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*23 身の程知らず

 私が一心不乱に勉強を進めていた間に、窓の外の景色はすっかり変わっていた。猫の目の如く忙しなかった天気は過ぎ去り、今度は三十度を越える太陽の光線でもって徹底的に我々を焼き付ける。オーブンや発酵室が稼働する工房の中ともなれば、さらに質の悪い暑さで身を内外から痛めつけてくるのであるが、そう言えば比較的からりとした暑さの夏ばかり経験しているここ数年の私が湿度の高い日本の猛暑の炎天下に放り出されたら、忽ち団扇代わりに白旗でもって暑さを凌ぎそうなものだと考えるに至った所で少々恐ろしくなった。


 兎角そんな夏日の六月十八日に約三ヶ月続いた授業の最終日を迎えると、翌十九日には愈々筆記試験を迎えた。言わずもがなこの日の為に寝食を惜しみ心血を惜しまず注ぎ込んでは走ってきたわけであるが、それでいて試験前日になっても勉強不足を感じるばかりか、いつしか勉強をすればするほど自信を失う感覚を覚え始めていたのである。その経緯に一々触れていては話が長くなるので一旦さて置いてまた日を改めて回収しに来ようと思うが、その日も手抜かりがあってはいけないと深夜の零時まで机に向かい、それから一眠りして朝の三時半に目を覚まして、最終確認を始めた。

 ところが不思議な事に、つい昨晩まで不安感に苛まれていた筈が試験当日の朝を迎えるなり、不安はその姿を興奮に変えていたのである。ここまで来てしまったらもう仕様が無いという諦めに似て決して諦めではなく、まるでコロッセオのアリーナに立ち命を懸けた闘いを前にした古代ローマの剣闘士の如くに私は鼻息を荒げていた。そもそも端から逃げる積などある筈も無かったわけであるが、いざ愈々全退路が閉ざされ背水の陣たる場面を迎えるとどうやら人は漸く弱気を捨てる事が出来る様である。もとい弱気になっている場合では無くなるのである。

 そして景気付けにエナジードリンクを飲み干した平たい顔の剣闘士は、剣の代わりにボールペンを携え試験場へと向かった。


 試験場と言ってもすっかり通い慣れた学校であった上に、試験管も受験生も皆知った顔ばかりであったので、一世一代の大勝負の筈でありながら学生時代の期末試験の様であった。それでも若干空気が張っていたようにも思われるが、あれはひょっとすると後が無い私の周りだけであったのかもしれない。

 そして遂に試験は原材料学(ドイツ語の専門科目名なので和訳に多少の違和感があるかもしれない/※1)でもって幕を開けた。これは製パン学科において基本の基のような科目である。顔の平たい剣闘士は手に持ったボールペンを振り回し、襲い来る猛獣を次々と打ち倒していった。小石で足を滑らせたりせぬよう足元には細心の注意を払いつつ、そして心は案外落ち着いていた。


 手応えは十分であった。



 十分程度の休憩を挟んで専門計算(※2)の試験が始まった。幾つかの提示された条件からレシピを起こしたり、三段式サワー種の配合を計算したり、この手の計算は私にとって依然から然程問題では無かった。その上ドイツでは電卓の使用が常識である。学生時代に筆算と暗算で遣り繰りしていた我々日本人にとってみれば駆け馬に鞭に翼の様なものである。誰よりも先に計算問題を解き終え教室を出たのだが余りに誰も出てこないので、別紙に問題があったのではないかなどと余計な不安に襲われたりもした。


 休憩後の三科目目は専門技術学(※3)であった。焼成中の生地内部で起こる澱粉や蛋白質、酵素や酵母の働きに纏わる設問や、穀粉の試験方法などといった設問に際して私の懸念は記述問題にあった。これは無論原材料学に置いても同じ事であるのだが、専門技術学ではマイスター学校に通って初めて習った部分も含まれていたのでその分心配が大きかったのである。それでも私は何とか全項目を埋めてやった。

 最後の科目の価格計算(※4)は、ただ原価から販売価格を求めるのみならず、金利やリボルビング払いの計算も含まれていた。電卓使用は駆け馬に鞭だなどと言っておきながら、金利に纏わる計算を理解出来たのは試験よりもつい一週間くらい前の事で、専門技術学と同様大きな懸念であったのだが、試験に出された問題は比較的単簡で助かった。寧ろ計算問題に続けて設けられていた販売学(※5)の方で手を焼いてしまった。


