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ドイツパン修行録~マイスター学校編~

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製パン経験の全く無かった元宮大工の男がパンの本場ドイツに渡り、国家資格である製パンマイスターを目指す物語のマイスター学校編。 田舎町に移り住み、通い始めたマイスター学校。真っ新な… もっと読む
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#掌編小説

*5 おわりはじまり

 ドイツに来てから五年間世話になったパン屋をとうとう辞めた。気付けば前職の宮大工であった四年を越え、暦で見てももう肩書はパン職人たるべきはずである。振り返ろうとすると想像以上に文字数が嵩みそうなので、今回ばかりは覚悟を持って読み進めていただきたい。  去年の春頃に企てた時点ではその年の七月まででとっくに辞めているはずだったのだが、言わずもがなその計画を変更せざるを得ない状況を迎え、そうして年の明けたこの一月末に照準を合わせて来た。一日一日指折り数えながら遥か先の事のように思

*6 天使の拍手が鳴るかのように

 始業の定時である深夜一時よりも十分程早く工房に入り、すでに仕事に掛かっている数人の同僚に挨拶をしながら自分の持ち場である巨大なデッキオーブンの前まで足を運び、オーブンに窯入れや窯出し用に備え付けられた機械を操作する為のコンピューターの電源を入れ、冷蔵室で丸一日時間をかけてゆっくりと発酵を進められたバゲット生地が並べられている天板でいっぱいのキャスター付きラックを引っ張り出し、ナイフでクープを入れ窯入れする。それを皮切りに、その日中に出荷されるべき五種類のブロート(※1)を順

*7 パン屋に映す歴史的浪漫

 ドイツに来るより前に私がドイツに対して抱いていた印象、あるいは得ていた知識はほとんど無かった。ドイツ語圏である事とビールとパンとソーセージ、それくらいであった。ところが同時期にドイツに来て知り合った邦人達の口からは、ジャガイモや豚肉であるとかサッカーや古城であるとか、どこでどうやって仕入れたのかと思うような話を聞いて私は自身の無知をひそひそと恥じた。  皆が言うように、確かにドイツ料理と呼ばれる物のほとんどが豚肉とジャガイモの組み合わせであったし、古城が多い事や、サッカー

*8 夢を見るということ

 恋人が搭乗ゲートへ向かい、その背中を見送った瞬間から私達の九〇〇〇㎞に渡る遠距離恋愛が始まった。  フランクフルト(※1)は晴れていた。ミュンヘンの部屋からフランクフルトへ向かう道中で、スーツケースやボストンバックを携えた人をほとんど見掛けなかったので、このご時世、もはや後ろめたさを感じる様であったが、空港に近付くに連れそういった姿がぽつぽつと増えだすと少し安心した。それどころか、空港に入るとトルコ航空のチェックインカウンターには長蛇の列が出来ており、私の恋人同様祖国へ帰

*9 想い出を後にして

 フランクフルト空港から帰ってきた時は隙間だらけで私一人に対し空間を持て余していたアパートの部屋も、日に日にその規模を縮小していると見えて、相対的に自分を小さく見積もる事も少なくなってきた。  一人になると寂しいのは紛う事なき事実であるが、いつまでもおめおめとそんな事ばかり考えていても仕方がない。しかしここで言う寂しさとは、決して愛の欠損によるものに限った話ではなく、時間的余白の中で己に対する遣る瀬無さを感じている事をも指している。世間体を憚らずに言えば所謂ニートとなったの

*10 ニュー・スタート

 陽射しの割に肌寒い初春の候の下を行くにはやや軽過ぎた装いに、心持ち後悔の念を抱きつついた私は、重たい荷物を全身に絡げて乗り込んだ快速列車の中で、結局背中を汗で湿らせながら、六年暮らした街並を車窓から眺めていた。或いは、車窓から街を眺めていたと言うよりも、過ごした六年の記憶を窓に映して眺めていたと言った方が適当かも知れない。兎に角私は三月の一日にミュンヘン(※1)を去ったのである。  ミュンヘンで過ごす最後の日となったその日は朝から仕上げの片付けに追われていたにも拘らず、珍

*11 パンを求めて

 引っ越してからの日々は至極平坦な物である。しかし平単でありながら、一般という枠からはすっかりはみ出してしまっているように思われて、どことなく肩身が狭い様な気持ちがする。最新の流行を把握しているわけでもなければ、経済の動向を細かくチェックしているわけでもなく、いわば社会人であれば当然であるべき筈のルールを悉く疎かにしながら、それでも今日もこうして一丁前に営まれる生活という支川が、再度社会の激流とぶつかり合流する日を今か今かと待ち焦がれている者こそが私である。  そんな私が今

