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*22 フォーエヴァー・ヤング

 私が工業高校を卒業して十八歳で宮大工の会社に入社した時、初めて配属された現場の指導者が二十八歳であったと記憶している。自分より十歳年上だったその人はその年齢差が指し示す通りの、大人として、また現場指導者としての風格や貫禄があった。あれから十年が経ち、今では私が二十八歳であると気が付いた時、果たして今の自分に当時の彼の様な貫禄や風格があるかと自らに問うと、私自身が出した答えは否であった。無論、主観と客観では感じ方が異なる事など重々承知の上である。

 これと同じ様な事が二十歳を迎える時にも起こった。

 十九歳だった私は二十代という華々しき年齢に漠然と憧れを抱き、同時に朧気な期待を抱いていた。二十歳になるという事は大人になるという事に等しく、テレビのスターや憧れの先輩も皆其々に輝きを放っており、果たして私も二十歳を迎えると同じように自然と輝きを放ち始めるものだと思っていた。現場では先頭に立ってその場を回し、然るべき時には後輩に厳しい言葉を掛ける。そして週末になればさらに上の上司と酒を酌み交わし、仕事の指導を受けたり相談をしたりして親睦を深める。私とて自然とそうなっていくものだと思っていた。

 それで二十回目の記念すべき節目の誕生日にそわそわしながらも通常業務を熟していた当時の私は、仕事を終え寮に上がって来ては、さて何か二十歳を迎える前にしておくべき事は無いかと切迫感に駆られつつ探し始めた。当然しておくべき事を急に探した所で、また仮に見付かった所でそれを達成する時間など残っていなかった私は、同室の先輩に十九歳最後の私の姿を写真に撮ってくれるよう頼むので精一杯であった。ところが翌日二十歳になっても、さらにそれから何日と何週間と過ごしてみても、私は私のままであった。かつて憧れた先輩の威勢や格好良さに追い付く事も無く、それどころか先輩との差も一定を保ったままで、大人になった実感など最早未だに持たぬままである。
 
 今思えば、二十歳になったからと言って法的に出来る事が増える以外何も変わる筈がない事など火を見るより明らかである。それがあったので、今の自分と、昔に私がその貫禄の前に声を震わせていた二十八歳の指導者とを比べてもただ、自分にはあの人の様にはなれなかったなと思う位のものであるが、それを見て驚いているのは十八歳の私であった。特に意味はない。不図思ったので書き留めたまでである。


 さて、先週末からドイツではこれまで営業が停止されていた小売店や飲食店に細やかながらも活気が戻って来たようである。テラス席での飲食やビアガーデンが解禁されたという喜ばしい一報を耳にするよりも先に、近くのちんまりしたショッピングモールに食料品を買いに行った私は、つい最近まで閉ざされていた各店舗に人の影がある事に気付いて事態を理解するのに少しの時間を要した。

 また週の半ばに、実技試験で装飾に使う布を探す為に久しぶりに街中へ出ると、三月の時には閑古鳥の鳴き声のみが響いていた商店街に人の声が戻って来ていた。それでもまだ従来通りとは言えないのであろうが、それでもこうして活気のある景色は幾らか心を豊かにしてくれるようであった。訪れた布屋の店主も「今週から店を開けたの。一先ず安心だわ」と言っていた。ある人がウイルスによるこの世界的非常事態を「戦時中」という言葉で比喩していた。コロナによって破壊されていく世界を見届けつつも変化を余儀なくされ、過ぎ去った後の街の閑散とした様子を焼け野原に喩えていてなるほどと思った。ビアガーデンが再開したとは言え、人の賑わいに心が躍るとは言え、戦火に飛び込み流れ弾に被弾してまでビールを飲もうとは到底思えない私は、今は防空壕で戦況を見詰めつつ時を待つのみである。


 戦争と言うと野蛮であるが、私の一世一代の戦に向けた準備も差し詰め佳境である。学生の頃の入試や就職試験において苦汁を舐めずに通過させて来て貰った私にとってその経験の欠如はコンプレックスなのであるが、中間や期末といった試験においては一週間前から勉強に力を入れれば良い方であった私にとって、一ヶ月前、もっと言えばマイスター学校に通い始めた時から佳境などと言う言葉を用いると、おいおいまだ一ヶ月もあるじゃないかという声が後ろの方から飛んできそうである。この声は怠惰の声である。

