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*15 馬に乗るまでは牛に乗る

 四月に入ると冬の影もすっかり無くなり、外を走る際の身支度にも衣替えを施し、また走っていると其処彼処で車のタイヤが交換されているのを見掛ける様にぽかぽかとした日が続き、この街もすっかり春の訪れを両の手に迎え入れたと思ったところに雪が降った。朝起きてキッチンにミルクを取りに行くと、窓の外の景色がすっかり薄らと白んでいたので、普段は天気に殆ど無関心な私もこれには驚いた。それで学校に行き更衣室で二人きりになったクラスメートにまた冬に戻ったねと話し掛けると、それを最後に先生からも生徒からもその日それ以上雪の話題を耳にする事のなかったところを見ると、然程珍しい現象でも無さそうである。

 学校が始まってまだ数日しか経っていないというのに、既に九週間後に控えるマイスター試験に向けた準備が積極的に進められている。今週は早速各自で考えた試験用の飾りパンの試作を作った。最終試験で幾つかのパンやケーキを作り、それを一つのショーウィンドウの様にテーマを持って飾り付けをする必要があるのだが、私はあれこれ考えた果てに「旅」というテーマを掲げる事にした。そしてそれに似合うように四角い革鞄を模した飾りパンを作る事に決め、最初の試作は細かな課題はあれど概ね想像よりも見栄えの良い出来になった。



 今週から本格的に座学も始まった。座学と一口に言っても計算や栄養科学、専門技術等幾つかの科目に別れていて、それぞれをバランスよく学んでいく様に時間が割られている。今週は計算の授業から始まった。

 時計の針が八時を示すや否や、また秘密裏に実力査定の機会が企てられていたようで、三年前に学んでぎりの計算問題の並べられた紙が配られた。内心自信はなく覚悟を決めて臨んだのだが、呆気なく全て正しく解けてしまった。普段脳内で反芻させずとも、いざとなった場合には律義に蘇る記憶に感心させられた。

 それから授業に入っていくと、まるで小学校の算数の様な授業が繰り広げられ、分数や少数の加減乗除から面積や体積を求める計算を改めて習った。それくらいであれば本来熱を出さずとも熟せるわけであるが、そうして高を括っているとコンマの位置(※1)を打ち誤ったりして不必要な訂正を施す手間が生じ、これが本試験であればこうした下らない用事に手を焼いている暇は無いので、石橋でなくとも叩き叩き亀の如く歩かねばならないと心に刻んだ。尤もこの時ばかりは計算そのものと言うよりも、ドイツ語に置き替えられた加減乗除の算法や分数、少数と言った言葉を知らないという所の方が問題であったので、自ずと牛の如き歩みになっていたのは言わずもがなである。

 言葉の面で言えば、ドイツ国内の方言で最も難解だとされているバイエルン弁についても一つ頭を抱える発見をした。授業中の先生の説明は、復唱は出来ずとも理解には今のところ困らずにいる。恐らく、生徒の中にアジア人がいる事を考慮して手加減してくれているものと見えるのだが、問題は教科書を読む際に在った。

 指示に従い教科書の指定の頁を開き、指定の項目に目を向ける。そして先生が読むのを聞きつつ、手元の文字を目で追っていくのだが、どうもバイエルン弁と言うのは筆記体の様である。これが日本語なら仮名文字とか草書体だとかに形容すべきであるが、兎に角全ての言葉が一繋がりに発せられている様で、思わぬところで墨継が行われるもんだから教科書もあってない様な物である。洋画に置いて字幕と音声が同一言語でありながら両者の台詞の相違によって混乱を催すあれである。

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 今週は糖質や脂質、タンパク質についても教わった。食物の話の積で聞いていたらⅭとОとHの並び方で呼名が変わったり、円を幾つも並べてその連なりが脂肪酸だとまるで実態の見えない御伽噺を聞かされたりと、科学的側面を持つ事を知った三年前には理解に苦戦を強いられた科目であったが、ドイツ語の面でも知識の面でも当時より多少の成長があるものと見えて、改めて説明を読み聞きしてみると、なるほど喉に閊える事なく腹まで落ちた。

