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*24 ダイナモライト

 実技試験を終え帰宅した私は同居人のトーマスと試験についてあれこれと話している内にとてつもない解放感に襲われ、居ても立っても居られない心持ちになっていた。暫く話し込んだ後、彼は実家のあるオーストリアに帰ると言うので、良い週末をと言って見送ると愈々下宿に一人になり、溢れる解放感に身を委ねた。

 この解放感の正体というのは大勝負を終えた安堵でもあるが、それ以上に三ヶ月間続けた奮励からの解放であると直ぐに分かった。寝食を二の次に一心不乱に机に向かい、週末には狂ったようにケーキやパンを作っては食べ作っては食べしていた日常が終わり、一旦それらに精を出す必要が無くなったのである。私は実技試験を終えたその晩、すっかり味も忘れていたビールで一人祝杯をあげる事にした。そして死んだように眠り、昼くらいまで眠り込んでやろうと意気込み深夜零時頃になってベッドに身を投げた。


 翌日、すっきり目が覚めたのは早朝五時前であった。なるほどすっかり生活リズムが染み付いてしまっているようである。二度寝という選択肢もあったのであるが、どうも必要以上の睡眠は勿体無いと思ってしまう性分であるので、まあそれでも暫く体を横にしたままうだうだとした後、体を起こしていつもの通りにコーヒーを淹れた。


 冷静に考えてみるとこれまでの私は朝六時に起きて八時間学校で授業を受け、帰宅後に夜中まで机に向かっていたわけであるのでそのままのリズムで生活を営もうとしてしまえば、単純に二十四時間の内二十時間近く活動時間がありながら、その活動自体をぽっかり失っているので忽ち解放感は喪失感に姿を変え退屈を生み出していくわけである。即ち空っぽになった二十時間で何もせずにだらだらと過ごし休養に当てようという心積が破綻し、私は結局また何かしていなければ落ち着かない衝動に襲われていた。


 試験が終わってからの空白を使って、まず私は日本に住む何人かの友人と久しぶりに所謂リモート飲み会をし、それぞれに試験結果の報告と、度々こうして時間を割いて話に付き合ってくれる事や応援への感謝の気持ちを伝えて回った。実際六月に入ってから感じた孤独感は、挑戦の代償とは知りながらその内無視の出来ない程に育っていた。そんな日常を送っていた私にとって彼らと会話に花を咲かせる時間は実に貴重で有難く、弱き心を支えられたと言っても決して大袈裟な過言では無かった。



 この間の日曜日には、ミュンヘンから友人が私を訪ねて来てくれた。彼と私は約束した場所で落ち合い市街を一通り歩いた後、時間も時間だったのでレストランに入った。入ったと言ってもテラス席である。数週間前から解放されたレストランのテラス席はコロナ前の活気が戻りつつあった。

 私達は互いの近況をあれこれと話しあった。お世辞にも上手とは言い難いイタリア訛りの彼のドイツ語に懐かしさと安心感を覚えた。そして相変わらず彼が話す物語に腹を抱えて笑った。

 食事を終えると私達はまたぶらぶらと歩き出した。小さいのみならず見所もほとんど無いような街を隅々まで歩いた後、道端に設置されていたベンチに腰を下ろした。太陽がこれでもかと熱を放つ中、そのベンチは木陰の中に佇んでいたので避暑にはうってつけであった。

 そしてベンチに腰を下ろすと、また他愛もない会話をだらだらと続けていた。会話以外特に何をするでもなく、ただ只管お互いに話をする。彼は時折目の前を通り行く人を見てはきっと旅行者だとか言って予想を立てたり、車を見てはあのナンバーはきっと何処の街の車だと見定めて見たり好奇心が止まない様子であった。そしてまた人生観や仕事の話をしてみたりもする。全くもって飽きが来ない様子であった。斯く言う私も人と会話をする事が好きであるので、私達は食後の散歩途中の休憩にしては長すぎる程の時間を飽きもせずにベンチに座って過ごしていた。実に健全たる休日である。

 それから漸く立ち上がって今度はアイスを食べにまた街の中心部まで歩き始めた。イタリア人が経営しているアイス屋に入って私はアイスコーヒー(※1)を注文した。彼は皿に盛られた苺とヨーグルトのアイスを頼んでいたが、途中で甘過ぎると弱音を漏らした。そして私達は帰路へと向かった。これからまた二時間程車を走らせ、翌日には仕事の為早朝に起きなければならない彼を思うと些か申し訳なさも覚えたが、それでもこうして尋ねて来てくれたのは実に有難かった。今度は私がミュンヘンに行くと口約束をして、その日は別れた。



