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月刊コグマ2022総集編 Swipe Times

カオスなサムネイルから始まる月刊コグマ2022総集編。お越しくださいまして誠にありがとうございます。ありがとうございます。

気付けばもう12月も大きなイベントが過ぎ、締めに入っています。今年は何が出来たのだろう、と考えるのですが、あまり特筆するものは浮かばず駄目だなぁと少し反省ぎみです。

あ、どうもこんにちは。こんばんは。

前回の「月刊コグマ#12 とある冬の不思議な出来事」で今年の月刊も最後になってしまいました。去年は4,5,6月は記事を上げていなかったので、しっかりと1年やりきったのは初めてです。

自分の文章力が上がったかと言われると、頷けるわけではないですが、言葉の発想力という点ではだいぶよくなってきている感じがしています。

ここで、その発想力を上げたとしても現実の会話で話せるようにならないとほとんど意味のないことのような気がしますけどね…

実際に話すと、語彙力が吹っ飛んでしまうというか「あれ、それ、これ」のようないわゆる指示語が先に頭の中で浮かんでしまうのでひとつのことを思い出すのに無駄なロスが生まれてしまうんですよね。

やめようとは思っているんですけど、どうにもやめられない。これでは僕もファミリー平手打ちをくらってしまいますかね…

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ 出版/集英社)

チェンソーマンも漫画を読んでるしアニメはいいかなと思っていたのですが、デンジくんの声がデンジくんだったので久しぶりにアニメを見ようかと思いました。

ポチタは声低くても良かったけどね。

話を戻しますが、今回は月刊コグマの総集編!
今年上げた月刊の話の中から、僕が気に入った話を毎月の中から1つピックアップして紹介していきます。

読んだことのある人はこんな話もあったな~とか思いながら改めて読んでみてください。

ちなみに、今回のサムネイルは今までに月刊で取り扱った話にまつわるものがたくさん詰まっています。全体を載せておくのでよくよく観察してみてください。

チューバにリバーシ、サンタなんかも見えますね。

前書きはこれまで。では。
ますは、月刊の#1,2,3を読んでもらいましょう。

月刊コグマ#1 もう出てるなんて、そんな。

もう出てるなんて、そんな。

まぁそんな珍しい話でも無いんですけどね。

先週の土曜日(1/15)の共通テストがあった日に
丁度自分もその時模試を受けてて。

模試も無事終わり、
15:45くらいに学校を出たんですよ。
そしたらびっくり。

もう月が出てるなんて。

あの早朝に見るような白い月でしたけど、少しびっくりしましたね。
いや、その、
もう出てるなんて、そんな。って。

まだこれが1時間後なら分かりますけど、
ゆーて15:00ですから。

まだまだ冬は真っ只中ですね。


月刊コグマ#2 やりたいことが、たくさん!

初めてのアプリ製作

先日、学校の授業でアプリ製作をしました。

使ったのは、パソコンでのMIT App inventorというサイト。と、タブレットのアプリ。

パソコンで、さながらスクラッチのようにパーツを組んでプログラムを組んだり画面のデザインを考えたりしてタブレットにUSBを通じて送ればそのタブレット内なら出来る!

というやつなのですが。

思っていた以上に難しかったです。

僕の作ったアプリは、最近、ライブカメラをボーっと見るのにハマっていていちいち検索して見に行くのもめんどくさいよなぁと思ったので、

各地方から一県ピックアップしてあって、

①県名が書かれたボタンを押すと下の空欄に見ることの出来る場所が表示されて

②見に行く!ボタンを押せばそのYouTubeのページが開く。

やめるボタンを押せば選択が解除される。

という動作をするアプリを作りました。

完成したときの達成感といったら凄かったですね。

他の人はじゃんけんゲームを作ったり、

凄い人はポーカーを作ったりしていて。
(ちなみに僕はポーカーのルール知らん)

自分の作ったものとはレベルの全く違うようなことをやっていたので、少し、申し訳ない気もしましたけど。

ま、まぁ、簡単な労力で面白いアプリが作れたと考えれば?

…鼻が高いですね!


月刊コグマ#3 七転び、その後

ウエスト・サイド・ストーリーを観に行った

目標通り、しっかりと観に行ってきましたよ。

僕の観に行った映画館では、字幕版しか無かったのでそれをみたのですがストーリーも全く知らずに観たものですからびっくりしましたね。

結論から言えば、
アメリカ版ロミオとジュリエットです。

ポーランド系アメリカ人(①)と
プエルトリコ系アメリカ人(②)の人種間の対立を描いた作品でした。

ポーランド系のトニーとプエルトリコ系のマリアが恋に落ち、それがきっかけで①のグループ(ジェッツ)と②のグループ(シャークス)の争いに油を注いでしまい…

みたいな。

最後はマリアとトニーが結ばれて終わりかなと思っていたら、トニーが殺されて終わってしまう。

やっぱり人種差別の対立にはハッピーエンドなんて無いんだと思わせられた感じがします。

曲はよく聴いているものばかりで、「あぁ!この曲ってこの場面なんだ!」とか、「そういえば曲名の『Maria』ってマリアのことだったんだ!」とか。

あと、マンボ!のシーン楽しかったです。
ダンスがカッコよかった。

トニー役の俳優のアンセル・エルゴートさんがカッコよかった。

幼く見える演技もあれば大人の男に魅せる演技もある。その切り替えがとっても上手くて、感動しました。(上から目線でゴメンナサイ!)

マリア役のレイチェル・ゼグラーさんもとっても美人で良かったなぁ。そんなレイチェルさん、YouTubeもやっているらしく。
1つほど動画を見てみましたが面白かったですよ。

オチは悲しくてだいぶショックでしたけど、
面白かったです!

