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*21 四の五の言わず

 一を聞いて十を知るが如くある程度の事は察し良く熟せるという自負のある私であったが、事勉学となると、ましてや我が人生に直結した物ともなれば、ドイツ語で見聞きした物を察したのみで満足して進むわけにはいかず、学んだ事を慎重に頭の中に詰め込んで、それを今度は落とさないようにこれまた慎重に歩みを進めていると、かつて要領良く仕事をしていた私が嘘のように思われ、またいくら私の歩みが遅くなろうとも当時と等しい速度で過ぎていく時間に否応無く焦燥感を抱かされるのである。まったく一筋縄ではいかず兎に角能書きよりも汗を垂らさずには仕様が無い環境で、下手に先読みなどせず目の前の事を順番に片付けていくより他に無いのである。昔の偉い御方が「学問とは、追いつけぬ物を追う様であるが、また追いつけぬ事を恐れる様でなくてはならない」と説いたそうだと教わった事があるが、言い得て妙とはまさにこの事である。


 先週、疲労に祟られた私の、潔く休息を取るという勇敢な決断は我ながら天晴れであった。その甲斐もあり今週の私は頗る快活に過ごした。生憎一週間にも渡り歯切れの悪い空模様であった為に、体を濡らして体調を崩して先週の二の舞になっては元も子も無いからと、以前同様学校から帰宅するなり外へ駆け出していく事は断念したが、それでも怠っていた日常を取り戻しまた顔を上げ、胸を張り始めた。


 そうして勢い良く始まった今週の月曜日はまさしく鳥籠から解き放たれた鳥の如く活力に満ち溢れていた。それは果たして週末を迎えた今でもエンプティランプを灯す事無く私を動かしてくれている。すると自然と、或いは作為的にこれまで滞らせて来ていた面倒事にも積極的に取り組む心持ちになるのである。例えば再三私の心を脅かして来た助成金の学生ローンの件である。以前に、既に手元に届いている筈の書類が未だ届いていないという旨をドイツ復興金融公庫に電話で伝えると、今月の頭には私の元に書類が届くという段取りで話を終えたのだが、待てど暮らせど届く気配は無く、いよいよ中旬を迎えたので今度はメールを書いて送った。それが今週の月曜日であった。すると木曜日に電話があり、書類を発送したとの伝達の通り、その日の夕方に遂に書類が私の元に届けられた。

 私はこの手の社会的な運動を前にすると忽ち臆病になる性質であった。それから物理的に一度そこから距離を取り、自分で触れない以上、吠えも噛み付きもしないものを遠目に観察するような物好きであった。さもなければ、ただ勉学に心血を注ぎたい心と、社会の一部としての最低限たる義務的運動と、それらを取り巻く有限な時間との三つ巴を心だか頭に抱える事になり、そうすると場合によってはすっかり取り乱してしまうのである。

 とは言え今週はその苦手な運動をやり遂げ、書類を手元に受け取っている。大体の事は、やってみたら思いの外すんなり済んでしまうという事も、実を言うと私はとうから知っているのである。知っているにも関わらず毎度その手前で臆病を宿してはおろおろとし始めるのであるから、矢張りまともな人間とは到底思えない。


 フーバー先生は、そんな私を良く気に掛けてくれる。微々たる心配に顔が蒼褪めている私を見抜いての事だったかは分からないが、火曜日の午前、授業の合間の休憩に入ろうかという所で、この街はどうだとまた聞いて来た。私は依然として、退屈ではあるけれど勉強するには最適ですと自信を持って答えた。加えて、もし今ミュンヘンにいたとしたら、とたらればを言いかけた所でフーバー先生が間髪入れずに、毎週末パーティーをしてるだろうと返して来たので、そうかも知れませんと笑った所で、各々休憩に入った。

 私は食堂に向かい例の如くエスプレッソマキアートを注文して、殆ど伽藍堂な食堂の隅の席に着くなり、小さい器の中でスプーンをくるくると回しながら、今し方行われた先生とのやり取りを回想した。

 「この街は退屈でしょう。」と聞かれる度に、頭の中に自分の想いや初心が浮かび上がり、 「勉強するには丁度いいです。ミュンヘンでは騒がし過ぎますから。」と答える度に自分の覚悟や目標が心を盛り立てるのである。クラスメートが祝日や休日に歓喜している中、私は孤独に勉強をして部屋に閉じ籠っているわけであるが、私が強く望んでこの生活を送っているという大前提が在りながら、時折そんな自分に悲観の眼差しを向けてしまう事があるのである。不図余所見をしてしまっているそんな時に一度私の想いや初心や覚悟や目標がこうして思い出されるとそれは忽ち活力となり、一の裏は六であると妄信する愚者の如く、或いは獲物に向かって猛進する猪の如く私を前に向かせてくれるのである。

