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*12 不安な心は春風を待つ

 最も単簡な言葉で言い表すとすれば、先週末に焼いたパンは満足の出来であった。或いは、こんな可もなく不可もない無難な表現で言い表す外に、適当に装飾出来る言葉が見当たらない程至極平凡で、仮にも製パンに従事する者としては所詮最低点を上回った程度な当然の出来栄えであった。特別輝かしかったわけでもなければ、飛んでもなく酷かったわけでもないのである。

 しかし私にとって大切だったのは結果よりも工程にあった。先だって自らを「製パンに従事する者」と謳った矢先であるが、肝心の製パン業から離れている現在、またこれからパン製造を学問的により深く学ぼうと志している現在において、パンに触れる感覚を確かめる事こそが先週日曜日に実施したホームベイキングの何よりの目的であった。作業手順や発酵の具合、それぞれの材料についてはある程度知った積でいるが、生地の感覚や動き方に関しては椅子に座って文献を漁るのみで得られる情報のみに頼っていては甚だ心許ないので、実際的に自らの手を動かすしかないのである。果たしてその目的は、私自身に安心を与える形で達成された。

 今週は頭の月曜日から予定があった。前以て予約していた住所変更の手続きの為に、私は初めてシュトラウビングの役所を訪れた。ミュンヘンの役所は六年という歳月の中で嫌と言う程訪れ、最後まで建物内で迷子になっていた事を除けばすっかり慣れたものであったが、初めて新しい街の役所へ行くとなると、地図で確認した場所で果たして本当に合っているのかという無根拠の不安に始まり、入り口が分からない為に予約時間に遅れて到着したが故に順番を飛ばされてしまったらどうしようかという、空想の上で骨を折って独りでに草臥れていたりする性質なので、朝から足が浮いている様な心持であった。

 また、ミュンヘンでは予約番号でもって順番を常に管理されていたのに対し、この街で役所に予約希望のメールを送ると、電話の方が都合が良いからと電話が掛かって来て、次に予約を入れられるのは何日の何時だ、という確認の末、当日持参すべき書類の説明があったかと思うと、それぎりで通話は完了した。予定の前日になって、予約番号を受け取っていないという事実に気が付いた私は、ミュンヘンとの対比でもってまたそれを不安材料に昇華させたのである。


 建物に入ると、不安とは裏腹に感じの良い女性が待合席に私を案内し、そこで私は周囲の二三人と間隔を空けて椅子に腰を下ろした。時間は予約していた時間の三分前であった。

 しばらくして名前を呼ばれ、対応カウンターの前に立った。事前に持参するように言われていた書類をアクリル板の向こうへ滑らせると、そこでやっと不安は消えていった。後は相手の仕事を待つばかりであるから、少し余裕の出た私は周囲をきょろきょろと好奇心のままに見渡した。これと言って物珍しい何があるわけでもないが、初めて見る景色なので一応見ておいたまでである。

 手続きを済ませた担当者は私に手続き完了の証明書を渡すと、それに続けて「今、シュトラウビングに引越された方に、市の方からプレゼントがあります」と言ったかと思うと、シュトラウビングの街の景観をシルエット状にデザインされたオリジナルタンブラーと、この街にある各商店で使える商品券の束をくれた。これが田舎の温かさと言うのか、町興しの一環なのか、私には到底判別する事は不可能であったが、思い掛けないプレゼントに思わず笑ってしまった私の足は、その帰り道、往路とは違う浮かび方で私を部屋まで運んだ。

 これでまた一段落だと一息ついたその翌日である。以前に契約を解除したインターネット会社から電話があった。電話に出るとまず解約の事実確認があったので私はそうだと答えた。すると続け様に、ずらずらと説明とも質問とも取れる言葉が電話口に長く並べられたかと思うと、その声はぴたっと止まって私の返答を催促するようであった。言っている事の概要は掴めた積でいたのだが、単純にハイとイイエでは済ませられない質問風の言葉に対し的確な返答を見出せなかった私は、もう一度ゆっくり解りやすく説明するように要望した。すると電話の向こうからはほとんどさっきと同じ言葉の列が投げられ、また同じようにぴたっと止まりじっと私の口元を凝視して来た。