ありがとう、スピルバーグ監督。
ありがとう、アンセル、レイチェル。


Time①

ということで、まずは3つ。いかがでしたか?
どれも懐かしい話だなと。僕は思っています。

もう出てるなんて、そんなでは共通テストのことに触れていて、もう来月には僕が受けるんだよな…と改めて実感しています。

大学に行く人はみんな受けろとうちの高校では言われているので嫌でも受けなくては。久しぶりに数Ⅰと数Aもやらなきゃな…

アプリ製作は最近まったくやっていません。そもそも、この授業をやってくれた先生はもう#4で話した通り別の高校へ異動してしまっていないので出来ないのかな?と思っています。

久しぶりにライブカメラでも覗いてみようかな。

ウエスト・サイド・ストーリーは僕が本当に好きな曲の数々が入っていて、映画館で観ることが出来て良かったと今も思う。

ありきたりなハッピーエンドではなくって、それが少し悲しかった部分ももちろんありましたが、本編で書いたように、人種差別が招いた悲劇は決して塗り替えられないというか。

良くないよなって単純に思いましたね。

この月刊#1,2,3はまとめて、「一息三連作」と自分の中で読んでいます。どれもタイトルに「、」が含まれているので。

失敗から学ぶ成長を強く感じた3か月でしたね。

では次は、#4,5,6にいきましょう!
正直、#4は読み返したくないんだけどね…


月刊コグマ#4 一つのコップに注ぐラプソディー

4月8日 今、思えばきっと

『 前回の月刊コグマを書いているときにはもう、   もしかしたら、予兆があったのかもしれない。
認知症って気づいたとき、
「もう時間が少ないのかも」って思うことが出来れば良かったのに。
あの日の前日は様子がいつもよりおかしかったのに、「まだ大丈夫でしょ」なんて思って普通に寝てしまった僕を後悔してる。 』


その日の朝、5:00くらいでした。
「メーちゃんが死んでる。」と親に言われて起きました。(家のペット、ポメラニアンで名前はメープルです。)

すぐに彼の寝床に行きました。
そしたらすぐ側にあるトイレで横たわっている彼を見つけました。

始めは「いや、寝てるだけでしょ」と思い、耳を近付けてみると息をしていませんでした。

ショックの方が大きくて、なのかな。

前までは、「泣いちゃったりするのかな?」とか思ってたんですけどね。

なんにも。本当になんにも。
思うことが無かったんです。

その時の感情は頭が真っ白になったという言葉が一番ふさわしいと思います。

言葉が悪いですが、
その後に、あぁ死んじゃったんだな。
と一言、思いました。

その日は学校でテストがあるので休むに休めず。
親も今日は抜けられない仕事があるということで、18:00辺りにペット霊園の方に来てもらおうということになり学校に行きました。

学校って良いところですね。

初めは、「ずっと気持ちが沈んで今日1日はポテンシャルがダメな日なんだろうなぁ」
みたいなことを思っていたのですが、
テストが、部活が、僕を夢中に誘ってくれました。

ちょうどその日は、新1年生でチューバに入りたいと言ってくれた子が見に来てくれた日でもありました。

元よりこうゆうのは信じないタチだったのですが、死者が感謝として幸福を連れてくるということがあって。
とっても嬉しかったです。

大事にしたい。この関係を大切にしたい。

家から帰ってくるともう家に彼はいませんでした。

母から14:00くらいに連絡が入っていて
早くあがらせてもらって、ペット霊園に連れていったよ。
という旨の連絡があったときは本当に良かったと思いました。

やっぱり家に置いてきてしまったことが不憫で仕方がなかったので良かったです。

中学2年生ぐらいのときに、
「後、半年も無いうちに亡くなります」と言われていて。それで死ななかったから。
今回も大丈夫と思っていた自分に、注意を送りたい。

今までの自分に「写真の1つも残さなくていいの?」と言いたい。

今でも彼の死んでいた顔を思い出せます。

横に倒れていて、顔の面に接している部分が血のような、それよりも黒い液体で濡れていた顔を。

母にも言われましたが、

看取ることなんて実際には難しい。彼の亡くなった時刻に「家にみんながいた」そのことがまず良いことなんだ。

欲を言えば側にずっといたかったけど、その言葉は心の支えとして充分でした。
13歳って長生きですかね。でも、認知症になってもおかしくなかったし、いつ死んでもおかしくなかった。

本当に天国があるならそこに向かって彼に伝えたいですね。

長い間、一緒にいてくれてありがとう!って。

ネットって向こうも繋がってるのかな。


月刊コグマ#5 それならパフェを作りましょう

東京に行こう!

志望している大学さんが、大学の説明会をするということで駅から無料のバスを出してくれる、簡易的ツアーのようなものに乗りました。

海老名サービスエリア

途中、海老名のサービスエリアで途中休憩。

海老名まんがとても美味しそうだったので食べたかったのですがそこに留まる時間が短く、苦渋の決断をしたり。

大学説明会が終わった後、予定に組んであった寮見学に行って新宿の町を彷徨ったり。

オシャレなカフェか何かで夜ご飯でも食べようと思っていたのに全く見つけられず、結局すき家でおろしポン酢牛丼を食べたり。

いろんなことがあってクタクタ。

いざ、新宿駅から東京駅へ!と思い路線図を見てみるとびっくり。

読めないですもの。

母親に聞いて、東京駅に行くのを品川駅に行くのに変更し、まずは無事、品川駅に着くことが出来ました。(この時点で18:30ぐらいだったかな?)

これで帰れるぞ!と思い、
切符を買ってホームへ。

そしたら丁度、ホームに新幹線が!

