たかはしけいこ/コミュニケーション・トレーナー。コーチ、心理カウンセラー

自分を育て、人を育てるコミュニケーションを提案しています。メットライフ生命のコールセン…

たかはしけいこ/コミュニケーション・トレーナー。コーチ、心理カウンセラー

自分を育て、人を育てるコミュニケーションを提案しています。メットライフ生命のコールセンターにて10年間テレコミュニケーションを指導。2016年に独立。コミュニケーションをよりよく変え、人間関係をよくするヒントを得たい方に向けてnoteを書いています。

最近の記事

理由はなくていい。大切な人に一輪の花を買って帰ろう。

誕生日、結婚記念日、はじめてデートした日。特別な日にいままでとは違うお祝いをするのがスタンダード。あえて何も特別なことがない日に、一輪の花を買って帰ってはどうだろう? 「週末だし疲れていて、そんな気はおきやしない」と心に余裕がなさそうなら、なおさら。いつもとは違う行動をしてみると心に余裕がうまれる。 特別な日に大きなことをするのもいいけれど、相手を思う大きな気持ちがあればいつでも、どんな小さなことでもいい。 「なんで?急に?」といわれそう、持ち帰ったことに気づかないと寂

    • コミュニケーション、伝わらない時のたったひとつの原則

      「どうやったら理解してくれるんだろう?」を解消し、よりスムーズにコミュニケーションが進むコツ。それは相手がどう理解しているか? に注目することなんです。コミュニケーションといえば、「なんて話せばいいだろう?」「どう伝えるといいのかな?」と話のしかたが気になりますよね。 コミュニケーションたったひとつの原則とは、「何を話すか?」より「どう理解されたか?」なのです。なんとか理解してもらおうと、ついやりがちなコミュニケーションがあります。 ・ながながと説明する ・おなじ説明を繰

      • 集中力がないのは性格ではなく、環境のちがいにある。

        「どうも気が散ってしまう。もっと集中力を身につけたい」 集中して効率的に勉強や仕事ができれば、時間の使い方もずいぶん違ってきます。集中力がないのは性格かな? と感じていた私ですが、環境の工夫によって集中力はつくりだせる。集中するぞ!と気合いをいれるより、「気が散るものを取り除き、環境を整える」ことが大事なんですね。 イタリアの幼児教育ドキュメンタリー映画「モンテッソーリ 子どもの家」。 教室では子どもたちが「お仕事」と呼ばれる作業をもくもくとやっていました。アルファベットの

        • ルールに従わせようとすることは、考えない人を育てること。

          ルールには「つくった人」がいて「守る人」がいる。「つくった人」が話し合いなく決めたルールに従わせようとすると、ふたつの不都合がおきることに気づいた。ひとつは「相手の考え」を知ることができないこと。もうひとつは相手が自分で考えようとしなくなることだ。 ルールに従うことを伝えるのに対話は必要がなく、「〇〇してね」「〇〇はしないでね」といった伝達でじゅうぶんだ。相手が何を考えているか?どんな感情を抱いているのか? 知ることがないから、こころのつながりも感じられない。 なによりも

        理由はなくていい。大切な人に一輪の花を買って帰ろう。

          子どもがなかなかモノゴトを上手くできないとき、手を貸すのか?貸さないのか?問題。

          人はいままでやったことがないことに挑んでいるとき、集中力が鍛えられ、持ち前の能力が伸びていくのだという。 イタリアの幼児教育ドキュメンタリー「モンテッソーリ 子どもの家」は就業前の子どもが通う学校が舞台。2歳半から6歳までの子どもたちがさまざまなことにチャレンジしていた。ピッチャーからコップに水をそそぐ、リンゴを専用のカッターで切る、世界地図のパズルを完成させながら国名を覚える。紙きれに描かれた線に沿って慎重にハサミで切り取っていく。無我夢中で、何度もくり返し取り組む子ども

