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*11 パンを求めて

 引っ越してからの日々は至極平坦な物である。しかし平単でありながら、一般という枠からはすっかりはみ出してしまっているように思われて、どことなく肩身が狭い様な気持ちがする。最新の流行を把握しているわけでもなければ、経済の動向を細かくチェックしているわけでもなく、いわば社会人であれば当然であるべき筈のルールを悉く疎かにしながら、それでも今日もこうして一丁前に営まれる生活という支川が、再度社会の激流とぶつかり合流する日を今か今かと待ち焦がれている者こそが私である。


 そんな私が今細々と紡ぐ二十四時間の構成は実に単純である。朝起きてから、コーヒーを二杯分淹れ甘いパンを齧る。必ずしも朝からコーヒーを二杯飲むわけではないのだが、少なくとも一日に二杯以上飲む事が明白である為に、生皮な私は一度にまとめて淹れてしまうのである。風味も趣味もあったものではない。

 それから暫くして腹がこなされてくると、大凡昼前くらいから筋力トレーニングとジョギングに精を出す。字面のみでは、些か傲慢不遜な性質を孕んでいる様に思われるが、実際は只の運動不足の解消とこれから勉学に全身全霊を注ぎ込む為の体力作りというだけである。ジョギングから帰ると、その足でシャワーを浴び、昼飯を食う。話しながら飯を食う場合はすっかり食事が二の次になり、口を開けば飯を入れずに言葉を吐くばかりになってしまう事をかつて恋人に散々注意されていた私も、いよいよ一人で飯を食わなければならない状況に置いては、ものの五分であっさりと片付けてしまう。

 そして夜になると、同居人も帰って来ているので、大体二十一時以降に夕飯に取り掛かる事が多い私は、あまりキッチンを賑やかしては同居人に悪いと配慮して、部屋でビールを飲みながらパンを齧る。質素過ぎる気もするが、ドイツの一般家庭に置いては然程珍しくないのである。そして日付が変わった後も暫くの間、ベッドの上を転がり、そうして漸く眠りにつくのである。

 ここに特記していない二十四時間中の余白に関しては、絵を描いているか、本を読んでいるものとして埋めて戴ければ、大凡我が私生活を覗き見たと言っても過言ではない。

 しかし、ただ漠然と出鱈目に呼吸を繰り返し朝と夜を行ったり来たりするだけでは、生意気にも苦と感じやすい私には、こうも殺風景な生活をしておきながら、其々に瑣末ながら目的が存在する。そしてそれらは、今月末から始まるマイスター資格取得への挑戦に関わるものばかりで、いわば今こうして過ごす時間は万全を期して走り出す為の準備運動なのである。傍から見るだけでは解り得ない程度の主観的価値を見出した上で時間を費やしているので、間違っても遊び足りないというような感情や、不平不満を垂れる事などとは無縁なのである。たとえこれが一般的に言い訳と名付けられていようとも、である。



 しかし、かと言って余りに家の中に引っ込んでばかりでは発見に困窮してしまうので、金曜日に近くのレーゲンスブルク(※1)という街に出掛けた。先日インターネット上で地図を眺めていると二三軒目を惹くパン屋があったのでそこに行ってみようと思い立ったのである。いくらウイルスの規制が順々に緩和されているからと言って、いくら私のテスト結果が陰性であったからと言って、別の街を訪れては隅々まで探検し日の沈むまで堪能しようなどとは、今や毫も思い付かなかった私はただパンを買いに行って帰ってくるつもりで家を出た。

 事前に見ていた天気予報の仰るには、あまり天気は芳しくないとのことであったにも拘らず、いざその日になってみると朝から陽が燦燦と降っていた。窓からも夏の様な陽射しが窓辺に並べた本の列を照らしていたので、日焼けをせぬようにと布を被せて、自分はいよいよ暖かいコートではなく薄手の上着を羽織って出掛けたのだが、いざ外に出てみると太陽の機嫌とは裏腹に空気は寒いままであった。それでも私は、歩けば温かくなるくらいに考えて能天気に駅を目指した。電車に乗ってからものの三十分程でレーゲンスブルクに到着した。


 スマートフォンで地図を開き目的のパン屋までの道程を確認すると、歩いて十分程と出た。指示に従いながら歩みを進める。小さい公園の様な緑の中を抜けると、旧市街とすぐに分かるような景色が現れた。古風な建物に挟まれた石畳の上をずんずん奥へ進んで行く。時折立ち止まってその街並みを写真におさめようとスマートフォンを高く掲げる者など、このご時世私以外にいるはずもなく、私はドイツに住んでいる者です、海外旅行客ではありません、と需要の無い言い訳をテレパシーに乗せ、周囲に振り撒きながらシャッターを切った。

