見出し画像

明かりの消えた昭和基地で

一月二十四日(木) 曇り 南緯六九度、東経三九度  
 東オングル島にけたたましいベル音が鳴り響いた。その後、屋外スピーカーから発電機担当の堀田さんの声が聞こえた。
「計画停電、計画停電。発電機が停止しました。作業を開始してください」
 計画停電である。昭和基地の主要な電力は発電棟の発電機によって作り出され、照明や暖房、観測機器、風呂などあらゆる設備に利用される。過酷な南極の環境において、電力の枯渇は、水と同様、死を意味すると言っても過言ではない。そこで夏期間中に一度、計画的に発電機を停止し、再運転の手順や観測機器の再立ち上げの方法を訓練する。発電機が停止されると屋内がうっすら暗くなり、昭和基地全体が静まり返った気がした。
 井上陽水は「私は泣いたことがない、灯りの消えた街角で」という歌詞の名曲を作ったが、あれは計画停電のことを歌っているのかもしれない。現代はボタン一つで照明の光が灯り、テレビジョンが見れ、挙句には掃除機までかけてくれるような時代である。私たちは電気が自然に無尽蔵で供給されるかのように錯覚してしまいがちである。しかし、発電するためには発電機と燃料とそれを動かす人がいるのだ。そのことを忘れてはいけない。等と考えている内に計画停電は無事に終了し、明かりがともり、元の昭和基地に戻って安心した。
 夕食後に気象上田氏、設備設楽、多目的安寺くんと地学棟に集まってこっそりバンド練習をした。昭和基地にある楽器を使わせて頂く。ベースを触るのは一〇年ぶりだった。私は学生の頃、一気一揆というふざけた名前のバンドを組んでいてベースを担当していた。しかし、自分のベースよりもギターが好きだということに気付いて、ベースを全く練習しなくなった。私は信頼を失いバンドを脱退、最終的に一気一揆は解散となった。悲しかった。まさか再びベースを手にする時がくるなんて。今弾くと案外楽しい。学生時代の苦い思い出が、昭和基地での楽しい思い出に昇華するとは人生の滋味豊かさを感じる。これまでもこれからもそうなんだろう。

サポートありがとうございます。