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*8 夢を見るということ

 恋人が搭乗ゲートへ向かい、その背中を見送った瞬間から私達の九〇〇〇㎞に渡る遠距離恋愛が始まった。


 フランクフルト(※1)は晴れていた。ミュンヘンの部屋からフランクフルトへ向かう道中で、スーツケースやボストンバックを携えた人をほとんど見掛けなかったので、このご時世、もはや後ろめたさを感じる様であったが、空港に近付くに連れそういった姿がぽつぽつと増えだすと少し安心した。それどころか、空港に入るとトルコ航空のチェックインカウンターには長蛇の列が出来ており、私の恋人同様祖国へ帰るのか、はたまた旅行なのかと勘繰るやいなや、コロナウイルスの文字が脳裏を過り、慌てて自分が感じていた後ろめたさを思い出し、それ以上彼らの動向を詮索するのを辞めた。

 私達二人は前日の夜にフランクフルトに到着し、予約していたホテルで最後の時間を過ごした。遠距離恋愛を目前に控えておきながら、ゲームをしてみたり、冗談を言ってみたりと、それまでと何ら変わらずに過ごしてみたが、これは即ち、九〇〇〇㎞離れるという空前絶後の実際的事実にいまいち実感が湧いていなかったが故である。その証拠に、彼女を見送り帰路に着くと見慣れたはずの街の景色に違和感を感じ、一人帰った部屋に着いた途端、そこでようやく寂寥の念に包まれ、塞き止められていたであろう感情の波が一遍に押し寄せ溢れ流れ出したのである。



 三年前のこの時期、ドイツではファッシング(※2)に向けて各パン屋がクラップフェン(※3)の大量生産に追われる繁忙期を迎え、私の職場も例外なく工房内に油の匂いが充満していた。私はまだ仕事を始めて間もなかった彼女と二人で、同じ作業を一日中こなす役割に分担された。

 そこで私は、ただ黙って作業だけして退屈させるのも無作法であるし、わざわざドイツまで来た彼女に日本式の上下関係を振り翳し緊張させる事など言語道断であるという信念に基づき、計五日程の共同作業期間には積極的に、友好的に話し掛けるようにしていた。これを書いただけでは、彼女を慮った私を褒めよ、と言わんばかりで我が田に水を引く様であるから追記しておくと、元来人と喋る事を好む私の性質上、ただ暇をしていた私の口がべらべらと動きたくて動いていたというのが、根本に在ったという事を心得て戴きたい。

 するとそこで成り立つ会話が存外終始愉快であった。以前こうして書いた事があったが、当時の私は孤軍奮闘の境遇におり、ついにはその孤立無援の生活にすっかり慣れてしまっていた為に、誰それと日本語で会話をするという事をほとんど味わわずにいたのである。そんな私が彼女との会話に感じた愉快さは、久しさや懐かしさを通り越し、もはや新鮮であった。それから私は共に作業した五日間を過ぎても、その次もまたその次もと彼女との会話を求め機会を設けようと努めたのである。


 約一ヶ月が経ち私達は交際を始めた。それから遠距離恋愛が始まった今までの約三年の間、ほとんど四六時中三百六十五日絶えず一緒に過ごしたと言っても過言ではなかった。

 と言うのも、職場で出会ったので仕事中も一緒である事は言わずもがなであるが、住居に関しても二人とも社員寮に住んでいた為、廊下を一本挟んで向かい合わせに部屋を借りていた私達は、初めからほとんど半同棲の様な環境で過ごす事が可能だったからである。またそれから一年半が経つと、社長が私達に二人で住める広さのアパートを紹介してくれたので、私達はそこへ二人で移った。

 そうしてみると、最初に言った四六時中三百六十五日絶えず、という表現がやはりあながち大袈裟でもないのである。私達が関係をこれまで育んできた経歴の特殊性を今になってしみじみと想う所である。