 尚もパン屋を目指し進んで行くと、少々細くなった道の突き当りに小洒落た店が見えた。少しずつ近付いていくとBagelという文字が、店前に立てられた手書きの看板に認められた。英語の未熟な私は、その言葉がドイツ語でない事は分かっておきながら、読み方をあれこれ模索し、ようやくベーグルだと理解すると同時に、こうして偶然見付けた縁に好奇心を刺戟され立ち寄った。

 そこはベーグル専門店であった。店自体は小ぢんまりとしていて、モダンでお洒落な雰囲気があった。ショーウインドウから中を覗くと、カウンターに沢山の円形が見本の如く並べられ、その奥に二人の女性店員が動いていた。
 
 せっかく見付けておきながら目当てのパン屋では無いからと外観のみを楽しみ立ち去るほど目標の遂行に忠実でない私は、「アルムのハイジ(Heidi von der Alm)」という何とも聴き馴染みのある商品名を与えられた、トマトやレタス、クリームチーズの挟まれたベジタリアンなサンドイッチを注文した。暫くして受け取ったベーグルサンドは、予め親切に二等分されていた。何となく歩きながら食べるのがみっともないような気がしたので、取り敢えずベーグルサンドを手提げの袋にしまった。

 程なくして、目的のパン屋に着いた。事前に写真で見ていた通り洗練された外観であった。ドイツではパンをじっくり選ぶ時間と言うのがほとんど持てない程店員が積極的なので、外から中を覗いて様子を伺いたかったのだが、生憎その時間に丁度良く店が混み合うような事もなかったので、意を決して店に飛び込んだ。すかさず店員が注文を伺う。じっくり選ぶ時間が無いとは言え、それでも店に入る前から買う物が決まっている様なドイツ人によって構築された不文律最低限のマナーに揉まれながらの、六年に渡る鍛錬の果てに比較的瞬時に全体に目を配らせられるようになった私は、中でも一際目に留まったチャバッタ(※2)を選んだ。

 そして続け様に、二軒目のオーガニックのパン屋を訪れた。外観、店内の雰囲気、快活な接客に早速好感を抱いた私は高鳴る胸の勢いそのままに、後先考えず大きいブロートを一つと小さいパンを三つも買ってしまった。今後自分が働きたいか否かという観点で見ても、優勢な印象を私の胸の内に残した。


 用事が済んだ私は、駅へ向かいがてら大雑把に街を見ただけであるが、このレーゲンスブルクという街に、変な話ではあるが、久しぶりにドイツらしい景色を見た気がして、満足を得るなり電車に乗って下宿先へ帰った。

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 帰ってから机の上にパンを広げると、改めて量の膨大さに気付かされた。食べきれるかという不安もあったが、しかしやはり多種多様なパンが一堂に会し並ぶ様はいつまでも美しい。近頃はパンを食べているとはいえ、必要分だけを近くのパン屋で買う至極生活的な接し方であったために、こうして催事の如くパンを集める華やかさに、本来生活必需品のはずでありながらも非日常を感じるのであった。そしてその晩、一通り満足の行くまでパンを味わった。


 すると今度はいい加減自分でパンを作りたいという気持ちが蘇ってくるのである。気付けば仕事を離れてから一ヶ月以上も生地に触れていなかった私は、早速持っているだけの製パンに関する書物を片端から開げ、その内から一つのレシピを選び、土曜の朝に中種(※3)を仕込んだ。

 そして今朝、日曜の早朝から生地を捏ね、発酵させている間にこうして執筆に勤しんでいるわけである。果たして上手く焼き上がるかどうか、と言う所までここに書けないのが惜しい気もするがしかし、パンを買う為だけに電車に乗ってみたり、すると今度は自分でパンを焼き始めてみたりと、平淡な日常の中で案外私は周りの人間が思うよりも健康なのである。



(※1)レーゲンスブルク:ドイツのバイエルン州に位置する街。
(※2)チャバッタ:イタリア語で「スリッパ」という意味を持つイタリアの食事パン。
(※3)中種:パン生地となる材料の一部(粉、水、パン酵母など)を事前に混ぜ合わせて発酵させたもの。


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*0-1 プロローグ前編

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