よし!これに乗れば新富士駅に着くから帰れる!と乗りました。

新幹線のぞみ57号に。

それからはもう…ね。

横浜に止まっている時、母から連絡が。

のぞみは新富士に止まらないよ。
横浜で降りてね、と。

しかし、その連絡が来たときには新幹線は発車し始めていました。

名古屋……

なんでこんな所に来てしまったのか…

なんだよ…きしめんって…

もう苦笑ですよね。

このとき20:10くらいでした。
まさか思いもよらず、愛知県に帰ってきてしまうなんて。

ホントになんだよ…きしめんって…

そんなこともあり。
思った以上の長旅になりました。

名古屋でも降りることが出来なかったら、このまま京都辺りに行ってしまいそうでしたからね。

21:30にやっと新富士駅に着くことが出来ました。良かった。

皆さんはこのようなことが無いように、しっかりと新幹線のルール?的なものを覚えておくようにしましょうね。

こだまがベストですよ。きっと。


月刊コグマ#6 途轍もない を因数分解

途轍もない を因数分解

学校の帰りに思ったんです。

途轍もないって、なんで途轍「も」ないんだろうって。

途轍「が」ないなら、あぁ、途轍がないんだろうなぁってしっくりくるんですけど。

途轍「も」ないってことは、そもそも他に何かがないんだよね?と思ってしまいます。

その理由を探るべく、すぐ検索しても面白くないので、無い頭を振り絞って考えてみました。

つまり、途轍もないをさらに細かく。
素因数分解をしてみよう!と。

そもそも、途轍ってなんだろう。

「途」の字は熟語から見てみると、途中であったり、前途多難であったり。

終わりに向かっている最中であることを示しているかのような漢字です。

では「轍」の字は?

この字、あまり見ないけどどんな時に使われているのだろうか。

そう考えていて、ピン!と来ました。

そうか、この漢字、わだちだ!

他にも同じ轍を踏むという言葉にも使われています。

この漢字の意味は、くるまへん からも分かる通り、車だったり電車だったりが通った後に出来る線のことだったはず。

つまり、途轍というのはその轍の途中という意味。

その途轍もないんだから、道がないということ?

と、だんだんと混乱してきてしまいました。

今の僕は途轍もなく混乱しています。

さすがに満足したので、答えを見ることに。

すると、そもそも、途轍という言葉の意味は「物事の筋道や道理のこと」なんだと。

それがないから、すっとんでいるんだと。
それがないから、とんでもないんだと。

そういうことらしいです。

ただ、「も」と「が」の問題は何処にも書いてなかったので未だわからず、といった状況です。

途轍もないは
とんでもない、と同義。

更にいえば、途でもないなので、もしかしたら途轍もないの「も」は、◯◯でもないから来ているのかもしれませんね。

これでまた1つ賢くなったというものです。

途轍もなく。


Time②

はい。これが4,5,6月の月刊コグマです。

4月の話はに宛てるための話にしたかったので、彼の話を中心に、それに他の別れと出会いの話を加えた形で書きました。

久しぶりにこうやってあのときの気持ちを覗くといまだに思い出されるというか、あのあとも僕は泣いてはないけど、どうしても気持ちが沈んでしまうというか、人の訃報を見るたびに頭をよぎります。

たぶんこれはずっと治らないと思うし、なんなら治ってほしくないとも思います。
今、彼が向こうで楽しく過ごしているのならばそれでいいのだけど。

5月は出来るだけ楽しい月刊にしよう!と考えて作った回でもありました。それにはやっぱり前回のものがあのような回になってしまったのでその分の雰囲気を戻そうという意識で。

東京の大学に見学にいって、おもいっきり新幹線を乗り間違えてしまって、とても辛い思いをしたので次からは絶対にしないようにしようとそれからは電光掲示板をしっかりと見てから乗るようになりました。

受験のために再びあの大学に行ったときはちゃんと帰ってくることが出来たので良かったです。

6月で扱った「途轍もない」の話は次に紹介する7月に載っている風の話にも通じるところがあるのですが、急に、今まで普通に使っていた言葉の本当の意味や成り立ちが気になってしまうことがあり、その時の思考を一部取り出した感じであの話はつくられています。

登下校中に歩きながら考えることがほとんどですね。

5~6月の間だった6~7月の間だったのか、そこのところは曖昧なのですが、の寝ていたところを片付けていたら、写真が一枚出てきたんです。

毛をカットしたばかりの時の様子が写真に収めてあって、それが出てきたときはとってもとっても嬉しかった。

色々なことを体験した3か月でしたね。

では次に#7,8,9を見に行きますか!
ここら辺の記憶がまったくない。何を書いたんだっけか。


月刊コグマ#7 この線路はどこまでも続く

散髪

土曜の雨の日。(ちなみにこの1週間後は土用の丑の日である)用事を済ませ家に帰ってくるときに悩んでいたことがあった。

髪の毛をいつ切りに行くのか。

そもそも髪の毛を切りに行くのがあまり得意ではない。床屋には苦い思い出があるのだ。

小学1、2年生のときだったと思う。近所のスーパーの中に新しく床屋の店が入ってきた。少し年の食ったおばちゃんが経営していた。もしかしたら他の従業員の方もいたのかもしれないが、私があの床屋を外から眺めているときはそのおばちゃんしかいなかった。

初めての床屋。今までは親に切ってもらっていたのを急に他人にどのようなカットなのか教えろと言われても無理がある。何カットがいいのかと聞かれたとき、少し苛立っているようにも聞こえた。私は話せなかった。

結局外で待っていた親を呼び、私に対しての文句を交えながら親に何カットが良いのかを聞いていた。(この床屋は髪を切るところが1つしかなく、他のお客さんは外で待機というそこまで広い部屋ではなかったのを覚えている)

申し訳ないと思った。しかし、それを勝るように床屋とは怖いものだという意識が根付いてしまった。

そのお陰か中学2、3年生くらいまで床屋に行けなかったのだ。たしか2年生であったと思うが、ではなぜ再び行くことが出来るようになったのか。それは別段大きな出来事があったわけではなく、ただ親に「将来苦労するよ」と言われたので嫌々行ったのだった。