 こうした場合、咄嗟にあらゆる可能性を一瞬のうちに一つの頭で解決しようと馬車馬の如く脳を稼働させる私は、結局一つも解決出来ず、今度はあらゆる不安を胸の内に積み上げていった挙句、判断が頗る鈍ってしまう癖がある。こうなると同じ事の繰り返しである。すると電話の向こうで腕を組んでいた彼女は呆れたように、またすっかりそのケースにも慣れているかのように、後日ドイツ語話者を近くに置いてもう一度掛け直すように、と私に指図をした。彼女とは反対にすっかり早々から手を上げていた私はその要求を飲み、喉を通り腹に落ち、その衝撃で体が重たくなるのを感じた。


 翌日大家に相談し、満を持して朝から何度も電話を掛け直したのだが、こういう時に限って繋がらない。結局電話が繋がり用事が済んだのは午後五時頃だったのだが、お陰で一日中何も手につかないままに過ごす事になった。改めて、何か一つでも不安事がある場合はそれに気を取られ落ち着かず何も手につかないという私の性質を再確認した。漸く繋がった電話の向こうには昨日と違う女性が立っており、要件が何だったかを尋ねると、その説明は実に単純で明快であった為に、結局私は大家の助けを借りずに用事を済ませた。


 そうしてそわそわしている最中にも、日本に住む恋人から即席食品を中心とした日本製品を詰め合わせた仕送りが届くと言う喜ばしい出来事もあった。また保険会社やマイスター学校、助成金の担当課から三つ同時に手紙も届いた。ここに何か背中を押すような流れに変わる兆しと、不安の解消に対する一縷の望すら見たがるほど、高々一件の電話に心を憔悴させていたのである。

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 その時が果たして運勢の分岐点であったかどうかは神のみぞ知るところではあるが、斯くして翌木曜日にまたパンを捏ねたくなった私は、パンに関する書物の中からハムロールパンのレシピを選び取り、分量を書き換えるなり早速取り掛かった。

 日本において製パン経験の無い私にとってハムロールパンと言えば、極めて身近な種類でありながら、事作るという側面に関して言えばその関係性は浅く、新鮮に好奇心を刺戟してくるのである。温故知新という言葉が適していそうで違っていそうであるが、兎に角私は真新な気持ちでもってハムロールパンに向き合ったのである。

 先週末に作ったパンと同様、主となる目的は作業工程に在りながら、作り上がって最も得た感動はその味わいの懐かしさであった。六年ドイツで生活しているだけでは得られずにいたその食感や味わいが蘇らせた記憶は、かつて実家で母親が焼いていたパンのそれであった。「手作りの味」と言う漠然たる文句の真理を長年掴みあぐねて生きてきてしまったが、私が自らの手で焼いたパンを食べた時に蘇った記憶の情景の中に、言語化は出来ないまでも確かにそこに潜んでいる真理と目が合った様な心地がした。

 土曜日になると、来年にマイスター養成学校へ通う積とみられる二十歳程の二人の少女が、大家と共に部屋の内見に来たので、私も彼女らについていく形で下宿を一通り回った。大方見終わると、少女らと大家の間でコロナウイルスの話が交わされ始めた。感染者数がどうのこうのという話から発展して、ホームオフィスは子供がいたら仕事にならないだの、車が走らないから環境には良いだのと激論が展開されていくのを、私は隣でふんふんと頷き、相槌を打っていたのだが、ふと、老婦人のみならず少女らの口からも色濃く方言が発されている事に気付き、なかなか大変な所へ越して来たのかもしれないと、月末に控えるマイスター学校の授業を案じたりしていた。



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*0-1 プロローグ前編


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