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*6 天使の拍手が鳴るかのように

 始業の定時である深夜一時よりも十分程早く工房に入り、すでに仕事に掛かっている数人の同僚に挨拶をしながら自分の持ち場である巨大なデッキオーブンの前まで足を運び、オーブンに窯入れや窯出し用に備え付けられた機械を操作する為のコンピューターの電源を入れ、冷蔵室で丸一日時間をかけてゆっくりと発酵を進められたバゲット生地が並べられている天板でいっぱいのキャスター付きラックを引っ張り出し、ナイフでクープを入れ窯入れする。それを皮切りに、その日中に出荷されるべき五種類のブロート(※1)を順番に窯入れしていき、午前三時半くらいに一旦落ち着ける時間が訪れ、三十分の休憩に入っていたはずの時間に、近頃は自然と目が覚める。


 仕事を辞めて最初の一週間は毎日がそうであった。夜の十一時くらいにベッドに入って眠りについても早朝に目が覚める。これは、やはりパン屋は早起きの習慣が身に付いているというよりも、単純に六時間足らずの睡眠時間が通常に習慣化された結末である。日本で働いていた頃の私は寮の起床と消灯を守ってきっちり七時間半の睡眠を取っても足りなかったのだが、今や明確な原因が解っているとは言えその頃が信じられない。

 それでも体を起こすには早過ぎるので、スマートフォンを見ながら隣で眠る恋人が目覚めるのを待つ。そうしていると眠くなる事もあるのでその時は潔く目を瞑る。社会に出てから今日までに味わう事の無かった類の贅沢である。
 恋人の目が覚めると、コーヒーを淹れ朝食の準備をする。スーパーで買ったチョコパンと冷凍のプレッツェル。このプレッツェルは家庭用オーブンで焼き上げる仕様になっており、自宅で焼きたてを食べられる優れものでありながら比較的安価だった。

 まるで優雅な生活である。いや、事実私の過去を振り返っても同じようにゆっくりと、何にも縛られる事なく、何にも追われる事なくコーヒーを啜る朝は一度も無かった。たとえ有給休暇で同じような朝を迎えても、それはあくまで労働契約の上にある時間であり、心のどこかに仕事の状況や有給休暇明けの仕事のに対する心配をぼんやりと抱えていたので、まるで別物であった。したがってこんな朝は紛れもなく空前絶後に優雅なのである。

 しかし、そんな優雅さを純粋に味わえるかと言うと、決してそうではない。仕事をしていない、という漠然とした不安が常に付き纏うのである。来月からマイスター養成学校に通うとは言え、引越しや手続きの準備に追われるとは言え、どうしてもこの過ぎた決断の岐路に立ってなお未だに社会から後ろ髪を引かれているようなのである。仕事を辞めたらその解放感に歓喜するかと思われたのだが、案外、自身を正体不明の第三者目線で社会的に評そうと努める自分に気付いてしまった。

 だがいくら気持ちが陰っても、自分はもうその岐路には立ち竦んでおらず、とっくに自身の選択によって岐路を通過した後である。その事実を再認識し安心する際に、人間は後悔するように出来ているという誰か偉い人の言葉を思い出した。この言葉は若かりし頃の私の座右の銘であった。結局私は、もう一ヶ月その職場に居たとしてもきっと後悔しているという仮説を唱え、その問題を一度脳内から片付ける事にした。


 片付けと言えば私の借り部屋も来週大家が部屋の確認に来るまでに粗方済ませておかねばならない。社会を外れた今は専ら片付けに勤しんでいる。そうは言っても月末まではここに居座り続けなければならない私は、部屋を伽藍堂にしてしまっては後の生活が至極慎ましいものになりかねないので、あれはまだ置いておく、これはもう荷物に詰める、と脳を忙しなく働かさないといけないので少し厄介である。

 私物はそれほど多くないと高を括っていたのだが、やはり六年も暮らしていれば否が応でも物は増える。大きな家具家電は幸い無いにしても、何だかんだと買い足して来た物をいざ段ボール箱やスーツケースに詰めようとするとすぐに一杯になった。昔は服が好きだったが近頃はほとんど興味が向かない。思い出の沁み込んだジャケットなんかもこの度思い切って処分したし、必要最低限の衣類だけになるように調整した。