そこぐらいから床屋に行くことの抵抗感は薄れてきていた。しかし、上手く伝えられないことは当時健在である。そこから何と言って切ってもらったかは覚えてないが、あまり好きではないワックスを帰りに付けられてたのを考えるとソフトモヒカンとかそこら辺だったのだろう。

時は飛んで、ちょうど2ヵ月前。私の好みにあった切り方を見つけた。それが、
ツーブロックにして欲しい。しかし、段差が気になるので端から見て段差が気にならない程度に。前髪は押さえて眉毛にかからないくらい。

というものである。

正直に言えばこれでもまだ妥協点だが、いつかは良い切り方を言えたら良いと思う。

そして話はその土曜日に戻ってくる。

めんどくさくはあったが今行かないとそれこそ行く機会が無いと思い家を出た。(次の日は野球応援の予定が入っていたのでどうしても祝日に家を出たくはなかったのもある)

床屋に着き、順番を待ち、呼ばれていつものカット(2回目)を頼む。すると横にはそれこそ小学2、3年生の子供が呼ばれて座った。

彼はどのような注文をするのか聞き耳を立てていたところ、「横を何cm」「後ろは刈り上げて」などという大人のような注文をしていた。

親から何と言うのか教えてもらっていたのかもしれないが、それでも今の小学生はしっかりと言えるのだなと感心をしてしまった。

しばらく床屋には行けないかもしれない。


月刊コグマ#8 アイス評論会

海に行こう

海の写真が撮りたい。

ふとそう思った。夏らしいことをしたいと思い、そういえば海に行ってないなと。久しぶりに海に行きたいなと。

そこで近くの海水浴場を探してみると、三保というところが出てきた。

三保…三保…そうか!三保の松原の三保か!

ならば行くべし!となったのが土曜日の夜のこと。

そして日曜日、行こうとは思いつつも腰が上がらない。気づいたら9:30になっていた。これはまずいと服に着替えて駅に向かった。

そこからなんやかんやあって気づいたら13:00に。乗ろうとしていた水上バスに乗り、いざ三保へ!

とっても優雅な旅だった。波に揺られて海を眺めるなんて過去にフェリーに乗ったぶりで。

15分もする頃には三保に到着。バスが着くところは「港」といった感じではなく、海の上に作りましたといった感じだったので曲がればすぐ海。

動画を載せることが出来れば、海の音とお届けしているのだが…

その後、近くの水族館と自然史博物館が一緒にある東海大学に行き、

クマノミ

魚の写真だったり

アンキロサウルス…かな?

化石の写真だったり。

たくさんの写真を取って、もう大満足。せっかく来たんだしと思い、家族にちょっとしたお土産を買い家に帰宅。

ちなみに、自分用にペンギンの絵が書いてある栞を買ったのだがそれがとても使いやすく愛用している。可愛い。

ペンギンはいなかったのだが。

思っていた以上に濃い1日だった。家の外に出て良かったと久しぶりに思った。


月刊コグマ#9 バナナの生き方

走り出せ

2学期の始まり。それは新しい季節の始まりを指す。体育の授業も内容が変わる。

雨が降る。体育館。
気付くと私は走っていた。タイムは残り1分。
体育館内の1周も、8分走ればさすがに疲れる。

今は何時間目だ。

翌日。雨が降る。体育館。
よーい、ピッ。笛の音が鳴る。全員が走り出す。
体育館内を周る。始めのタイムは10分。10分!?

長い、長い。8分でもあれだけ疲れたのに+2分なんて。考えるのも疲れる。秒数だけを気にして走りに意識を戻した。

1周30秒を意識して走る。48秒、18秒、45秒、14秒。少しずつ上げていく。38秒、8秒、29秒、53秒。残り1分。雰囲気が変わる。周りの足音が速くなる。出来るだけ抑える。残り30秒近くまでは焦らないように。数字が見える。43秒。速度を上げた。

次々と集団を抜かしていく。目の前に1人。行けそうだ。足を伸ばす。そこで笛が鳴った。息が苦しい。足を止めないよう、歩いて呼吸を整える。時計を見る。

今は何時だ。

翌日。晴れる。グラウンド前。
今日は何をやるのだろうか。先生がリレーバトンを持ってくる。マジかよ。キツい、キツい。

ルールはこうだ。

校舎1周を「3」とする。1:2の割合に分けられる。
3人グループを組む。

①1走目は「2」の距離を走る。
②2走目は「2」の人からバトンをもらい、「1」の距離を走る。
③3走目は「1」の人からバトンをもらい、「3」の距離(校舎1周)を走る。

これを1人ずつ回していき、全員が計「6」走ることになる。

私は2走→3走→1走の順になった。「1」は短い。しかし、ここで差をつけなければ負けてしまうだろう。バトンを受け取ると走り出した。

走る。前には1人。頑張れば届く、かもしれない。追いかけるほど距離は開く。そこで3走目の人にバトンは渡された。悔しい。順位はまだ上位。このまま行けるだろうか。次は「3」。ここはつらい。ペースを考えて走ることにしよう。体育館での走りのように。

自分の走る番が終わる。疲れた。いつもより疲れた。なぜ間隔を開けて学校を2周しなくてはいけないのか。どうせなら直接2周のほうが楽だと思うのだが。

体育が終われば昼放課だ。しかし、ご飯が喉を通らない。食べようという気にならない。この感覚も久しぶりな気がする。その時、ふと思った。

今日は何曜日だ。


Time③

7,8,9月の月刊はその季節に相応しい話がしっかりと書かれていて少しびっくりしました。

散髪に関しては季節感はないですけど、最近はこれに出てきた男の子のようにしっかりと言うことが出来ています。

そして、そうやって美容院の人に頼むことが出来る自分を誇らしげに思っています。

海に行った記憶が完全に抜けていました。あれを買ってから、本を読むときにとてもお世話になっています。ステンドグラスみたいな栞なので、日が当たるとペンギンが机に映ってとっても綺麗ですよ。

9月は本当に走ってばっかりだったと思います。先生が言うには、もう3年生はマラソンは最後だということで、もう1月の体育は走らないらしいです。

この時期に走ることの話が書けて、これを読むことであの時の記憶が思い起こされるので、良かった気がします。

ここから今の月刊の格調が出来上がっているんですね。(格調という言葉を使うのはおこがましいですが….)まさか、エッセイを読んでそこからそうなっていたなんて!!…影響受けまくりですね。

次に紹介していくのは、10,11,12月。そして、番外編です。何月かは忘れてしまいましたが、そんな影響をテーマにしたお話も書いたのはこの3か月のどこかだったはずです。

では、どうぞ!


