パパシロケニンズ

会社員をしながら、小説や日常雑記を書いています。楽しんでいただけたら嬉しいです。

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マガジン

  • 南極日記

    普通の会社員の男が観測隊として南極に行った話。日本では想像もつかない生活と冒険が彼を待っていた。暑苦しいほどの熱量は空回るほど美しい。感動の不朽の最強の初作。しらせ編、昭和基地編の二部構成。 ※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係がありません。

最近の記事

エピローグ オーロラの光

二月二十七日(水) 晴れ 南緯六十六度、東経五十度  しらせ復路。時刻帯がチャーリーからデルタに変わり、昭和基地と私達の間に一時間の時差が生じた。消灯後、ベッドの中で目を瞑っても脳が覚醒してうまく眠れない。気持ちを落ち着かせるために羽毛服を着込み〇五甲板に上がって外の空気を吸った。  夜。暗黒の海から波の音が聞こえる。やたらと大きな満月があって眩しいぐらいの光を放ち、その下の海面に氷が浮かぶ。昨日定着氷域から出たので氷の数はまばらだ。  空にはたくさんの星が浮かんでいる。欄干

    • さらば昭和基地

      二月四日(月) 曇り 南緯六九度、東経三九度  五時半起床。眠気はない。曇り空だが風は弱い。南極に来てから天気に対して敏感になった。布団を畳み庶務室の机周りを整理した。しかし、どうせすぐに散らかるだろう。LAN犬照さんも冬庶務山極さんも整理が苦手だから。朝食のカレーを味わって食べた。  夏隊の荷物を積んだトラックを運転してヘリポートまで移動。管理棟、一九広場、観測棟、自然エネルギー棟、焼却炉棟、坂道を下って風力発電機、一夏、二夏、ヘリポートから見える海氷、全て目に焼き付ける。

      • 管理棟ライブ!

        二月三日(日) 曇り 南緯六九度、東経三九度  今日はずっと大型大気レーダー周辺の除雪作業をした。観測活動中にずっと腰痛に悩まされてきたが、それも今日で最後。ツルハシを持つ手も自ずと力が入る。力が入った分だけ腰に響く。それも今日で最後。腰痛すら愛しい。  夕食の時間になり管理棟二階の食堂に入ると、ご馳走が並んでいた。ローストビーフ、寿司、カルパッチョサラダ、チキンカレー、グリーンカレー……。昨日、調理米田さんから夏隊に食べたいものを聞かれて私は「カレー」と答えた。二種類も作っ

        • 管理棟ライフ

           二月二日(土) 曇り 南緯六九度、東経三九度  熟睡の末にたどり着くは体の自然な目覚め。今朝は南極到着後で最も心地いい朝を迎えた。管理棟での生活。管理棟と隣接して居住棟があり、越冬隊員は三畳程の大きさの個室で寝泊まりする。部屋数は三〇程で、今現在、越冬隊に加えて夏隊も生活しているものだから完全なるキャパオーバー。夏隊員は居住棟に居候したり、倉庫棟や観測棟で寝泊まりしたりすることになった。私は管理棟三階の庶務室の本棚と本棚の間に布団を敷いて、寝た。多少窮屈だが自分だけのスペー

        エピローグ オーロラの光

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        • 南極日記
          64本

        記事

          越冬交代、そして前次隊はいなくなった

          二月一日(金) 雪 南緯六九度、東経三九度  場所は一九広場、時刻は一〇時〇〇分、前次隊のいを隊越冬隊総員二九名がずらりと並んだ。今次隊のいわ隊三一名が向かい合って整列する。冬月隊長の近くに夏目副隊長としらせ艦長も一緒に並ぶ。三本の鉄柱、その頂点にはいを隊の隊旗、いわ隊の隊旗、そして国旗が掲げられ、風が吹くと旗がはためく。 「これより越冬交代式を開催します」冬庶務山極さんの厳粛過ぎる進行によって越冬交代式は始まった。冬月隊長がマイクに向かって話す。 「いを隊の皆さん、一年間の

          越冬交代、そして前次隊はいなくなった

          南極授業

          一月二九日(火) 曇り 南緯六九度、東経三九度  南極観測には情報発信の一環として「南極授業」なるものがある。小中高等学校の教員が観測隊に同行して南極に赴き、日本にいる自分の生徒や一般の人に向けて衛星回線を通して南極から授業をする。いは隊では教員派遣の福井さんが同行した。福井さんは理科の先生。私は情報発信も担当しているので福井さんと何度も授業について入念な打ち合わせをしてきた。本日は授業本番である。「回線が繋がればほぼ成功」という先人達の遺言に従い、私は回線状況に注意した。南

          東オングル島一斉清掃作戦

          一月二八日(月) 曇り 南緯六九度、東経三九度  時間が経つと散らかるというのは自然の摂理であって、それは一人暮らしの大学生の部屋だろうと昭和基地だろうと同じことである。一次隊が東オングル島に到達してから日本の南極観測は継続的に行われた。その間に人間が生活したり観測したりしてる訳で、様々なゴミが出るのは自然の摂理である。ゴミは島内に埋め立てたり野焼きされたりした。過剰に廃棄物が埋め立てらて薄汚れた昭和基地で隊員達の精神の汚染され堕落、野焼きの強烈な臭いに絶望したアデリーペンギ

          東オングル島一斉清掃作戦

          アイスオペレーション

          一月二七日(日) 晴れ 南緯六九度、東経三九度  夕食後に夏隊を中心とした十数人でアイスオペレーションのために海氷に出陣。アイスオペレーション、名前は仰々しいが要は氷取りである。昭和基地近くの氷山から氷を採取して広報用として日本に持ち帰る。南極の良き思い出作りでもある。雪上車三台とスノーモービル二台に乗って目的地に向かった。オレンジ色のヘルメットを被り、いつの間にか薄汚れた防寒着を羽織った姿は、紛うことなき観測隊の風格があった。昭和基地に来た当初キャッキャ騒いでいた南極初心者

