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*45 夏

※最後にお知らせがあります※

 発酵が上手くいかず、納得のいかぬ焼き上がりで窯から出て来たライ麦パンは売物にならぬ代わりに、次のライ麦パンの為に副材となってその魂が受け継がれる。売物にはならぬが食物として害のあるわけでもないパンを細かく切り刻んでは、低温に設定したオーブンの中に何十分と入れっ放しにして乾燥させる。低温といっても一〇〇度と熱い。季節柄、オーブンの中のパン屑に感情移入まぬかれず、しかし湿度の低いからっとした暑さであれば、一〇〇度と言えど我々よりも幾らか耐え易かろうなどと思ってしまった。
 
 昨日も今日も、明日も屹度、冷涼味わう瞬間の無い生活が続く。暑い中で暑い、暑いと頻りに言うと疎まれてしまうだろうから皆口を揃えて、暑さを乗り切ろうと拳を突き上げるのであろうが、私はまだまだ初心者で、暑さに打たれてなお項垂うなだれている。朝目が覚めた時点から夜眠りにつく迄、暑い空気が肌身を剝がれていかない。冷房にあたる環境が無い今、家に座っていても工房でパンを作っていても絶えず熱に包まれている。屋内熱中症など他人事とばかり思っていた昨年の私は今やもういない。むしろ当事者と成り得るも時間の問題である。この蒸暑にも体が慣れれば平気になるのかもしれないが、慣れる前に体が白旗を上げてしまうんじゃないかと、そういう弱気な事を考えるのも暑さの所為である。
 
 気候が精神に影響を及ぼすという話は、日光にあたると元気になるという話でのみ聞いた事があったが、今実際に身を持って痛感しているのは酷暑が精神を蝕んでいく悪影響である。何れの場合も太陽が源にあるというのも何とも皮肉である。そうして精神を蝕まれ、視野を狭められ、思考を鈍らされる中で笑顔と建前と世間体の遵守を強要されるとなれば、いやはや私の場合を思えば真面まともでいられるとは到底思えぬ。この苦痛がまた何処に誰にぶつけられるものでも無いからみるみる人間は委縮する。オーブンの中のパン屑が水分を失いその体を小さくして外へ出てくるのとは訳の違う委縮である。
 
 確か窯に入ったばかりの頃はパン屑に感情移入していた私も、窯から出て来たパン屑を見たら、それが地中海に面した海岸で砂浜に寝転び日焼けに没頭する西洋人を彷彿とさせて何とも情けなくなった。ここまでこうして散々文句を垂れてみて、確かに気分が滅入っていくなあと思った時、矢ッ張り無理矢理にでも暑さを乗り切ろうと拳を上げて士気を高めねば潰されてしまうのかもしれないと思った。丁度、過発酵気味の弱ったライ麦生地が窯の中で蒸気に押し潰される、それと同じ様である。
 
 
 火曜日、少し前に地域おこし協力隊の方からポッドキャスト出演の依頼があった為、不断ふだんは土曜にカフェをさせて貰っているだけの所へやって来た。地元の方を当たって地元の話を語って頂く、という様な主旨で行われているらしかったポッドキャストにそぐえる話など私の口から出るだろうかといささか心配ではあったが、まあインタビュー形式で進められると言うから、質問に単純答える事なら出来る私は変に気負わず指定の部屋へ入った。
 
 
 くしてインタビューは済んだ。案の定、地元を語れる場面もほとんど無かったが、地元にこういう人がいますという人物紹介くらいで良いんです、と言って貰ったのでそれで納得した。しかし対話は楽しかった。インタビュアーの方も似た境遇の過去を御持ちで盛り上がった。公開は秋頃だと言った。先日のテレビ撮影同様、誰か一人でも新規の目に、或いは耳にさえ留まれば、と思う。
 
 時間は昼時。珍しい時に珍しい場所へ来たから、カフェ営業の日には時間都合で行けずにいた蕎麦屋へ寄ってみる事にした。なんでも美味い蕎麦屋なんだと以前から聞いていたし、私がカフェをやっている地名を人へ言うと、まずその蕎麦屋の名前が出る。それくらいには名の有る蕎麦屋であった。
 
 急勾配の細い坂道をぐりぐりと登っていくと、その蕎麦屋はあった。雰囲気も良い、という噂通り爽やかな静林せいりんに囲まれていた。砂利の駐車場に停まってあった先客らしい一台の車は県外のナンバーをぶら下げていた。