 それでも戦いを終え帰路に着いた剣闘士の手には確かな手応えが残っていた。その時点で結果こそ分かっていなかったものの、その手応えを得られただけでも三ヶ月を、それこそ駆け馬の如く走り抜けた自分の肩を、私は漸く叩いてやることが出来た。

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 それから四日後の二十三日と二十四日には実技試験が行われた。もっと言えば二十二日の夕方に設けられていた三時間の事前準備時間から試験が始まっていた様なものであり、その日は朝からそわそわして一日中腹をすかすかさせながら過ごした。とは言え筆記試験と違って事前に出来る事と言っても作業工程を確認したり忘れ物の無いように確認したりするくらいで、それでいてそれらを少しでも軽視すれば忽ちツキに見放されるような、或いは積み上げて来た物が崩れ落ちるような気がしてしまって、どうにも落ち着かないまま工程表を眺めたりしていた。

 そして考えるのである。


 実は先週に一度学校で実技試験本番を想定した通しの練習が行われていたのだが、その時の私は本当に散々であった。時間に追わればたばたと作業し当然それぞれの製品の質も悪く、周囲を見渡せば淡々と綺麗に作業を熟すクラスメート。二日間とも家に帰るなり私は肩を落としていた。そしてマイスター挑戦を掲げたあの日の自分がいかに身の程知らずであったのかを思い知らされ、そんな私の挑戦がいかに無謀であったかを考えさせられていたのである。弱気になるのは良くないと思いながら、そこから自信を持つ方法が一向に分からなかったのである。また気負わずに考え過ぎない方法も見当たらなかったのである。


 それでも二十三日の午前八時には否応無く闘いの火蓋は切って落とされた。筆記試験ではその闘いの様を、己を剣闘士に問題を猛獣に準(なぞら)えてみたが、実技試験における闘いとは言わずもがな己との闘いである。これまでの練習の積み重ねを、二日間で計十三時間という制限時間内で発揮できるかどうかに全てを掛ける事に決めていた。結果は二の次に、兎に角自分の出来る限りの事を時間内でやり切る事だけに力を注いだ。

 
 勢いよく作業に取り掛かった私は、何度も眺めた作業工程の時間配分を念頭に置きつつ、それを目安にまずは飾りパンに手を着け、それからこの日の為に試行錯誤を繰り返したオリジナルレシピのパン作りに取り掛かった。結局、ライ麦ベースの生地に味噌と白米を練り込み「REISe-Brot(ライゼブロート)」などと、我が試験の主題である「旅/Reise(ライゼ)」と「米/Reis(ライス)」を掛けた名前を付けて、ドイツ食と日本食の融合などと御機嫌に謳ってみた。

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 斯くして二日に渡って行われた実技試験を終えた私の胸に宿ったのは達成感と満足感であり、これは私自身も予想だにしていなかった報酬であった。殆ど全ての工程に置いて、先週私に弱気を植え付けた練習の時の自分よりも遥かに良かったのである。それはまるで私が私でないかの様であった。

 大きな懸念を孕んでいたケーキ類も折り込み生地類も、計十三時間の制限時間内で無事に形に仕上げられたのは、これまでの私を見て来た私自身が一番驚いた。

 そうして飾り付けられたショウウィンドウを眺めた瞬間、達成感が腹の底から、或いは三ヶ月前の私の元から込み上げ届けられたのである。万感の思いであった。結果が届くのは来週二十九日である為、審査員が駄目と思えば幾ら私の満足感や達成感があろうとも不合格なのだが、そんな事はどうでもいいと思える程、自分の力を余す事無く出し切れたと感じる試験であった。

 

 全てを片付け家に帰ると、満足感や達成感に加え、強い解放感が沸き上がって来たのは、試験だけでなく三ヶ月に渡る一世一代の勝負をやりきった証である。

 後は結果を祈るのみ。そして私は七月と十月に控える残りの試験に照準を合わせ始めるのであった。

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(※1)原材料学 / Rohstoffkunde:栄養素や製パンに使用される材料など。
(※2)専門計算 / Fachrechnen:レシピ計算やサワー種計算など。
(※3)専門技術 / Fachtechnologie:製パンにおける科学的な科目。
(※4)価格計算 / Kalkulation:価格の計算に加え、金融に纏わる計算。
(※5)販売学 / Verkaufskunde:販売・接客に必要な知識。試験では価格計算と併せて設問されていた。

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6月に入り学業専念の為に勝手ながらnoteを休止させて頂いておりましたが、悔いなくこれまで積み重ねて来た力を出し切る事が出来ました。それもひとえに皆々様のお力添えの御蔭であります。改めまして心より御礼申し上げます。                          GENCOS


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