 一般的には職場も住居も異なる男女が、何とか都合を合わせて出会う僅かな時間でもって互いを探り、互いを知り、メールや電話の向こう側を疑ったり、またその猜疑心に打ち克ち信じたりして、互いの思想や価値観の差異を擦り合わせながら関係を築き上げていく物だとかつての私も信じて疑わなかった。しかし実際私達が繰り広げてきた過程は、それとはまるで真逆であった。初めからずっと一緒という事は、前記した擦り合わせを急ピッチで行う必要性が出てくるのである。当時の私達は、調整に懸命で必死に動いていた事実に、温情や慈愛といった幸福感のお陰で気付かなかったが、今になって思うとその調整作業は互いに相当量の苦労を強いられていたように思え、それでも一緒にいてくれた彼女に感謝の念が絶えないのである。

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 人並か人並み以上にぶつかり合った事は事実であるが、それ以上に楽しい記憶が蘇るのもまた偽りの無い真実である。ヨーロッパ諸国や日本を初め国内外あらゆる所へ旅行をした事などの大イベントも然ることながら、私が恋しく思い出す場面の多くは日常の中の景色である。彼女を見送り空っぽの部屋へ帰ってきた時の寂しさが、部屋の至る所に彼女の残像を映し出す様であった。

 キッチンでは料理を作っていた。或いはせかせかと片付けをしていたかもしれない。片付けの苦手な私が幾度も注意をされた事さえ微笑ましく思えた。

 リビングではソファーに寝転がって漫画か動画を見ていた。或いは私がソファーに座り入口の方を見上げると、廊下から彼女が姿を現す様であった。

 寝室ではまだ眠っていた。扉の前にはスリッパが揃えられていた。或いは着替えの途中で私が扉を開けてしまって笑いながら注意を受けていたかもしれない。

 詰まりやすいトイレからはすぽすぽと詰まりを解消しようとしている音が聞こえた。
 シャワーカーテンの向こう側からは小さい鼻歌が聞こえた。

 私はそれらの残像を掻き消すようになのか、はたまたもっと鮮明に見えるようになのか、もはや解らなかったがビールを体に流し込んだ。聞こえる鼻歌を掻き消すようになのか、はたまた寧ろ強調させたいからなのか、もはや解ろうともしなかったが適当にユーチューブを流していた。前もって覚悟しておいた寂しさの何千倍も、淋しかった。



 私には夢がある。大きな夢である。それを果たしたらもう最期を迎えても良いと思えるような夢である。その夢の達成から逆算すると、順を追って幾つかの目標がある。これから私が挑む製パンマイスターという国家資格の取得は最も直近の一目標であるし、その道程をここに綴って残していく事もまた一つの挑戦である。そして当然彼女にも夢がある。目標がある。おそらく同じように逆算して順序だてられた確固たる目標がある。

 彼女と離れ、一人部屋で寂しさに襲われた後に、それらの掲げた目標や夢が必死に私の心を励ました。今日からは私達だけを見てくれと言わんばかりに、私の心の目を真っ直ぐに見つめていた。そしてこの別れは決して悲劇の始まりではなく、あくまでも次のステップへと踏み出す為に必要な至極前向きなものであると説いた。

 大アルカナの運命の輪が引き出された様に、この今が人生に置いて、運命に置いて、一世一代の大転換点である確信があった。ここで生み出されるエネルギーを私の推進力に変換しなければ、あの寂しみも約束も全て嘘になってしまうと悟った。

 この日を境に、さらに薪をくべ、新たな世界を切り開いていく。夢に向かって伸びる一本道の随所に建てられた目標を順次目指し、ストイックに尽力し邁進していく。そうしてこの九〇〇〇㎞の大遠距離恋愛の寂しさを、いつかの自分が笑って肯定出来るまでに塗り替えていく。

 敵は前方、退路は無い。何があってもぶっ倒れない。一人になってもギターが弾けると強がっていたロックンローラーの様に、私は今一度、己のケツを蹴り上げてやった。



 翌日私は、彼女と最後に駅で撮った写真を現像し、写真立てに入れて飾った。お互い似たような良い表情をしている。

 不撓不屈である。



(※1)フランクフルト:ドイツのヘッセン州に属する都市。
(※2)ファッシング [Fasching]:謝肉祭、カーニバル。キリスト教のお祭り。
(※3)クラップフェン [Krapfen]:揚げドーナツ、揚げパンの一種。中にジャムが詰められており、一般的に謝肉祭の時期に食べられる。


最初から読みたくなった方はこちら↓
*0-1 プロローグ前編


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