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観測棟にて物思い

一月二十五日(金) 雪 南緯六九度、東経三九度
 管理棟から東に少し歩いたところに見える青い建物は観測棟で、大気中の二酸化炭素やらメタンやらの観測が行われている。何十年も前から。気水澄江さんにお願いして見学させてもらった。中には大気成分の濃度を測定するための機器がごろごろ設置されており、ガスボンベも夥しい量あって物々しい雰囲気だった。
「二酸化炭素は年々増加しています」
 澄江さんは観測機器を見ながら話した。地球上で最も清浄であろう南極の大気に大きな変化が起きている。何十年も前から少しずつ、確実に。私には温室効果ガス云々の詳しい事はわからないが、日本でも夏になると毎年のように最高気温の記録更新のニュースが飛び交う。澄江さんは越冬隊だから一年間この観測棟で地球の変化を見つめるのであろう。
 少年時代、家の庭にケナフという植物を植えたことを思い出した。ケナフは成長力が大きく二酸化炭素を吸収するから、たくさん植えれば地球温暖化を防ぐことができるという何かの情報を信じて植えたのである。確かにケナフの成長力は凄まじかった。私のくるぶし程の高さにあった芽が、翌日には、すね程の高さに成長していた。忍者が竹の上をジャンプして跳躍力を鍛えたという何かの情報を信じて、子供の私はケナフの上をジャンプした。ケナフはぐんぐん成長し、私の跳躍力は毎日記録更新した。いつしか飛び越えれない高さになり、私は忍者修行を止めた。ケナフはその後も成長を続け、私の背丈を超え、ちょっと怖いぐらいの高さになった。
 秋になり枯れてしまったケナフを、結局、燃やして処分することになった。せっかく吸収した二酸化炭素が大気に放出された。残ったのはケナフに栄養を吸い尽くされて痩せた土と、少し上がった私の跳躍力だけだった。
 この行為は無意味だったか。私たちが自然のことを考えて何かやることは無意味なのか。むしろ逆効果? それでも、それでも地球とうまくやっていく方法を模索することを諦めてはいけない気がする今日この頃。

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