          子どもがなかなかモノゴトを上手くできないとき、手を貸すのか?貸さないのか?問題。

          歩道に寝そべる子どもと、あえて何も言わない父親の覚悟。

          父親は何かを教えようとしていた。 日曜日、混雑するアウトレット内の歩道でこちらに背中をむけじっと立ちつくす男性。目先2メートルほどに2歳ぐらいの男の子。足を組んで天をあおぎ、頭のうしろで腕を組んで寝そべっている。父とおぼしきその人は何も言わず子どもに視線を向けていた。彼らを避けるようにしてバギーを押した親子連れ、カップル、私も横を通りすぎた。 わたしなら、「何しているの?立ちなさい」「こっちへ来なさい」「汚れるでしょ」あたりを連発して、人がこんなに多いのに迷惑になるでしょ、

          歩道に寝そべる子どもと、あえて何も言わない父親の覚悟。

          校則がない中学校の学生が、「服装はダサくていい。ほかの人と違っていいんだ。そう思えたら自信がついた」といったワケ。

          東京都世田谷区にある桜丘中学校は校則がない。服装は自由、髪を染めてもいいし、メイクもしてかまわない。こんな自由な校風なのに、あえてダサい服装、すっぴんでいいと決めた人がいた。 「みんなにあわせなくちゃ、と最初はがんばっていたんです。でもわたしは、おしゃれなファッションにも、メイクにも興味がない。だったらいいや! ダサい服でいい、すっぴんでいく。自分はこれがいい!と思えたら、自信がついた。」 昨日、桜丘中学校の元校長である西郷孝彦さんのオンライン対談に参加した。”責任と自由

          校則がない中学校の学生が、「服装はダサくていい。ほかの人と違っていいんだ。そう思えたら自信がついた」といったワケ。

          感じがいい人の、話しの聴き方5つの特徴

          最近は「うまく話せない」より「うまく聴けない」というお悩みがふえました。うまく聴きたいと願う人は相手を理解したい、人を大切に思う人がおおいように思います。 そこでいままでお目にかかった感じがいい人は、どんな聴き方をしていたのか? 書いてみました。 ・話している人に「なにか言わなくちゃいけない」を手放している。 ・自分のことを「横において」聴くことができる。 ・話している人と「心の動きがピタッとあって」いる。 ・話している人が大事にしていることを「伝えることができる」。 ・聴

          こわれたカメラと、人づきあい

          こわれたカメラをみて、日頃の人とのつきあい方を考えるきっかけになるなんて思ってもみなかった。モノの扱い方は、私が目の前の人をどんなふうに思い関わっているのか? はっきりとしめしているようだ。 電源を入れたら「レンズの装着を確認してください」とのメッセージ。ほとんど使ってないのになんで? とにかくようすがおかしい。 修理センターへ連絡すると「落としたってことないですか?」と聞かれた。記憶がない。トラブル時の解消法とやらをぜんぶ試したけれど改善せず修理にだすことになった。

          わずかな言葉の違いで孤独感から解放され、人とつながる

          「対話についてどう考えていますか?」と、 哲学カフェの参加者さんより質問をいただいた。 対話について話すはずが、 「私は、おしゃべりが苦手なんです」と言葉が出る。 コロナの流行って嫌よねとか、 職場の〇〇さん、って異動なんやねとか、 誰が語っても変わらないような”情報交換” は 対話とは言えないだろう。 おしゃべりを続けていると、 私はだんだんと孤独感が強くなっていく。 いっぽうで対話は あふれんばかりの情報という雲の切れ間から その人らしさに光をあてること。 目の

          わずかな言葉の違いで孤独感から解放され、人とつながる

          いざ、人育ての新しいコミュニケーション文化をつくる。

          「何をしてるんだ。しっかりしなくちゃダメじゃないか」 「あなたには、それは無理でしょ?」 「私の言う通り、〇〇をやっていたらいいのよ」 「宿題をやらないと、おやつ抜きですからね」 多くの人が似たようなことを言われたことがあり、 また、言ったことがあるだろう。 先代から続く古いコミュニケーション文化のひとつが 他者へのダメだし、批評、指図、非難、脅しといった ネガティブ・メッセージだ。 日常的にさほど悪気なく、どちらかというと相手への励ましや、 良かれとの思いから使われて

          いざ、人育ての新しいコミュニケーション文化をつくる。

          「ゲームを止めなさい」と言うより、「なぜ?そのゲームに関心があるのか?」と問いを立ててみてはどうか?