 最も煩わしかったのは本である。元来、本を好む性質なので、気付かずこの六年間で買い集めた本は優に四十冊を上回っていた。それを全て携えて居を移そうと思うととても難儀であるため、私は読まなくなった二十冊近い本をインターネットで売り捌き、十冊程は実家に送る荷物に詰め、残った二十冊程は次の下宿先に持って行くことにした。尤も持って行く書物はドイツ語や日本語で書かれた複数の製パン専門書と私の心の支えである日本を代表する純文学小説に限ったものである。

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 今後の生活に不要と思われる物を詰めた段ボールは十九キロもの重さになった。それを日本の実家宛に発送すると、部屋は少しすっきりした。こうして徐々に、部屋を賑わしていた物の数々が減っていくに連れて、部屋が本来の姿を取り戻していくに連れて、私の中の寂しさは日々少しずつ増していく。思い出を失っているわけでもあるまいに。


 物を減らし寂しさを増やしている傍らで、その増えた寂しさをまるでだるま落としの要領で打ち飛ばす木槌の様なコミュニケーションの機会が意図せず訪れた。

 週の頭には、私がSNSで退職報告をしたのをきっかけに、ドイツで三年のアウスビルドゥング(※2)期間に職業学校でクラスメートだったイタリア人とテレビ電話を通し三年ぶりに会話をした。現在イタリアのパン屋で働くと言う彼は、私のマイスター資格取得への挑戦を大いに喜び励ましてくれた。彼もまた、いつかマイスター取得を目指しており、その為にイタリアに住む今でもドイツ語を話せるようにしている、という話を聞いて私も彼の背中を叩いた。クラスメートだった三年前などは、特別密な友好関係を持っていたわけでは無かったのだが、時を経た今、こうして互いに壮行し合えたのは何かの吉兆だと勘繰らざるを得なかった。

 それから週末の土曜日には元同僚夫婦の家を訪れた。彼女らが働くパン屋にパンを買いに行くという話をしたところ、少し寄っていきなとのお誘いがあったので、私は恋人と共にお邪魔した。ミュンヘンを離れる前、最後の挨拶くらい、と考えていたのだが、予想していた以上に話は弾み気付けば五時間程も長居してしまっていた。当時共に働いていた頃の話や、今後の進路、将来の事、また各々の趣味の話に至るまで、昼間からビールとパンを分け合いながら実に有意義な時間を過ごす事が出来た。ここでも応援の言葉を何度も戴いた。オンライン化が進む昨今、オフラインでしか味わえない楽しさと言うのが時代の激流に飲まれ跡形も無くなってしまわない事を祈るばかりである。

 それから帰宅後、先週まで共に働いていたソマリア人からの電話があった。「ハロー」と元気のいい挨拶を嚆矢として、矢継ぎ早に今週の仕事の状況を拙いドイツ語ながら懸命に説明してくれた。人が足りない、誰それが一切において手伝わない、誰それが不機嫌に任せて説明を怠っていてそれは良くない、自分は自分の仕事とそれ以外を可能な限り手伝っている、そういった不満や現状を朗らかに話していた。私は恋人とそれをうんうんと理解を示しながら聞いていると、ふいに彼は、君たちの仕事が誰より素晴らしかった、と賛辞を送ってくれた。私達はありがとうと言い、彼もまた真面目に一生懸命働く事を知っているのでその旨を伝えた。褒められた事は嬉しいが、それ以上に、職場を離れた今もこうして頼られるという事が嬉しかった。


 電話を切ると一気に気が抜けたように、ふっと一息をついた。朝のうちに買っていたパンを食べたのは結局夕方の六時前。急に頭が重たく感じられたが、おそらく脳が休息を欲していたのだろう。きっと今週中、仕事している時とは違う、慣れない働きを知らず知らずのうちに脳がしていて草臥れたに違いない。その日は比較的早めに眠りについた。



(※1)ブロート:一般的に大型のパン。ドイツパンと聞いて思い浮かべるずっしりとした茶色いパンの多くがそれ。
(※2)アウスビルドゥング[Ausbildung]:ドイツの職業訓練システム。原則3年間、働きながら学校へ通って資格取得を目指す。


最初から読みたくなった方はこちら↓
*0-1 プロローグ前編

前回の話も気になった方はこちら↓
*5 おわりはじまり

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