月刊コグマ#番外編 Birthday massage

地獄

最近の学生はよく死にそうっていう言葉を使うけど、その言葉を吐くときにちょっと苦しくならないのかな?っていう疑問が僕の中にはある。

別に物語の中なら良いと思うけど。あれは別の世界の話だから。まぁそれは置いておいて、この現実世界の話。

どうしてそんなに多用するのだろう。考えてみるか。「死にそうなほど疲れたから死にそうなのか」。「精神的ダメージが辛いから死にそう」?よくわからない。

もちろん、この言葉を使うシーンはピンとくるのだけど、今上げた2つの例って死にそうのベクトルが全く違うっていうか。自分は運の良いことに、今までいじめられてこなかったから(もしくは気付いてないかだけど)本当の「死にそう」を「死にたい」を知らない。

中学3年生のときに一回その気持ちを知りたくなって、どこに行ったら知れるだろうかって考えて、リストカットしてる人のサイトだったりツイートだったりを漁ってた黒い過去があることはナイショの話なんだけど、見ててなんか泣けてきちゃって。

中学のときの部活の中で、同級生に1人リストカット疑惑の人がいた。その人は毎日元気溌剌っていうか、明るくてみんなにも元気を振りまいてた。そんなイメージ。ウチのクラスの級長だったり、生徒会の会長もやってた。

僕は実際に見たわけじゃない。でも、同じパートだったしよく話す仲だったから辛いなら辛いって僕に伝えてくれても良かったのにって。僕なら出来るだけ寄り添って話を聞いたのになって。

結局、本当にその人がリストカットしてたのかは知らないし、聞く勇気もなかったから寄り添うこともなかった。けど、その体験から僕は絶対にリストカットもしないし、「死にそう」、「死にたい」って安易には使わないようにしようって決めた。

だって、本当の状況じゃないから。明日だって、面白い普通の生活があるって思ってるのに平気で死ぬなんて使いたくない。普通の生活がなくったって、そんなときは多分、死ぬのは一瞬。

そもそもの話、いじめるとかいじめられるとかそんなことも考えたくはないんだけど。ここから将来、そんなことが僕の身に起こるかもしれない。

でもまぁその時はその時。今がプラスだから幸せな生活をおくってるからそんなことが言えるだけっていうのも分かってるつもり。
つもりだけどね。

めだ箱の球磨川くんが言ってたんだよ。「人生プラスマイナスゼロだっていうヤツは決まってプラスのやつなんだ」って。本当の地獄を僕はまだ知らない。ぬるい、地獄みたいな現実で今はまだ待っているのかもしれない。

だからこそ、今はまだ「死にたい」は使えないな。


月刊コグマ#10 HONYARARA

Birthday massage

去年は、絶対に祝おうと思って、LINEが繋がっている人で誕生日を知っている人には、「誕生日、おめでとう。」と贈っていた。実際はもっと長いけれども。

人の心を探るのに疲れた。きっと、嫌だって思うだろうな。迷惑だろうな。気持ち悪がられるんだろうな。そう考えてしまう自分に嫌気が差した。最終的に、一時いっときではあるが人との関わりさえも辛いと思うようになってしまったこともあった。それを遠ざけることもあった。人の思考に対して全てマイナスの方向に考えてしまうのは駄目だと思った。けれど、その信号を急に変えることは出来ない。

自分は自己主張の強い人だと思う。自分の意見を押し通そうとする節がある。思い通りに行かなければイライラする。だからこそ、根底から変えていこうと、自分から変えていこうと行動するほどには。簡単に言い換えれば、自己中心的であった。他人の気持ちを考えず、「こう思われたらどうしよう」と自分のことだけ考えるその心も含めて。そこが自分の短所でもあると思っていた。

この自己中心を良い感じに使えたら。そこで、私は考えた。祝いたくても祝えない、貧しい心。何がなんでも押し通そうとする傲慢な心。この2つを上手いことミックス出来ないかと。

自分がしてもらって嬉しいことってなんだろう。まずはそこに立ち返ってみる。おめでとうって言ってもらえるとやはり嬉しい。その気持ちは変わらない。

もし、人間が単純であるとしたなら。僕が嬉しいと思っていることは他の人も嬉しいのではないか。関わってくれる喜びが人間にはやっぱりあって、それを出せるのはこの自分の傲慢さなのだと思った。

相手は喜ばないかもしれない。迷惑だと思ってるかもしれない。けれど、そんなものはどうだっていい。僕が祝いたいから祝うんだ。僕がされて嬉しいからするんだ。

それからはしっかりとメッセージを贈るようになった。恥ずかしいとか、自分の意地のようなものが出てきてしまうこともいくつかあるが、もっと自分勝手に幸せを喜びを振り撒かなくては。

今年度からは、バリエーションを持たせたかったので文字だけのメッセージではなく、声を録音してそれを送りつけるようにしている。時間が経って、顔が見たいと思っていても、離れていてはそれが叶うことはない。声が聞きたいと思ってもそれは同様で。データとして残っていれば、聞きたいときに聞くことが出来る。その人を感じることが出来る。だから、僕の声を録音しよう。という魂胆である。