          「止めなさい、いい加減にしなさい。 そんなことやってないで勉強してよ、 ずっとゲームばかりしていて心配なんだから。」と思う。 毎日のように言ってストレスになるなら 思い切って視点を変えてみてはどうだろう? 「そのゲームのどんなところが面白いの?」と聞いてみる。 ゲームにもいろいろなカテゴリーがある。 いま手放せないゲームの何に関心があるんだろう? ハマっているポイントは何なんだろう。 パワーアップしていくのがおもしろい? 謎を解くことに夢中になっている? 自分の世界を

          「ゲームを止めなさい」と言うより、「なぜ?そのゲームに関心があるのか?」と問いを立ててみてはどうか?

          自分で考える人を育てるなら「話す2割」ぐらいでちょうどいい

          先日、子育てに奮闘してきた知人がこんなことを言っていました。 「長女が幼稚園児だった頃、 あれしなさい、これしなさいと指図ばかりしていたら、 自分で行動しようとはしないで ぼうっとするようになっていた」と。 私にも覚えがあります。 以前、営業職のリーダーをしていたとき チームメンバーに対して ああして、こうしてと ことこまかに教えれば教えるほど 自分で考えなくなっていきました。 何か行きづまれば、 私に尋ねればいいのだという雰囲気が チームにできあがってしまったのです

          自分で考える人を育てるなら「話す2割」ぐらいでちょうどいい

          わたしたちは「正直でいる」より「いい人でいる」ことを覚えてしまう。

          悲しい気持ちでいると 「悲しんじゃいけません。 泣き止みなさい。元気を出しなさい」といわれ、 嬉しい気持ちでいると 「そんなにはしゃぐもんじゃない。 世の中いいことばかりじゃない」といわれる。 正直に感情を出すよりも いい子は自分を抑えるんだ… 大人というものは自分を出さないようにして、 決して迷惑をかけず行儀がいいものなんだと。 人に好かれ自分の居場所をつくるには 自分の思ったことやりたいことは隠し、 人の望むことをしなくちゃーいけない。 自分に正直になれば 人に嫌わ

          わたしたちは「正直でいる」より「いい人でいる」ことを覚えてしまう。

          こんなこと知られちゃったらはずかしい!っていうけど、いがいと誰にも悲しいぐらい気にされない件。

          もんのすごくなが〜いあいだ悩みまくって、 こんなこと誰かに知れたらとんでもない! 格好悪くて死んじゃう…はずかしい! とガクブルしてるのは自分だけで まわりはぜんぜんナニソレ的、 気にもとめなかったりするんですよね。 ひた隠しにしているモノ 早いうちに解消しちゃえるといいのにな。 誰も気にしてないことに一人とらわれ 自分をおさえた毎日を生きて この世の最期をむかえるなんてことは 寂しすぎるでしょ?って話しを どうしてもつぶやきたくなりました。 ちょっとした勇気なんだけ

          こんなこと知られちゃったらはずかしい!っていうけど、いがいと誰にも悲しいぐらい気にされない件。

          「わかってよ!」と泣きたくなったときにしたいこと。

          「ぜんぜんわかってくれない!」 なんどそう思ったことか。 もどかしくって、腹がたってしまう。 わかってよ!と泣きたくなったら 相手のことはわかってるかな? とふりかえってみる。 わかってもらおうと いっしょうけんめいになるより 相手をわかろうとするといいんですよね。 自分視点から くるりと相手視点に変えてみます。 わかってよ!を聞かされた相手も じつはおなじように ぜんぜんわかってくれない!と思っています。 おたがいに、 「もっとわかって欲しい」と思いが強ければ 言