 駐車場から小振りの門をくぐり、緩やかに伸びる砂利の小道を段々と登ると店が建っている。単に和式と呼ぶのみでは足らぬ古き良きおもむき、日本の面影満ち満ちた店構えで、目を横へやると時代劇の茶屋を彷彿とさせる赤い長腰掛いすが自然体で佇み、その奥に涼やかな木々が風に揺れている。往年の名作、草枕に描かれていても不思議でない洗練された風景である。
 
 店に入ると県外ナンバーの先客が二人向かい合って蕎麦を啜っているのみで、奥の座敷席などは伽藍がらんとしていた。それも相俟あいまって、高い天井がなお際立って心地良い。私は窓辺に座って天笊てんざるを頼んだ。蕎麦が来るまで目を外へやる。さっき登って来た小道を逆から眺めても矢張り風流である。そしてこの時、生まれて初めて目から涼を得るという体験が実在するを知った。

 運ばれてきた笊蕎麦ざるそばも涼やかである。さっきまで油に浸かっていた筈の天麩羅さえ心なしか涼やかに見えた。蕎麦も然る事ながらこの天麩羅が美味いという前評判通り、野菜のみの天麩羅盛とは思えぬ充足感であった。あっさり食べ切って何となく気も清々しい。昔ながらの伝統食が軒並み品性を兼ね備えた雰囲気を持つのは、矢張りその土地の風土や文化と深い因果があるからに違いない。詰まり料理と取り巻く環境とが好相性に絡み合っているのだろう。目と口で涼を得た私は何となく名残惜しさを感じながら、何が悲しくて、灼熱の家を目掛けて車を発進させた。
 
 夏場にパンやケーキは売れにくい、と言うのは万国共通らしい。日本でもそうだと聞いた。ドイツでもそうである。ドイツで働いていた頃、夏場は生産量が著しく減って、露骨に労働時間を持て余している者もいた。たった今食ってきた笊蕎麦と照らし合わせて考えてみる。私が蕎麦を食って口や目から得た涼は、確かにパンやケーキでは補えそうにないと悟った。いくらプレッツェルは塩が効いていて塩分補給に良いとか、酸塊スグリ酸李プラムの酸味が夏の暑さに心地良いと謳ってみた所で、高が知れているんだろう。パン食文化で比較的過ごしやすいドイツでさえ売れにくいんだから、パン食文化でもなく高温多湿の日本では、まあ十まで言わずもがなである。

 日に日に夏は真っ盛っていく。蝉も元気一杯で鳴く。なかでも際立って暑くなった土曜日、カフェへ向く客足は案の定落ち着いていた。生クリームの泡立ちにも影響の及ぶほどの暑さでビーネンシュティッヒも並べられなかった。それでも来てくださった何人かの御客の内に、道の駅でドイツのパンを見て来ましたという御婦人があった。入店し、ケーキを見るなり「ツヴェッチュゲンダッチ」と呟いたその御婦人は、聞けば三十年と前にドイツに住んでいたと言った。それから話は盛り上がった。懐かしい単語も出れば、他所で伝わらないドイツの話も出来て楽しかった。そうして何より、そうした人の手にツヴェッチュゲンダッチが渡ったのが何とも嬉しかった。客数や売上こそ大変少なかったが、何とも満足した心持で店じまいをした。
 
 カフェを出た私は、そのままある所へ向かって見知らぬ道を車で駆けていた。以前イベントで知り合った夫婦からバーベキューに誘って頂いていたのである。これだけ暑い中でどうなる事かと不安に思いながら、それでも随分山の上の指定された場所へ着くと、まるで地元と思えないような長閑のどかで余裕ある景色が広がり、車を降りても気になる程の暑さが感じられなかった。
 
 ほとんど初対面の人達で構成されたコミュニティであったが、近頃味わった覚えの無い居心地の良さがあった。全くもって嫌味の無い素直な平和があった。ドイツにいた頃に感じていた気の楽さがそこにはあった。どうしても早めに帰る必要のあった私はその帰り道、何となく人生の視野が広がった様な思いになっていた。同じ市内でも、全くの別世界がある事を知った時、同じ市内に住んでいるとは思えない人達のコミュニティがあると知った時、私が本当に欲しい居場所の輪郭が少し鮮明になったような気がした。里へ下りて来るとまた暑かった。何が悲しくて、帰って来た家の中は眠りにつく迄熱気が肌を包んで離さなかった。


 
 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


【お知らせ】

先日2024年7月30日より、地元・長野県飯山市の「ふるさと納税返礼品」として、パンを取り扱って頂く事になりました(本編の中で触れ忘れました)!
大変分不相応で恐縮ですが、些細でも地元に貢献できればと思う所存です!
気になる方は下記リンクから覗いてみて下さい!       GENCOS

 

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