誕生日の祝い方にもたくさんある。僕みたいに、おめでとうって書いて、言って。それで終わる人もいれば、プレゼントまで用意して祝ってくれる人もいる。それは人様々だ。けれど、共通して、その人たちは、祝ってくれている。おめでとうってその人に言いたいという気持ちがある、多分。それだけでも、十分。嬉しいものなのだと思う。僕は嬉しい。

もうすぐ誕生日の人へ。これから誕生日の人へ。これを見ているすべての人へ。誕生日、おめでとう。この言葉が届いていますように。


月刊コグマ#11 創造のあとさき

Influences

先日のこと。急にLIVEのDVDが観たくなり、好きなミュージシャンのものを買って、テレビで観ていた。

曲を一つ一つと聴いていく度に、心の奥がドキドキとしているのが分かる。そのライブのタイトルは「Continues」。始まりからその「続いていく」ということを強く感じていた。

歌謡曲、J-pop、その他色々とある日本の曲に外国のソウルなどのブラックな雰囲気を踏襲した日本人特有の音楽、「Yellow music」を作るのだという気持ちに惹かれ、彼の音楽を聴いているところがある。

今回の曲「Continues」には彼の憧れの人から言われた「未来をよろしく」という言葉から生まれた曲だと言う。その言葉は考えてみれば、憧れの人からもらった途轍もなく重い言葉なのかもしれない。

自分も、彼の影響を受けて、今ここにいる気がしている。彼のその音楽性に感化されて、その考え方に、物の見方に影響されて。

彼も彼の憧れの人の影響を受けて、そこにいるだろう。確かに影響を受けることで続いていくものがあるのだなと思った。

今、僕たちの年齢はいわゆる「多感な時期」と言われるところに属しているらしい。色々な考えに左右されながら、日々をせわしなく生きている気がする。胸の奥に引っ掛かるような言葉をかけられ、どうしても心のムズムズとしたものが抑えられなくなり、大きな声で言葉を吐き出したいと思ったこともたくさんあったし、これからもあるだろうと思う。

けれど、逆にそんなときに言葉が助けてくれることもある。それは友達からの心配であったり、ドラマのセリフの一部であったり、好きな曲の歌詞であったり。その言葉を聞いて、ムズムズとした欠けた心の一部分が埋まっていく気がする。

心の傷が治ることはなく、痕が残るらしい。痛いという気持ちは薄れるかもしれないけれど、それは痕となってたまに思い出される。その感覚をトラウマというのだろうか。

自分も、小学校や中学校のことをふとした時に思い出す。辛かった、悲しかった記憶も、楽しかった、嬉しかった記憶も。その中には先生に怒られてたくさん涙を流したものも、好きだった人と話した内容と笑った顔と、様々だ。そのすべてがすべてに影響を受けて、今の自分を形作っているのではないかと感じる。

その影響を受けた先で続いていく。受けたから、続いていくといってもいいのかもしれない。

命は続く
日々のゲームは続く
君が燃やす想いは
次の何かを照らすんだ

この燃やす想いが影響を受けた直前だとすれば、僕たちはその先の「照らす」ことに、影響を与えることに繋がるのだろう。

そしていつか、それは伝って繋がって、彼の憧れの人がそうしたように、次の世代へ託していくのだ。

DVDを観終わると、とても満足とした気持ちになり、その気分のままスマホに手を伸ばし、この話を書いている。これも一つ影響を受けた結果なのだろう。今、自分は途轍もなく創作意欲が、書きたいと思うその表現欲が溢れそうだ。

これも誰かの影響の一つになっていると面白いな。


月刊コグマ#12 とある冬の不思議な出来事

肉まん

朝、学校に向かう途中にコンビニがあるのだが、そこから人が出てきて、その人が何かを持っているがわかった。

何なのだろうとよく見てみると、白い生地に紙で包まれてあり、湯気が立つ。遠くからでもよく分かるフォルム。

そう、肉まんだった。

この季節になると無性に肉まんが食べたくなる。手に持つと、温かくて、少し熱くて。一口食べてみると、具がごろっと入っていて。肉まんの生地と具のシャキっとした歯ごたえが美味しくて。
フーフーとしながら頬張って食べる。

肉まんといえば、こんな思い出がある。

過去に住んでいたところの近くに、支所や民間センター、ホールなどが一緒になったコミュニティセンターがあった。

そこでは夏と冬に祭りをやっていて、その時期にはわなげ屋や冷やしきゅうりを売っている店など色々な屋台が出ていた。

季節は冬。自分は確か、保育園通いのクソガキだったはずだ。

祭りを覗いてみようとそのセンターに向かってみると、寒い空気に暖かい灯りと少しのイルミネーションが辺りには飾られていた。そこを親と一緒に回っていると、広場の少し離れたところにぽつんと屋台がたっていた。

近づいて見てみると、それは肉まんなどの中華まんを売っている店であった。せっかくだし買っていこうと、一人一つ肉まんを買ったのだ。

よくスーパーで見る、井村屋のものを想像していたのでそれよりも一回り大きく、とてもびっくりしたのを覚えている。

一口かじって、ハフハフとしながら美味しさを噛み締める。具もぎっしりと入っていて、食べ応えも抜群で、すぐさまこの屋台の虜になった。

そこからは毎年のように冬の祭りのときはその肉まんを買うようになった。毎年ずっと美味しかった。何年経っても変わらない美味しさとはこのようなことを言うのだと思う。

小学生の頃である。気づいたときには、その肉まんの屋台は消えていた。小学校に通いだして数年はその屋台もあって毎年変わらず食べていたのにも関わらず、それには気付かなかった。