          アイスオペレーション

          観測棟にて物思い

          一月二十五日(金) 雪 南緯六九度、東経三九度  管理棟から東に少し歩いたところに見える青い建物は観測棟で、大気中の二酸化炭素やらメタンやらの観測が行われている。何十年も前から。気水澄江さんにお願いして見学させてもらった。中には大気成分の濃度を測定するための機器がごろごろ設置されており、ガスボンベも夥しい量あって物々しい雰囲気だった。 「二酸化炭素は年々増加しています」  澄江さんは観測機器を見ながら話した。地球上で最も清浄であろう南極の大気に大きな変化が起きている。何十年も

          観測棟にて物思い

          明かりの消えた昭和基地で

          一月二十四日(木) 曇り 南緯六九度、東経三九度    東オングル島にけたたましいベル音が鳴り響いた。その後、屋外スピーカーから発電機担当の堀田さんの声が聞こえた。 「計画停電、計画停電。発電機が停止しました。作業を開始してください」  計画停電である。昭和基地の主要な電力は発電棟の発電機によって作り出され、照明や暖房、観測機器、風呂などあらゆる設備に利用される。過酷な南極の環境において、電力の枯渇は、水と同様、死を意味すると言っても過言ではない。そこで夏期間中に一度、計画的

          明かりの消えた昭和基地で

          忘却と情熱の山田

          一月二十三日(水) 曇り 南緯六九度、東経三九度  ドーム隊がS一六からヘリに乗って昭和基地に帰って来た。野外観測支援の山田さんひとりと廃棄物を搭載した本日の第一便が昭和基地のヘリポートに着陸する。颯爽とヘリを降りる山田さんは二ヶ月に及んだ南極大陸での観測活動の疲れを微塵も感じさせない。流石である。山田さんはヘリの中から廃棄物が詰まった人間大のタイコン袋が引っ張り出した。引っ張り出した。引っ張り出した。四次元ポケットかよと笑ってしまうぐらいの量。よくもまあヘリの中に搭載されて

          忘却と情熱の山田

          自分自身の南極観測

          一月二十二日(火) 晴れ 南緯六九度、東経三九度  雪上車の中で冷凍キムチチャーハンを炒めて朝食として食す。我々をピックアップに来た観測隊用ヘリASに乗ってS一六を後にする。ドーム隊はもう一日滞在して残りの撤収作業を行う。仙人のような風貌の人間十人が我々の乗ったヘリを見上げて笑顔で手を振っていた。S一六は私の南極観測で忘れがたい思い出となった。  昭和基地に着陸。乾いた地面や風力発電装置、行き交うトラック、日本の工事現場のような景色に帰ってくると懐かしさすら感じた。私にとって

          自分自身の南極観測

          薄青、薄紫、薄ピンク

          一月二十一日(月) 晴れ 南緯六九度、東経四〇度  今日もご機嫌な空模様。青空と雪原がどこまでも広がって地球の丸さを感じる。内陸からカタバ風が吹き続ける。ドーム隊が使用した橇を整理。橇と雪上車をワイヤーで連結して引っ張り、一定の間隔を橇を並べる。クラクションを三回鳴らして雪上車をバックさせて位置を微調整。 「オーライ! オーライ! オーライ! あと二メートル、あと一メートル、……はいストップ!」合図に合わせて雪上車を移動させる。内陸調査で使用した観測機器を整理して撤収作業は順

          薄青、薄紫、薄ピンク

          アンタークティックサーモン

          一月二十日(日) 晴れ 南緯六九度、東経四〇度  一日の始まりは雪上車の暖気から始まる。極寒の南極。雪上車をいきなりフルパワーで稼働させるのは素人のやることである。慣らし運転で十分に温めてることでエンジンの故障を防ぐのである。人間も同じで、起床後すぐに全力活動することは脳卒中の原因になるので、止めた方がいい。一〇〇メートル前進と後退の往復を三セット行う。ハンドルが無く方向転換はレバーの操作によるが、それ以外はほとんどオートマ車と同じ。アクセルを踏めば動く。雪上車SM一〇〇Sは

          アンタークティックサーモン

          生還! ドーム隊

          一月一九日(土) 晴れ 南緯六九度、東経四〇度  突然のエンジン音と振動。それは安らかな眠りの世界から現実の世界に引き戻すには十分過ぎる威力があった。野外大和さんが早起きしてエンジンを起動し朝の支度を始めているらしい。雪上車の寝泊まりは至極快適。昭和基地の狂酔したおやじ達のお祭り騒ぎや公害並みのいびきとも無縁。物音一つ無い静寂のおかげで、久しぶりに深く眠ることができた。目が覚めると体が震えてかなり寒い事に気づいた。ああ、南極大陸の上で寝て起きたんだな。ぎりぎり凍死せずに今日を

          生還! ドーム隊

          この一歩は人類にとって偉大な飛躍である

          一月一八日(金) 曇り 南緯六九度、東経四〇度  用意するものは、スコップ、ツルハシ、ガスコンロ、食糧、作業着、フリース、股引、ナイロンパーカー、ナイロンパンツ、下着。念のための羽毛服。うきうきしながら準備をしていると 「遊びに行くんじゃねえんだぞ!」と轟チーフに注意されてしまった。  CHヘリに乗って一五分のところで降ろされた。雪原。見渡す限り雪原で雪と氷以外何もない場所。雪の上に一歩踏み込むと足跡ができた。これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍で

          この一歩は人類にとって偉大な飛躍である