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 木曜日にはプルンダー(※1)を作る授業があった。気合充分で臨み、バターを折り込む作業なども幾分か綺麗に行えている様な気さえしていた。しかしその授業の半ほどで、他の生徒全体に影響を及ぼすような失敗を私はしてしまっていた。その失敗は私から少し離れた所で発覚し、その様子を見て、もしかすると私の仕業だろうか、という疑念が一度脳内に過ると、作業中でありながらその手元をそっちのけで、彼らの反応に耳を傾けながら自らの言動を振り返るので頭が一杯になってしまっていた。余りにも相変わらずである。それで焼き上がったプルンダーを、近くで作業をしていたクラスメートや先生は上出来だと言ってくれたのだが私の目にはそうは映らなかった。それは偏に製品の出来の善し悪しではなく、心の乱れによる弱気が手先や視界を揺すった結果に違いなかった。それでもこの時の私は七転八起の信念を胸に無くさずに、過ぎた事を必要以上になぞらぬよう自らを説き伏せた。

 その日の授業の後、私は先生に質問があったので作業着から私服に着替えてからもう一度工房の中に入って行った。さっき迄、授業を受け持っていたシュテファン先生だけであったと思ったのだが、フーバー先生もいて二人で何やら談合をしていた。私は授業中の失敗を受けて原因と対策を頭の中で順繰りさせながらいたので、もしかしたら浮かない表情をマスク越しに見破られていたのかもしれない。すぐにフーバー先生が私の作ったプルンダーの許に駆け付けてああだこうだと解説をしてくれた。

 それからシュテファン先生に質問を投げたのであるが、それが済むなり二人の先生は私を囲み、ミール(※2)は日本語でどう言うんだだの、ドイツ語より日本語の方が音が短いだの、そう言った類の話をしたかと思えば突然シュテファン先生が改まり、これは是非伝えておきたいのだが、いやしかし君のドイツ語は素晴らしいよなどと、思い掛けない称賛を与えてくれたのである。隣のフーバー先生もそうだそうだと相槌を打ち、喋るのもそうだが我々の言う方言混じりの言葉を殆ど理解しているのも素晴らしいと、兎に角身に余るほどの言葉を私の上に水やりの如く注いだ。褒められる事への耐性に乏しい私はその後シュテファン先生が、週末には家で復習をしているのかと聞いて来た時に、いえ、毎日ですね。そうしないと試験に受かれませんから、あははと普段の私の調子を取り戻すべく御道化て自嘲的に大きく笑ってみたのだが、それを制するように先生たちは、本当に素晴らしい、と念を押してくれたので、日々の孤独と度重なった失敗で乾きかけていた心が見事に潤い人知れず琴線が揺れるのを感じた。世間には社交辞令という物もあるわけだが、この賛辞を只社交辞令として受け取ったのでは余りに無粋である。縦令(たとい)そうであったとしても、現に私は背中を叩かれたわけであるから役目が果たされた以上、言葉の真偽はどうでもいいのである。


 その翌日も授業が終わるとフーバー先生に声を掛け、九仭(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠くような事があっては駄目だと試験の事で僅かでも気になる事は全て質問して不安材料を取り除いた。週末にケーキを作ってみようと思うんですと言うと、君はとても真面目で勤勉だとまた褒めてくれたが、私はとても真面目という言葉の似合わない臆病で出鱈目な小心者であるから、ここではFreißig(フライシィック)というドイツ語の言葉に真剣という意味を当てさせて戴きたい。ドイツ語を真面目に学ぶ方々には甚だ恐れ多いが、それくらい出鱈目な男なのである。




(※1)プルンダー [ Plunder-Gebaeck ] :バターを折り込んだデニッシュ生地のパン。

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(※2)ミール [ das Mehl ] :ドイツ語で小麦粉。

※写真や挿絵の使用、生地の引用等につきましてはご自由にどうぞ。


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マイスター養成学校が始まり勉強に全身全霊を注ぎ込む積でいまして、それに伴い勝手ではありますが記事投稿の日曜日以外はなかなかnoteの方にも顔を出せなくなります。どうかご了承ください。

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