小学校6年生の頃に好きな子と回ったときにはもうその屋台が無かったことは覚えているのだが。

思えば、一年前。5年生のときも無かった気がする。

大きくなっていくにつれてその屋台が見えなくなったみたいで、そう考えるとあれは幽霊とか妖怪とかその類いではないのかと変な深読みをしてしまったが、それは流石に無いだろう。

中学生になってもその屋台を見かけることはなくなっていた。吹奏楽部に入り、その祭りには演奏をするため毎年行っていたのだが、その屋台があった場所には他の屋台が入ることもなく、その場所だけ空間が空いていた。

高校生になって、その土地からは離れてしまったが今、その屋台は出ているのだろうか。

久しぶりに行ってみるのも面白いかもしれない。そしてその屋台に会えたらなら、肉まんを買おう。

あの屋台が
子供たちの成長を見守っている者だったとして、子供のいる家族にしか見えない者だったとして、もしそうだとしたら、彼は肉まんをくれるサンタクロースだったのかもしれない。


あとがき

これで月刊コグマは最後まで読み終わりましたね!!

なんか思っていた以上に量を書いていてびっくりしました。覗いてみると毎月約6本の話を書いていましたね。たまに5や8に。調子の良いときには11になっていたりして、なんか自分の鼻が高いですね。

しかし、久しぶりに自分の月刊を読み直してみると、やはり取っつきにくいというか、万人受けしない感じがひしひしと感じて、穴に入りたくなったのも事実。

そこのところは今後改善していけたら良いのかなと1人反省しています。

高校を卒業して、大学生になって、それでもこの「月刊コグマ」という活動を続けるのかという疑問に対して、前は高校を卒業したら辞めようと考えていました。

これが出来るのは僕が高校生だから。その範囲に入る学生だからこそやっていいことなんだと思い書いてきたものだからです。大学生になって、形だけ成人として進むわけで。それなのに、こんなことしているのはどうなのか、と。

でも、自分が月刊をやっている理由を改めて考えてみたというか、思い出してみたんです。
この月刊を始めた理由。それは、今の僕を見てほしいという気持ちでした。

この企画を始めた高校1年生の頃は、どうにも学校が楽しめず、楽器を触っていてもいつも何かに追われているような苛烈を背負っていた気がします。それはやっぱり知らない土地で、誰1人知らない人で。「知らない」がたくさんあったからなのかな。

そんな状況で、たまにポツポツと投稿しては消してをこのnoteでやっていたんです。冬のこの時期辺りだったかな。何もかもがどうにも自分の思いどおりにいかず、とても苦しくなって、話を1つ書きました。それが月刊コグマのスタート地点です。

毎日を楽しめないなんて思わないで、楽しもうとしよう。そうやって考えて始めた企画でした。書いてみると楽しくて、たぶんこれなら続けられる気がするとそのときは思いました。

3月のあるとき、LINEが繋がっている人全員にとある表を送信しました。それは、自分がそのとき唯一と楽しいと感じていたであろう「高校1年生時に読んだ本」という、名前の通り、読んだ本や冊数、その感想など色々なものがまとめたものでした。

こんな感じ

自分で見返して、どんな本を読んだ、あんな本を読んだって思い出したかったからこそ自分で作ったものでした。
送信したときの僕は他の人たちにもぜひ読んでほしいと思って、言ってしまえば「善意で」送ったんです。

ありがとう、参考にしてみるよ、と色々な言葉をかけてくれた人が多かった。それがお世辞であったとしても嬉しかった。

けれど、そのLINEが既読スルーをされている様子が目に入ってしまい、自分の思考は一気に満足感から申し訳無さへと変わっていきました。

別に望まれてもいないのに何変なものを送っているんだろう。馬鹿みたいだ。くだらない。僕だって、たぶん無視する。何やってるんだって思う。きっとこんなものを送られても大迷惑だろうな。イライラとさせてしまったかもしれない。なんで、これを送ってしまったんだ。

自分を貶す言葉で頭の中はいっぱいになって、人との関係が嫌に見えてきました。その人とのLINEを見るたびに自分が駄目に見えて堪らなくなり、その次の日、その人のLINEを消しました。

それだけでは僕の内面に向く気持ちは収まらず、ありがとうと言ってくれたLINEも全部消してしまいました。

僕1人になったLINEの画面を見て、とてもすっきりするのと同時に涙が出てきて、柄にも似合わず大号泣。もう何やってるんだろうって結局自分を責める羽目になりました。

自分の心の芯の部分は空っぽのまま4月になり、僕は2年生になり、後輩が出来て、1学期を終えました。あの抜けていた時の思い出は僕の中で残ることがなく、ふとそれが悲しくなりました。それと同時にまた前まで繋がっていた人たちとまた繋がりたいと思うようになったんです。

けれど、僕はそもそもの連絡手段をかなぐり捨ててしまったので手を伸ばそうにも伸ばせない状況。

そこで思い出したのがこの月刊の存在でした。

この月刊を続けていれば、僕は話を得るために毎日を楽しもうと意図的に生活する。そうすれば、「病は気から」と同じように毎日は輝いていくことは分かっていたから。

それに加えてLINEで告知をしたら、今の僕はもう大丈夫だよ、と連絡を切ってしまった人たちに伝えることが出来るかもしれない。迷惑をかけてしまって申し訳ないという気持ちも込めて。

これが、今の僕を見てほしい、という気持ちの理由です。

この気持ちが月刊を続ける理由ならば、大学生になっても続けたって良いじゃないかと最近思いました。高校3年生も終わりに差し掛かっているのに、LINEの復縁(笑)を出来てない人はまだまだいますし。高校でサヨナラをしてしまう人も大勢いるでしょう。

そんな人たちに贈るために、そして、僕はここで元気にやってるよと伝えるために僕は月刊コグマを続けるのだ。
そして、周りにあった日常を届けよう。

そんなところで2022年の総集編を終わりたいと思います。

このあとは、僕のクリスマスとその後を書いたお話、Swipe Timesをお送りします。
つまり、まだまだ続きます。

それでは、
また来年もよろしくお願いいたします!!

