さらば昭和基地

二月四日(月) 曇り 南緯六九度、東経三九度
 五時半起床。眠気はない。曇り空だが風は弱い。南極に来てから天気に対して敏感になった。布団を畳み庶務室の机周りを整理した。しかし、どうせすぐに散らかるだろう。LAN犬照さんも冬庶務山極さんも整理が苦手だから。朝食のカレーを味わって食べた。
 夏隊の荷物を積んだトラックを運転してヘリポートまで移動。管理棟、一九広場、観測棟、自然エネルギー棟、焼却炉棟、坂道を下って風力発電機、一夏、二夏、ヘリポートから見える海氷、全て目に焼き付ける。
 夏隊と見送りにきた越冬隊がヘリポートに集まる。しらせから第一便のヘリが輸送剛力さんを乗せて飛んできた。剛力さんはヘリポートに降りると持帰り物資積み込みの指示を出して、すぐに物資と一緒にヘリのってしらせに戻った。なんと潔いことか、違う、この人はいつか南極に来るのだ。
 第二便で昭和基地を離れる夏隊員がヘリを待つ。通信トラちゃんへ無線機を通して別れの挨拶をした。トラちゃんは管理棟通信室で業務のために留守番、夏隊の見送りには行けない。
「昭和通信、昭和通信、こちら夏隊。トラちゃんありがとう!
「皆……ぐすっ、さん、どうか……ぐすっ、ご安全に」
 トラちゃんの泣き声が無線機から響いた。第二便のヘリが来た。南極での仕事を終えて離れる夏隊。たった三一人だけ残って南極での生活を続ける越冬隊。お互いぐずぐずに泣きながら抱き合い、別れを惜しむ。夏隊の半分が昭和基地を去った。
 私は第三便のヘリを待った。越冬隊のみんなに挨拶をした。涙が止まらない。多目的安寺くんや気象上田氏と抱き合った。宙空ヒロシさんは声を出すと泣いてしまうのか下唇を噛んで一言も話さない。調理米田さんが私の肩を叩いて「おまえ、いいやつだったな」と言ったので「おまえもな」と私は笑いながら言い返した。
 隊長も話しかけてくれた。
「白井さん、本当によくやってくれたね。ありがとう」
 私の感情は決壊し、嗚咽して何も話せない。
 隊長、俺は、俺は、隊長の役に立てたでしょうか? みんなの役に立てたでしょうか? もっと頑張らなくちゃいけなかったのに、すみません。みんなともっと一緒にいたかった。
 隊長は号泣して言葉にならない言葉を発する私を、うんうんと言って笑顔で聞いてくれた。こんな気持ちになるなんて。
 ヘリ搭乗。越冬隊が私たちに向かって叫んでいるが、回転翼の音のせいで何も聞こえない。ヘリが離陸して上昇する。ヘリポートを見下ろすと大きなハートマークがあった。越冬隊が作った人文字。つい吹き出してしまった。
 昭和基地がどんどん離れて遂には見えなくなった。景色が一面真っ白な海氷に変わる。目をつぶって昭和基地の生活や越冬隊の笑顔を思い浮かべた。
 私は確かにあの場所にいた。

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