 月曜日になると、何週間か前にインターネットで申請を出しておいたコロナワクチン接種の予約が取れるようになったという連絡が届いた。それが七月一日に組み込まれたので、七月が幸先良く始まるような予感が働いた。何しろ六月の末に試験結果を受け取る事も出来たのだ。スピリチュアルな感性を持たぬ者でも察しのつくほど吉兆を孕んだ流れである。


 無事に合格を言い渡され迎えた木曜日に第一回目となるワクチン接種に向かった。地図を頼りに三十分ほど歩き、少々道に迷い時間ぎりぎりになってしまったが会場に着くと、受付に身分を証明してから中に通された。会場に入ると、行動の一々を係員に支持されて動いた。通された待合スペースでも机の所まで連れて行かれ、ここに座って下さい、と丁寧に特定の席に案内された。椅子が二脚あり一つには同伴者用と書かれてあったが、私は一人であったので背負っていた荷物をその椅子の上に置いた。

 恐らく十分程その席で座っていた。その間、手渡された問診票等を埋めて退屈を凌いでいた。それから設置されていた大型テレビで、少し肌色の黒い女医がワクチンの説明をしていた。手元の説明書きにもサインをする必要があったので念入りに読んだのだが、画面の女はその説明書きと殆ど相違の無い説明をしており細やかだが感動を覚えた。


 しばらく女医の説明を聞いていると係員が来るなり待合スペースに通され行儀よく座っていた私達人間を立ち並ぶコンテナの前に連れて行き、離れ離れに置かれた椅子にそれぞれ着かせた。目の前のコンテナにはホワイトボードが掛かっており「ドクター何某」と一つ一つ別の名前が書いてあるのを見ると、大凡中に医者が座っていて呼ばれ次第入って行ってワクチンを打って貰う物だろうと予想がついた。

 私達も順番に呼ばれていき、私は向かって一番左のコンテナに入ると、体格の良い女医が座っていた。私は「ハロー」と挨拶をして机の前に腰掛けた。名前を確認し、パソコンを弄って何やらやっている。服用中の薬は無いかと聞くのでありませんと答えた。それから右利きか左利きかと聞くので右利きですと答えると、じゃあワクチンを打つのは左腕ねと言ったので、長袖のシャツを着ていた私はワクチンを打つには脱いだ方が良かろうと思いボタンを外しにかかると、ワクチンを打つのはここじゃないわよとすかさず忠告してきたので、そうでしたかとへらへらしながら私はボタンに掛けた指を下ろした。

 その女医は書類にサインをするだけして私を送り出した。コンテナを出た私は指示に従い前へ進むと、また別のコンテナ群の前の椅子に座るよう指示を受けた。このコンテナにも同じように名前が書かれている。


 今度は比較的早く呼ばれ中に入ると、どうも手元のワクチンが切れていたらしく、すぐに戻るわと女医がコンテナを出て行って、三分くらいで戻って来た。それからは手際良く私の左腕に針を刺し、ワクチンを打ち終えると、今日は激しい運動はしないようにという忠告をしてきたので、七月一日からジョギングを再開しようという心積をしていた私の予定はまた狂ってしまった。


 斯くして私は一回目のワクチン接種を済ませた。二日三日腕が痛んだのみで幸い頭痛も熱も無かったのだが、話によると二回目の接種の時の方が副反応が出やすいと言うので八月の予約は少し心して行かねばならぬと思っている。

 充電期間と言う言葉を使うのが正しいであろう時間を過ごした私の目の前には、とっくに次の授業が迫ってきていた。来週の水曜日からまた勉強漬けの日々が始まる。この授業は凡そ二週間と短いのであるが、私にとって未知の分野であり、尚且つ全編オンライン授業、その上強いバイエルン訛りがあると考えると、これまでの闘いよりもより一層気を引き締めて立ち向かわねばならぬと、怖気づく心を今から奮い立たせているところである。



(※1)アイスコーヒー:ドイツのアイスコーヒーは、冷たいコーヒーの中にアイスクリームや生クリームが入ったパフェの様な出で立ちの物。

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