よいお年を!👋


Swipe Times

もう1年が経ってしまうという事実に驚き過ぎて信じることが出来ないのだが、実際そうなのだから目を向けることしか出来ない。

前回の月刊を24日に投稿して、次の日の25日から総集編を書き始めたのだが、ちょうど#4の部分が終わった段階で、どうしてもしんみりとしてしまいこれ以上書けないと感じて手を止めてしまった。

その日は同時にワクチンを打ちに行く日でもあったため近くの文化会館へ向かった。

小さいクリスマスツリーが置いてあり、帰りに写真に残しておこうと決め、エレベーターで上り受付に行った。

打ち終わって時間になるまで椅子に座っていると、残り2,3分くらいになって係の人が来て、高校2年生のお子さんがいるということで少し雑談をした。

その時間も終わり、帰るため階段で降りていくと目の前にはとても素敵なステンドグラスがあった。そのステンドグラスはバラを象ったもので、日が当たり綺麗に色が反射していた。

その夜に、撮ったステンドグラスやツリーの写真を人に送ったり、その人から手作りケーキの写真とそのエピソードが送られてきて、それがとても美味しそうで羨ましいと思ったり、色々なことを考えながらワクチンパワーで寒気を感じて一日を終えた。

夜1時に目が醒めた。体が熱くて仕方ない。けれど、布団を剥ぐと寒いということは全身で理解しているため動くことは出来ない。熱くて熱くて堪らない。まったくと言っていいほど寝つけない。水を用意しておけば良かったと、とても後悔をした。

昨日のことを考えていた。
昨日はクリスマスだった。ケーキのあの子は今日を楽しく過ごせただろうか。自分の連絡がその日を嫌な1日にしてしまった可能性もあるのではないか。もし嫌だって思われていたら、申し訳ないな。

また、とある友人のことも考えていた。クリスマスはゲーム三昧だと言っていた気がする。相手なんていないからゲームでデートするんだ、とか言っていた気がしないでもない。
そこから何を考えていたのか。その記憶は無い。

次に起きると朝の4時だった。2時までは寝られなかったのであれから2時間は寝られたらしい。あと、1時間もすれば起きる時間だ。さっきと同じようにくだらないことでも考えよう。

そうして久しぶりの地獄が始まった。

朝から頭が痛かった。寒気は当たり前だがそんなことはどうでもいいくらい痛い。左腕も痛かったがこんなものは筋肉痛と同じなのでどうでもいい。

朝ご飯の時間なのだがお腹が空いていない。しかし、食べなくては元気になるものもならない気がしたので少しだけ。無理にでも入れることにした。

自分の部屋に戻るが未だに頭痛は治まらない。再び布団の中に戻ると目を閉じた。

頭が響くのだが、体が熱くなっていく感覚は止まず眠ることが出来ない。夜ならば眠れたものも明るさも相まってより寝させなくさせているようだった。しかし、寝なければ頭痛は続く。寝るためにはどうしようかと痛む頭で考えてみる。やはり人のことを考えるのがベストか。

すると、頭の中に曲の1フレーズが流れてきた。

病室 夜が心をそろそろ蝕む
唸る隣の部屋が 開始の合図だ
いつも夢の中で 痛みから逃げてる
あの子の裸とか 単純な温もりだけを
思い出す

こういうことかと妙に納得してしまった。今、思えば夜に考えていた2人も女の子だ。さすがに裸を想像したりはしないが、女の子のことを考えてはいる。ならば、僕ももっと元気になりそうな想像をしてみよう。

知り合いの女の子みんなが僕の心配をしてくれる妄想をしてみる。なんか、嬉しいな。こうやって直接心配されたことは無かった気がする。大丈夫?って言われるだけで、こんなに心がほっこりするものなのか。想像だけど。

女の子だけだと申し訳ないので、むさ苦しいがヤツらのことも想像してみるが、ひどい光景だったのですぐにやめた。全員が全員で一緒になって来るんじゃない。気持ち悪いぞ。…目が少し醒めてしまった。

そんなことをしているうちに気付けば10時を過ぎていた。そして、その時間を確認した境で僕の記憶はまた途切れることになる。

起きると昼は過ぎていて13:30に近い数字になっていた。お昼ごはんをそろそろ食べないといけないがまたもお腹は空いていない。無理やりにでも食べるために納豆を取り出して、弁当にかけて食べてやった。それでも早く食べることはかなわず、1時間もかけてお昼ごはんを食べ終わった。

ずっと頭が痛いと言っていられない。寝てもいられない。世の中にはもっと苦しんでいる人がいるのだ。今日も一生懸命に働いたり、部活に勤しんだりしている人がいるのだ。

そう思い、僕は目の前の皿に手を伸ばした。洗剤をスポンジに染み込ませる。自分の弁当と弟の弁当に泡をつけ磨き、水で流そうと蛇口をひねると思った以上に冷たい水が出てきて、とてもびくっとしてしまった。

温かい水が出てくるまで待っていられない。それを待たずに泡を流し始め、皿洗いという大きな壁を乗り切った。

夜も似たようなことを繰り広げ、お風呂の温かさを身に染みて感じ、布団に潜って一日を終えた。

次の日には昨日のことが嘘のようにすっきり晴れやかな朝を迎えることが出来た。

久しぶりに自分の体の異変がたくさんのことを引き起こしてくれたが、今回は色々なことを体験する機会にもなったので地味に良かった気もする。

本当に辛いときは妄想の中の異性に助けを求めてみるのも悪くはないかなと思った。同性はやめたほうがいいかもしれない。

あの頭痛の時は長く、それでも今思えば時間が奪われたように過ぎ去っていった、そんな一日だった。

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