*12 不安な心は春風を待つ

 最も単簡な言葉で言い表すとすれば、先週末に焼いたパンは満足の出来であった。或いは、こんな可もなく不可もない無難な表現で言い表す外に、適当に装飾出来る言葉が見当たらない程至極平凡で、仮にも製パンに従事する者としては所詮最低点を上回った程度な当然の出来栄えであった。特別輝かしかったわけでもなければ、飛んでもなく酷かったわけでもないのである。  しかし私にとって大切だったのは結果よりも工程にあった。先だって自らを「製パンに従事する者」と謳った矢先であるが、肝心の製パン業から離れ

*25 カササギをただ待つよりも

 七夕という風物を意識して過ごしたのは何年ぶりだっただろうか。思い返そうと記憶に飛び込んで連想を試みても、ジョバンニとカムパネルラが天の川を旅するばかり(※1)で七夕の記憶は保育園生だった頃まで遡る必要がありそうであった。かと言って今週の七夕も果たしてどういう因果で思い起こされたのかまるで分からない。短冊を書くでも吊るすでもない私は、試験の後からの雇用を乞うメールや事務的な堅いメールを二三書く必要があったので、それを七夕の日に、余り面倒な未来を引き起こしてくれるなと願を掛けイ

*24 ダイナモライト

 実技試験を終え帰宅した私は同居人のトーマスと試験についてあれこれと話している内にとてつもない解放感に襲われ、居ても立っても居られない心持ちになっていた。暫く話し込んだ後、彼は実家のあるオーストリアに帰ると言うので、良い週末をと言って見送ると愈々下宿に一人になり、溢れる解放感に身を委ねた。  この解放感の正体というのは大勝負を終えた安堵でもあるが、それ以上に三ヶ月間続けた奮励からの解放であると直ぐに分かった。寝食を二の次に一心不乱に机に向かい、週末には狂ったようにケーキやパ

*23.5 結果報告と六月の回想

 ドイツに渡って初めの六ヶ月間語学学校でドイツ語を習い、その最後に満を持して当時の私にはまだまだ敷居の高かったB1レベル(※1)のドイツ語試験を受けたのだが、その際に、やるからには満点を目指す積だ、端から赤点基準さえ越えられれば良いという考えは理解が出来ないという意気込みを何の気無しに会話の流れで他人に話してみたところ、君は完璧主義でナルシストだねと評された事がある。成程、これを人はナルシストと呼ぶのかと、その聞き馴染みの無い表現に感心をしては目から鱗を零していたが、それで言

*23 身の程知らず

 私が一心不乱に勉強を進めていた間に、窓の外の景色はすっかり変わっていた。猫の目の如く忙しなかった天気は過ぎ去り、今度は三十度を越える太陽の光線でもって徹底的に我々を焼き付ける。オーブンや発酵室が稼働する工房の中ともなれば、さらに質の悪い暑さで身を内外から痛めつけてくるのであるが、そう言えば比較的からりとした暑さの夏ばかり経験しているここ数年の私が湿度の高い日本の猛暑の炎天下に放り出されたら、忽ち団扇代わりに白旗でもって暑さを凌ぎそうなものだと考えるに至った所で少々恐ろしくな

*22 フォーエヴァー・ヤング

 私が工業高校を卒業して十八歳で宮大工の会社に入社した時、初めて配属された現場の指導者が二十八歳であったと記憶している。自分より十歳年上だったその人はその年齢差が指し示す通りの、大人として、また現場指導者としての風格や貫禄があった。あれから十年が経ち、今では私が二十八歳であると気が付いた時、果たして今の自分に当時の彼の様な貫禄や風格があるかと自らに問うと、私自身が出した答えは否であった。無論、主観と客観では感じ方が異なる事など重々承知の上である。  これと同じ様な事が二十歳

*21 四の五の言わず

 一を聞いて十を知るが如くある程度の事は察し良く熟せるという自負のある私であったが、事勉学となると、ましてや我が人生に直結した物ともなれば、ドイツ語で見聞きした物を察したのみで満足して進むわけにはいかず、学んだ事を慎重に頭の中に詰め込んで、それを今度は落とさないようにこれまた慎重に歩みを進めていると、かつて要領良く仕事をしていた私が嘘のように思われ、またいくら私の歩みが遅くなろうとも当時と等しい速度で過ぎていく時間に否応無く焦燥感を抱かされるのである。まったく一筋縄ではいかず