の広告が工房の中に響いたが、それ以外の時は専らクリスマスソングを流しているラジオである。好きな音楽ジャンルは何かと問われればクリスマスソングと答える私であるから、そこにシュトレンの香りが交わり出すといよいよ心地良い。抑々そもそも、これもまた例によって八年の在独期間がもたらした気持ちか或いはそれ以前から既に抱いていたかは定かではないが、クリスマスの静かで賑やかな、寒くて暖かな雰囲気を私は大変好んだ。それだからこの時期の工房は繁忙期にこそ身体的な苦労を強いられるが、総じて言えば寧ろ好きな時期でもあった。
 
 この日私はアンドレと共にシュトレンの成形を行った。多少の会話は交わしたが主に黙々と作業をしていた私の頭の中では、一つ成形する毎にその時の自分の力の入り方や生地の感触や成形の造形美なんかを比較するのに大忙しであった。大忙しと言うと苦労染みていて不本意であるが、大忙しであったのは事実で、端的に言えばこれは私の成形時における癖であり、シュトレンに限らず成形を施す際には常に私の中に存在する造形美に如何に近付けられるかを逐一独り競っているのである。過去に私を完璧主義者だの自己陶酔者ナルシストだのとはやした者がいたが、そうでない者が居る場合それ以外に何に意識を置いて成形しているんだか甚だ疑問である。
 
 以前の職場では大型のデッキオーブンに付きっ切りで私がブロー※4トを焼いている脇で、シュトレンはマイスターが一人成形しているのがほとんどであった。時折ちょうど良く私の手が空けばマイスターを手伝った事もあったが、さらにさかのぼって私が見習い生の時分に至っては未熟者が触ってはいけない物の如くシュトレンは扱われていたから、こうして真面まともにシュトレンの成形に携わったのはベッカライ・クラインへ移って来てようやくの事であった。思えば私もマイスターである。
 
 アンドレの成形とも見比べる。大体成形には個性が出るからどちらが甲でどちらが乙だと断言し難いものであるが、少なくとも私の成形の方が美しいと胸を張って言えない内は特に相手の動きにも目を光らせる。この辺りは見て盗めの不親切な職人世界で育った恩恵であろう。
 
 そうして成形が済んだシュトレンの発酵がちょうどいい塩梅になった頃、シェフが事務所から降りて来て次々とオーブンの中に入れて行った。何分経過したらああして、また何分と経過したらこうして、全部で何分経ったら窯から出すようにとアンドレに指示だけしてまたシェフは戻って行った。焼成途中、アンドレと共に窯の中を覗き込みシュトレンを観察した。「成形の時点で生地が発酵し過ぎていたね、覆い被さった部分が浮いてしまった」「なにそれほど酷いわけじゃないが、確かに自分がこれまでに触った事のある生地とは感触も違った」などとアンドレとシュトレン談義をしながら、また原因の一端が私の成形にあった可能性についても考えた。或いは生地がこうなら成形はどうあるべきかを考えた。味の美味しさについては、昨年シェフに直々に絶賛したほど私は墨を付けてあったが、こと造形美という点においては昨年の時点でやはり感動の覚えが無かった。少々無骨な姿もまた魅力に思う感性も私には備わっていたからこれはこれで良いとしても、一製造員ながら次の機会にはもう少し美しさを求めて遣ろうと人知れず意気込んだ。
 
 
 
 我が薄淡はくたんたる歴史上最も明確に芸術の秋と称すに値した秋もすっかり暮れた。週の頭頃には部屋を芸房アトリエらしく切り撮ってみたり、日本へ発送する積で注文した贈り物と共に或る巨匠画家の文献も早々手元に届いたりと、芸術の秋たる香りが依然漂っていた筈が、土曜日の仕事を終え職場を出ると町はすっかりシュトレンの如く雪に覆われていた。町のあちこちには電線の代わりにクリスマスの装飾が架かっている。クリスマスが近付くと言う事は今年も残り僅かであると言うのと同意である。そろそろ本年に遣り残しが無いかどうか、注意深く確認していかねばならない。



(※1)サワー種Sauerteig:サワードウとも呼ばれる。水と粉で起こした天然酵母。
(※2)モーンシュトMohnstollenレン:モーン(ケシの実)フィリングを使用したシュトレン。
(※3)ヌスシュトレNussstollenン:ナッツフィリングを使用したシュトレン。
(※4)ブロートBrot:大型パンの総称。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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