 それに胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は価格計算だとか労働者保護法だとか、大凡辞書には載っていないような経済的、経営学的な専門用語が連なった紙を七十枚近く、一時に渡された時は流石に面を食らった。家に帰って机に向かい辞書とインターネットと紙の山と順番に睨めっこをして読解に努めるも骨折をせずには登れない山と見えて、結局五時間掛けても一合と登れず遂にはいつもより早めにベッドに逃げ込んだ。ドイツ語で聞いた説明で掴みかけた理解を、日本語に直そうとする段階で手を焼くのでいっそ翻訳を諦めようかとも思うが、そうすると深層の理解まで到達しないという三年前の経験に基づいて思い切れないでいる。

 翌朝、登校時に同居人のトーマスに尋ねてみると、昨夜に私を苦しめた問題はいとも容易くほどけた。



 授業は目紛るしく進んで行く。幸い、先生の雑な手書きの板書ではなくパワーポイントで進められるので、文字を読めずに苦戦する事は無いのであるが、それでもその文字列を書き写すだけで精一杯の速度で授業が進んでいくので、学校を終え家に帰ってからも殆どの時間を机に齧りついて過ごす。その日の授業で貰ったプリントに書かれたドイツ語の羅列の中に潜む未確認の単語を翻訳するところから始まって、今度はその内容の全貌を解き明かそうと紙の中に顔を埋めていると、いつの間にか日付を跨いでいる毎日である。それで漸くクラスメートに肩を並べられるのであるから、食事と睡眠と運動を遣り繰りして勉学に費やす時間を極力捻出する必要があるのである。そして尚且つ時間の隙間を見付けた場合には、こうしてちまちまと文章を綴ったりするので、節約の成果として手元に残る時間も余す事無く有意義に消費されていくのである。

 ただそれは苦に思う事も労に思う事もなく、ましてや辛抱だの忍耐だのと言う消極的な言葉で片付けるなど厭わしきこと論を俟たない(※2)所であり、寧ろこういう事がしたかったと過去の自分が恍惚とするが如き悦楽たる日々なのである。態々レクリエーションという言葉を当てて、散々頼って来た国語辞典に反旗を翻す事さえ厭わない所存である。兎に角、憧れの生活に身を置く今の生活は四六時中鼻息を荒げ、それが下手に文章の中で滲まぬように注意しながら謳歌し、また翻るムレータ(※3)に猛進するが如く精進していく次第である。



 金曜日の夕方、ちょうど私がジョギングに出掛けようかという時になってトーマスから、プファンクーヘン(※4)を作るがいるか、という連絡が入ったので、一先ずキッチンへ行き返事をした。それでも、今から走りに出る積でいたと言うと、出来上がるまでにまだ時間が要るから大丈夫と言うので、予定通りに私は走りに行き、それからシャワーを浴びてキッチンに戻って来た。

 ドイツに生活している中で、レストランやスーパーマーケットでOmas Rezeptという言葉を見掛ける事は少なくない。要するに「おばあちゃんのレシピ」と言った意味合いであるが、その言葉のついた料理を見ると一際美味しそうに思えるのである。

 この日彼が振る舞ってくれたプファンクーヘンも、彼の祖母のレシピであると言っていた。目分量でごそごそ材料をボウルに入れていく彼に、分量を量らなくていいのかと聞くと、祖母のやり方だからと自信に満ちていたのでそれ以上言及はしなかった。そうして出来上がったプファンクーヘンを囲み、学校の事や音楽の事、昔の仕事の事まであれこれと話をしながら時間を過ごした。そうしながら口に運ぶ彼の祖母の味で、私は自らの祖母の味を思い出さざるを得なかった。それでただ懐かしみ童心に返るわけではなく、もう一度その味の元に帰るべく、うかうかしていられないとまた一層己に気合を込めたのである。


(※1)コンマの位置:ドイツでは小数点にピリオドではなくコンマを使う。
(※2)論を俟たない:言うまでもない。論じるまでもなく明らかな様。
(※3)ムレータ:闘牛に用いられる赤い布。
(※4)プファンクーヘン[Pfannkuchen]:クレープの様に生地を焼いたもので、甘味にも食事にも食べられる(南ドイツ・オーストリア)。



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*0-1 プロローグ前編

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※マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。

 

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