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この一歩は人類にとって偉大な飛躍である

一月一八日(金) 曇り 南緯六九度、東経四〇度
 用意するものは、スコップ、ツルハシ、ガスコンロ、食糧、作業着、フリース、股引、ナイロンパーカー、ナイロンパンツ、下着。念のための羽毛服。うきうきしながら準備をしていると
「遊びに行くんじゃねえんだぞ!」と轟チーフに注意されてしまった。
 CHヘリに乗って一五分のところで降ろされた。雪原。見渡す限り雪原で雪と氷以外何もない場所。雪の上に一歩踏み込むと足跡ができた。これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍である。
 ヘリが飛び立つと回転翼の風で雪が舞い吹雪のようになった。昭和基地の方へ飛んでいく。白い雲が空を覆っている。雪面と空の境界が曖昧に見える。内陸からの南風がいつも吹いて雪面に凸凹の模様が刻まれている。
 中継ポイントであるS一六は大型雪上車が四台、運搬用の橇が一〇台以上設置されていた。吹き溜まりを防ぐために南風と平行する向きで整列している。南極の知恵。いくつかの雪上車や橇は一年以上S一六に置かれているので吹き溜まりによって埋まっていた。それらを掘り出すことも今回の我々の任務でもある。
 今日は時間も遅いので状況確認だけして夕飯をとった。ハム、レトルトカレー。車両江神さんと野外大和さんが楽しそうに話している。私は眠くてあまり会話に入らなかったが楽しい時間だった。一時的に人間関係から解放される感覚が嬉しかった。
 少なくなった雲の間から太陽が覗く。高度が低いところにあって夕焼けのような光を放つ。雪面が赤い光を反射して夢の中にいるような感覚になった。地球っていいな。日本にいた頃、地球のことを考える事なんてなかった。仕事が忙しかったせいもあるが、自分を狭い世界に閉じ込めていた気がする。自分のちっぽけな世界から一歩踏み出せば、広い世界が広がっている。私が南極に来る前も去った後も、南極では今日みたいな日が繰り返されてきた。そしてこの景色が壊されるようなことがあってはならない。
 インドに行って人生観が変わったと言う人と同じくらい浅はかな気がして、赤面した。

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