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子どもがなかなかモノゴトを上手くできないとき、手を貸すのか?貸さないのか?問題。


人はいままでやったことがないことに挑んでいるとき、集中力が鍛えられ、持ち前の能力が伸びていくのだという。

イタリアの幼児教育ドキュメンタリー「モンテッソーリ 子どもの家」は就業前の子どもが通う学校が舞台。2歳半から6歳までの子どもたちがさまざまなことにチャレンジしていた。ピッチャーからコップに水をそそぐ、リンゴを専用のカッターで切る、世界地図のパズルを完成させながら国名を覚える。紙きれに描かれた線に沿って慎重にハサミで切り取っていく。無我夢中で、何度もくり返し取り組む子どもたちで教室はとても静かだった。

作業をみていると失敗の連続。水をこぼす、物を落とす、間違える、と上手くいかないことだらけだ。先生はそんな様子を視界に入れながら声はかけず、手伝いもしない。「もっと上手くやりたい!」集中してチャレンジする機会を奪わないのだ。

通常大人はこのような光景を目にすると「もっとこうしたら上手くできるよ……」と、手伝おうとしてしまう。「早く上手く結果をだすこと」は大人の価値観なのだろう。学校の先生は失敗するプロセスを奪わず、子どもたちの集中を切らさないことに配慮していた。

人の発達を考えると、子どもへの関わり方はまったく変わる。新しい何かに取り組んでいるときは、手伝おうとはせず没頭させてあげることが、より集中力を鍛え能力を伸ばすことのようだ。

週末の土曜日、大人の集中力を鍛えることもまったくおなじだということを知った。居心地の良くないこと、上手くいかないことに挑んでいる時に無我夢中状態になり集中力は鍛えられる。慣れ親しんだ居心地の良いもの・習慣のなかでは、不安や心配に取りつかれることはあっても無我夢中になることはない。ラクな状態のなかでは集中力は鍛えられないらしい。

子どもも大人も、挑み続けることによって自分のできる範囲が広がっていく。何の苦労もなくスルスルとできることよりも、なんで上手く行かないんだーーーを繰りかえすことで、工夫や応用、創造力が高まっていく。自分がまだ出会ったことがない新しい思考回路が脳内にできあがってくるそうだ。

挑んでいる子どもはいままさに!成長しようとしている。大人は手を貸さず見守る。私たちはそのそばで、おなじように「なんで上手く行かないんだーー」と叫びたくなることに挑み続けてみるのが、ともに成長することなのかもしれない。

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