 しかし今の私が私に向けて、まだ一ヶ月あるからと声を掛けるのも事実である。ただこれは鎮撫である。鎮撫であって決して怠惰ではない。込み上げる焦燥感を打ち倒す銃弾である。


 月曜日は祝日であった為、私は部屋で朝から晩まで計算問題の総復習に取り掛かった。レシピの計算や価格計算は然程問題なさそうであるが、懸念は金利等の金融に纏わる計算であった。これについても数を熟す内に以前よりかは理解が深まったが、安定性にはいまいち欠ける。八月の末からは第三部のコース(※1)も始まり簿記等の勉強が始まるわけであるから、これ位の計算であれば今のうちに片付けておきたい所である。

 火曜日に簡易的ではあるがコロナテストを行うところから授業が始まると、その日はフォンダン(※2)やクーベルチュール(※3)など働いていた頃に殆ど触れ合う事も無く、著しく知識に乏しい部分の内容であり少々前屈みで話を聞いていた。それからドイツの定番のケーキを一覧にした資料も貰ったが、これは私の好奇心を大いに刺戟した。それぞれのケーキの構造的特徴であったり使われる材料などが載っており、毎年プロ野球の選手名鑑を買って貰っては只管眺めていた子供の頃の気持ちを思い出した。



 次に見られるのは十三年後と聞いて、十三年後の自分を想像しては性懲りもせずその輝きに憧れを抱いていた皆既月食のあった日には、一日中実習の授業であったのだが、ここでも凡そ六週間前に一通り授業で習ったパンや菓子の復習をさせて貰えた。クグロフ(※4)やクラップフェン(※5)、クッキーなど計八種類のパンや菓子を練習出来たのだが、学校が始まってすぐに習った時の屈辱を十分に晴らせたと思えるような練習になった。出来映えも、手放しに絶賛は出来ないが、それでも最初と比べると随分とましである。知らないのと出来ないのとでは似て非なるものである。

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 そうして大量に作った物を一人で暮らす私が全て消費出来る筈も無いので幾つかのパンは学校の冷凍室に保存し、それから帰宅するなり二つあったクグロフの内の一つを大家さんに手渡した。相変わらず輝きのある笑顔で、あなたが焼いたの、嬉しいわと言って快く受け取ってくれた。実に気持ちの良い人である。

 またイングリッシャークーヘン(※6)は、二階に住む家族のもとへ届けた。インターホンを押すと、少年が私の顔を見ながら恐る恐る階段を降りて来たので、学校で作ったから是非食べて、と声を掛けて渡してやると、ありがとうとぽそっと言って階段をまた戻っていった。まるでそれと反対の大きく強い母親の声で、どうしたの、それと少年に訊ねるのが聞こえたかと思うと、さらに大きくなった声で、ありがとうねと階段の上の方から聞こえて来たので、どういたしましてと同じくらいの声で張り合った。月並みではあるが、こうして自分で作った物で喜んで貰えるとこちらも嬉しいものである。


 金曜日の授業の合間に、冷凍室で保存しておいた残りのパンを取りに工房へ降りていくと、ケーキの実習の授業を受け持っていたくらいのハイエクという女の先生が近付いて来て、調子はどうと気に掛けてくれたので、少し話した後に私は袋詰めしたパンを片手に、良い週末をと言って工房を後にした。

 週末はまた例の如く家でケーキを作る練習(※7)をした。失敗もして手間を食ったが先週よりは美味しい出来になった。甘いパンにケーキに作るのも容易ではないが、一人では返って消費する事の方が難儀である。もしも十年前に住んでいた社員寮にケーキを持って行ったなら、当時の私は蟻の如く嬉々として駆け寄っていたであろうと思うと、多少は私も大人になっているようだと、安心と、それから少しの寂しさを認めた。





(※1)第三部のコース:マイスター試験は全四部構成。
(※2)フォンダン:クリーム状の砂糖衣。
(※3)クーベルチュール:製菓の仕上げに使われる脂肪分の高いチョコレート。
(※4)クグロフ[ Gugelhupf ]:

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(※5)クラップフェン[ Krapfen ]:中にジャムが入っている揚げドーナツ。
(※6)イングリッシャークーヘン[ Englischer Kuchen ]:イギリス風パウンドケーキ。
(※7)家でケーキを作る練習:

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